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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

千賀の浦の町(塩竈):2011年7月の記録

2017-10-01 12:14:57 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

土用の丑の日に、千賀の浦の町、塩竈を訪ねた。

この夏の「土用の丑」は21日で、その明後日が「大暑」と暦は示すが、その通り、日差しがとても強い。

暑いが、この日は吹く風が涼しくて助かった。


思えば、今年(2011年)の杜の都は、文月の11日目には梅雨明けと告げられ、随分早くに梅雨明けしたものだ。

確かに、暦は7日が「小暑」で、そろそろ各地で梅雨の明ける目安の頃だが、東北は普通、小暑から2週間以上経ってから明けるものであった。


けれど、外を歩けば「なるほど」と思う。

何しろ、梅雨明け前の5日には聞かれなかったのに、梅雨明け後の13日には、街路樹から蝉の声が聞こえ、勢いを増していたものだ。



さて、まずは塩釜神社に参る。

そして塩竈神社の坂を下り、本町通りへと出た。


震災と津波の爪跡も所々に見えるが、以前に寄った御釜神社近くの魚屋さんも、お茶屋さんも、とすけ屋さんも再開していた。

(←本町:もとまち)


(←御釜神社傍)


 (←御釜神社向かい)


よかった、本当にほっとした。

 


本町を、御釜神社から東へ進み、造り酒屋の前を通って左へ曲がると、一番館がある。

一番館では、建物の外にも中にも、風に揺れる旗が見える。

近づいて見ると、旗と思ったものは、色とりどりのハンカチを連ねたものだった。

このハンカチには、様々な人々の励ましが書かれていた。

思いやりが嬉しい。 

 

松島の一歩:2011年5月の記録

2017-10-01 11:36:40 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

皐月の2日目、松島へ行く。

桜の散った仙台から、利府街道を通って行くと、利府では梨の花が満開だった。 

秋には、旨い利府梨を、また食べたいと楽しみに思う。


梨の花と、所々に代掻きのなされた田んぼに、コサギが来ていたのを眺めながら、東へと進んだ。

やがて、坂道を上り詰めると、道の向こうに松島の海が見えてくる。

       
町営駐車場に車を停め、松島の海を眺めながら坂道を下っていくと、松島水族館の前に出た。


水族館では、ペンギンの赤ちゃんが津波にも負けず、ちゃんと生まれ育っていたというし、先日はマンボウも運ばれ、水族館にマンボウが帰って来たという話もある。

まさに、公共広告の『あいさつの魔法』に出てくる「ただいマンボウ」だ。


水族館を前に、後ろは松島駅で、そこを左へ道なりに進むと瑞巌寺の入り口を通り、やがて五大堂へとたどり着く。

(五大堂向かい側辺り。店舗のシャッターが津波でひしゃげている。間の柱の下部で、茶色が少し剥げたように白っぽくなっているのが浸水した痕。松島の商店街も、至る処でこうした破損や修復中の姿が見られた。)



五大堂の向かいには、昨年に出来たばかりの干支記念館と松島観光物産館がある。

松島観光物産館の2階は、「浪漫亭」という食事処となっている。

ここも、営業を再開したというので寄ってみた。


昼餉は、浪漫亭で松島湾を眺めながら海鮮丼を食べる。


連れ合いは、よくばり十二種海鮮丼を、


自分はミニ3色丼を味わった。


やはり旨い。

アナゴは、とろけるように柔らかであった。


津波で、再開も大変だったろう、今の営業も何かと大変で疲れもあるだろうと察せられる。

けれども、声を掛けると、お店の方は笑顔を見せて応じてくれ、あったかく穏やかな空気が流れた。          



満腹で満足して階下へと降り、みやげ物を見て回る。

そこで見つけて、最も気に入ったのは、やはり松島の海苔である。


東松島の矢本地区は、「皇室献上海苔」として知られる、良質の海苔の産地だった。


3・11大地震の津波被災で、海苔の養殖や生産に必要な機材が流され、当面の生産は困難と思われる。

しかし、海苔の生産を地元の人々は諦めてはいない。

いつかきっと、皇室献上海苔を復活させると心に決めていることが、東松島町の広報誌に記されていた。



その松島の海苔を、気軽に食べやすく加工した味海苔もある。 

今、店で販売されているのは、被災前の在庫品だ。

この味を、しっかりと記憶し、復活へと踏ん張る生産者の気持ちを共有したい。