goo blog サービス終了のお知らせ 

ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

閖上の日和山付近:2012年1月25日の記録

2017-10-06 16:19:37 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

閖上漁港の南には、広浦という漁港から続く入り江がある。


広浦の脇に、小高い丘が見える。


これが「日和山」である。


名取市の話では、閖上の日和山は、大正時代に海の様子や船の出入り、天候などを観測するために作った築山だという。(詳しくは、名取市政策企画課の「なとり百選」にて公表されている)


閖上の日和山の頂上には、富主姫神社が置かれている。

余談だが、富主姫神というのは良く分らない。もしかしたら、古事記にある「登美」と繋がるのだろうか。

そうすると、ニギハヤヒノミコトの妻であったトミヤヒメが思い浮かぶ。神武天皇を助け、国を平定した御子と妻ということから、国家安泰の神とされている。



さて、閖上の日和山の傍には、同じほどの高さに砂利が積まれていた。

いよいよ、土地の嵩上げの準備がなされているのだろうか。


日和山を右手に、道を西へと進むと日和橋が見えてくる。

日和山から橋の手前にも、以前は家や店が並んでいて、「美晴鮓」という寿司屋さんがあったのだが、そこも消えていて寂しかった。

閖上から西へ行くと、美田園という所に出るが、その辺りに仮設住宅がある。

今年に入って、その近くに閖上の仮設商店街「さいかい市場」もできた。

 

閖上:2012年1月25日の記録

2017-10-06 16:14:50 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

津波で破壊され、たくさん散乱していた建物の破片は片付けられた。

だが、道の端にはまだ、船が所々に残っている

       


閖上の町は、壊れて残った建物の解体が進んでいた。

 


所々に残った建物があるが、かつての商店街も建物の解体が進み、あんなにあった店が消えてしまった光景は、やはり見ていて切ない。


かつて、相馬屋菓子店があった辺り。すでに解体され、更地になった所も多い。


 

周囲の建物がなくなり、通りの一本向こうにあった東禅寺が見える。通りの奥が、閖上漁港になる。



かつては、店や住宅がいっぱいに立ち並んでいた。

2008年4月の閖上。漁港方面から商店街を進む。

手前にひぐち呉服店や、ささ圭蒲鉾店が見える。

さらに進むと、菅野蒲鉾店や相馬屋菓子店、佐々木酒造などがあった。


名取市閖上:2011年4月14日の記録

2017-10-06 14:32:01 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

2011年4月14日閖上付近 (↓小塚原下田辺り)

       

 

震災から1ヶ月を越える。

所用があって、作業の邪魔にならないようにと、気を使いながら閖上へ行った。

壁に車が刺さっていた知人宅、その後の車が取り除かれた現状を確認。

名取市役所から東へ進むたびに、次第に様子が変わる。

田畑に物が散乱し、瓦礫は進むたびに多くなっていった。

 

浜から幾分か離れた道沿いで、民家の脇に、本来あるはずの無い舟が乗りあがっている。



重機で瓦礫を集め、道の端に寄せている。それで道が通れるようになっていた。


最前線で働く自衛隊員たちに、頭が下がる。
任務とはいえ、毎日のこの作業は、大変な作業であると一目で察しがつく。
           


店や家が並んでいた場所も、何もかもが滅茶苦茶だ。


ここが、あの場所だったろうかと、分らなくなる。

水揚げがあると、赤貝丼ののぼりが出ていた港の周辺も、かつて猫が横切った長閑な光景はもう無い。

 

あんなに緑に囲まれていた道が、浜辺のようになっていた。

帰り道、田んぼの一角に座り込む男性の背中を見た。
切なかった。