安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

見直すべき聖徳太子と行基の功績

2023-03-19 03:27:49 | 日記
聖徳太子の時代は仏教推進派と廃仏毀釈派の争った時代でした
当時の雰囲気を正確に伝える文献はありませんが、一つの考えるヒントとして
大川隆法著「聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実」という書籍を参考として、当時のことを推測してみたいと思います
なぜ、いまさらそんなことをするのか?その理由は何か?ですが。。。
今の日本政治の混迷と、日本の国そのものの混迷、その原因が
「善悪を曖昧にし、本音と建て前を分け、うわべを繕う、その精神性にある」と思われるからで
元をたどっていけば、それは日本人の宗教観に遠因を持つ。。。と思われるからです
私は、日本人の多く、そして日本の政治家の多くが、何度も日本人として転生を繰り返しており、過去の精神性を受け継いでいると思っています
すべてとは言いませんが、日本神道系の魂には「悪い癖」があり、それが、「善悪を曖昧にし、嘘をついても、建前が良ければかまわない」
という、妖怪的な傾向だと思っています。。。これは日本の政治家にも根強くある傾向性です

日本神道系の魂には、とかく「自分に信仰を集めたがる」という傾向性があります
この点において、同じく大川隆法著「武内宿禰の霊言」のなかで、武内宿禰が鋭い指摘をしていました
P23.「(地上に転生してからの)実績がないからね。名前に執着しているんでしょうけど。」
確かに、日本神道の神話を読むと、とかく土着神話をまとめたものになっていて、今で言えば政治家の歴史のようになっていますが
それが「神」として崇められるようになったのは、結局神社を建てて祀ったからにほかなりません
結局は「どんな実績を残したのか?」は、あとから神話として付け加えられているわけで、要は「神」というより上下の「上」
というぐらいの意味なわけです
立場として指導者の家に子孫として生まれて、王権神授説よろしく、神になっている例が多いわけです
その立場に生まれたことですでに「神に選ばれたのだ」ということですね。。。でも、それは間違った考え方です

これが日本古来からの神道的な信仰であるわけで、それが、高千穂勢、大和勢、出雲勢、といった具合に、土着の信仰をそれぞれ持ち
大和の中でも、葛城には加茂氏や物部氏(土蜘蛛族)がおり、他にも蘇我氏や藤原氏など様々な豪族がそれぞれ独自の信仰対象を持っていたわけです
そしてややこしいのが、天照信仰という太陽信仰もまた、一人の「天照」を指すものではなく、元々はそれぞれの「天照」がおり
最終的に勝ち抜いた「高千穂勢の天照」が、「天照大神」を名乗って信仰を集め始めた、という歴史があるわけです
日本神道の歴史は「勝てば官軍」であり、「勝ったものが信仰を集める権利がある」ということであり
負けた部族たちの「怨嗟の声」を恐れるあまり
「勝った側が負けた側の部族の血流を(后として)受け入れ、親族扱いとし、怨霊を神として祀る」という文化が出来たと考えられるわけです
その代表的なものが出雲大社であるわけです。。。そして、大和朝廷には出雲の血流も入っています
しかし、そこには「善悪を分ける」という考え方が、そもそも存在しないわけです

自分たちの信仰が否定され、「裏側」に追いやられる悔しさが分からないわけではありません
しかし、日本神道には、いまだもって「戦いに負けた側の不成仏な悔しい思い」が残り続けているという現実があります
特に「仏教が興隆して以降の土着信仰勢力の不成仏さ」は際立っているように思います
聖徳太子が蘇我馬子とともに、強かった物部守屋を倒し、推古天皇の摂政となって政治にかかわった背景には
当時、豪族たちの争いが多く、政治が乱れていたということが深く関係しています
天皇家はいつ暗殺されるかもしれず、なり手がなかったことから、女性である推古天皇が皇位につき
聖徳太子が摂政になって、冠位十二階制度を作り、実力本位の人事による政治制度を作ろうとしました
結局、それまでの朝廷の政治権力・立場は、そのまま豪族の力関係が反映されていたものであり、実力本位ではなかったわけです
それは現代でも、政治家の2世、3世議員の多さから見ても、世襲制や王権神授説的な政治が踏襲されていることが分かるわけで
聖徳太子が持ち込んだのは、実力主義・能力主義であり、仏教精神に基づけば
「人は生まれによって決まらない、人はその人の悟りや能力の高さによって決まる」という事だったわけです
そしてその仏教をさらに日本に根付かせた功績者が行基でした

行基の功績は、奈良の東大寺を建立したのみならず、聖武天皇から帰依を受け、実質上、日本を仏教国に変貌させ
そして、日本各地に仏教寺院を建立し、民間の仏教信仰を根付かせた点にあります
中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺した「大化の改新」により、一時的に廃仏毀釈(仏教を廃し神道を重んじること)の流れができたものの
その後の仏教の興隆は止まりませんでした。。。大化の改新は、聖徳太子の仏教興隆の反作用であったと思われます
また、一般的に、お遍路信仰というと、お大師さん、弘法大師空海の名が有名ですが、空海が拓いたとされる四国八十八か所も
実はそのかなりの寺院が、行基の建立によるものだとは、あまり知られていません
行基は、「行基瓦(ぎょうきがわら)」の名前でも知られる、日本瓦を使った仏教建築を次々と建て、ため池や橋などを作り
まさに弘法大師が行ったことの先駆者として、仏教の興隆に大きな功績を残しました
行基は、「妖怪にならないための言葉」によると、若草山で5千人もの人に説法したそうですから
仏教の中興の祖として相当な実力者であったことがうかがえます

「妖怪にならないための言葉」の中に出てくる「一言主(ひとことぬし)」(奈良県葛城の一言主神社に祀られている)は
すでに妖怪化しているとのことですが、その出自は「物部系の豪族(土蜘蛛一族)の神官」だったことが同書で明らかにされています
そして、彼らを霊界で裏側(妖怪・仙人・天狗界)に封印したメンバーの中心に、行基がいるとのことです
詳しくは同書を読んでいただきたいのですが。私が推測するに、結局、仏教信仰が盛んになって、土着信仰が廃れていった
ということなのでしょう
その「信仰を廃れさせられてしまった」という恨みが、妖怪化して残っているという事でしょうね

私は思うのですが、日本において民間人の道徳を根付かせたのは仏教の功績が非常に大きいと思います
土着神道的な考え方に偏ると、「何が正しいか?」ではなくて「どの豪族、どの民族の神が正しいか?」で判断されてしまいます
政治的に何が正しいか?ではなくて、例えば物部家が正しい。。。みたいなことになるわけです
豪族の力関係によって、善悪が決まってしまうわけです。。。しかしながら、それは普遍的な考え方ではないわけですよね?
彼ら物部が、もちろん物部だけではありませんが、彼らが裏側に封じ込められた背景には
もっともっと高い次元の神仏による判断があったのであろうと、私は推察しています
そうでなければ、仏教による善と悪を分ける教えが根付かなければ、日本人にしっかりと道徳心が根付くことはなかったのではないでしょうか?

ですから、善悪を分ける教えのない土着信仰が、国の中心に座ってはいけないと、私は思います
そういうことを、本日の結論としたいと思います
ありがとうございました
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神道の研究。。。古事記とは何か

2023-03-17 02:01:01 | 政治
最近、私は八百万の神といわれる神道系の神々について、以前のように畏敬の念、畏怖の念を抱かなくなりました
といいますのも、世界標準的に見れば、神道にははっきりとした教えがなく
アニミズム的な霊魂信仰を、古事記や日本書紀などの神話を作ることで権威づけているように見えてきているからです
もちろん、イザナギ、イザナミの国生み神話は、聖書の創世記に匹敵するような、「天地創造の神話」と見る向きもあるでしょう
ただ、神話の神々が様々に下りられて国づくりをしてきたのならば、なぜ、それだけの教えが生み出されなかったのでしょうか?

例えば、モーゼがエホバとかヤハウェ―などという神から啓示を受け十戒を授かったり
エリアが預言者として旧約聖書に教えを残し、また、ナザレのイエスが3年間教えを説き、伝道して新訳聖書の教えを残したり
ゴータマ・シッダールタが大悟して仏陀となり、弟子が仏陀の教えを経典にまとめ上げ仏教の宗派を多数起こしたり
ムハンマドがアラーから啓示を受け、イスラム教の経典を残したりと
世界的宗教には、必ず神や仏から授かった教えというものが存在し、それが善悪の判断をわけることで、道徳の元を作っています
ところが、神道にはそれがないんですよね。。。善悪を分けるための判断基準としての神からの教えがないわけです
古事記を見ても、日本書紀を見ても、ただ、神々の出来事、イベントが時系列で羅列してあるだけです
日本の善悪を分け、道徳の元になったのは、おそらくは仏教と儒教の影響です
これが教えとして入ってきたことで、日本人の道徳心が養われたと言っていいのではないでしょうか?

私は思うのですが、神道には「万象万物を神とする教え」のような考え方がありますが
それはむしろこじつけのようなものであって、本当のところは「教えを説けるような人物が存在しなかった」のではないかと思うのです
神道系の教えとしては、最近では「生長の家」などの新宗教がありますが
これも、初代教祖である谷口正春氏が、哲学者エマソンなどの思想を学び、「本来病なし」とか「光一元」の思想を打ち出したものの
天国と地獄についてはよく分からなかったようですし、どんな生き方をすれば天国で、どんな生き方が地獄なのか
これも教えとしてはありませんでした。。。つまり、天国地獄が曖昧なままなのです
また神道系では、教えの少なさを補完するために、江戸時代後期から金光教や黒住教、天理教など、様々な新宗教が生まれました
しかしながら、どれも釈迦やキリストを超えて広がるほど普遍性のある教えではなかったと思われます
その理由は、「人間の生き方に善悪を分ける基準を明確にすること」が出来なかったからだと私は思っています
もちろん、キリスト教にもイスラム教にも、不十分なところはありますが
少なくとも、どのような考え方が善で、どのような考え方が悪なのか、そうした善悪の区別をつける教えはきちんと入っています

聖徳太子が17条憲法において、「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」と、記しているところを見ると
日本の道徳の基準を作ったのはやはり仏教であると見るべきで、それがゆえに、国づくりに仏教を必要としたと見るべきでしょう
蘇我氏と聖徳太子が物部氏に勝って、仏教が日本の皇室にも入って、初めて日本の神々に正当性が生まれた。。。と、私は見ています
私は思うのですが、もし今の皇室の祖先が仏教に帰依しなければ、皇室は既に絶えていた可能性もあると私は思います
それは、仏教伝来前の皇室の正当性は「いくさに勝ったこと」でしかなかったからです
もし、皇室が仏教に帰依せず、奈良の大仏などを建立しないで、「自分たちこそ神だ」と名乗っていたら
もしかすると他の勢力によって皇室は滅ぼされ、別の支配者が日本を統治していたかもしれません。。。それは中国の歴史を見ても明らかです
皇室がきちんと皇の字を名乗ることができるようになったのは、聖徳太子以降です
それまでは天皇家もまた。「ただの大和地方の国王の一人」として、諸国の有力豪族の一つに過ぎなかったという事は
以前紹介した「神社チャンネル」さんの動画でも説明がありました
当時は加茂氏や物部氏など、有力な豪族が大和地方にもひしめいており、諸侯の争いが絶えなかったようですので
本当に国がまとまったのは、おそらく聖徳太子以降であり
本当の意味で国が安定したのは、行基菩薩が出て仏教が隆盛を極めたころからでしょう

こうしてみてみると、前回ご紹介した書籍「妖怪にならないための言葉」に出てくる物部氏が
妖怪の代表格として紹介されている理由がよく分かります
書籍の中で出てくる「一言主(ひとことぬし)」という神は、葛城山地方の物部氏の神官として、妖怪化しているようですが
この物部氏が仏教に反対していた理由は、おそらくは仏教が流行すると、「善悪がはっきり分かってしまうため」だと思われます
都合が悪かったんでしょうね。。。自分たちの信仰する神々こそ正しいと思っていたが、仏教の普遍的な教えが入ると
善なる考え方と悪なる考え方がはっきりしてくる。。。これが都合が悪かったのではないかと思います

今日は古事記とは何かというテーマでしたが、古事記の内容には中々踏み込めませんでした
ですが、古事記は基本的には皇室の政権が安定したのちに、皇室の正当性を証明するものとして書かれた歴史書であり
基本的には「自画自賛」の域を出ないもののように感じます
皇室を敬う事が大好きな人には、なかなか受け入れられないかもしれませんが、私はもうそろそろ、皇室の正当性について見直すべきだと思います
皇室が後世に残っていくかどうかは、正しい宗教性を維持できるかどうかにかかっているように、私には思えてなりません
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格はいく集④ 不惜身命の姿・特別編

2023-03-16 02:53:19 | 政治
以前、私の知り合い二人が宮崎県の高千穂を訪れた際、天の岩戸神社をお参りし、そこでとある「妖怪」に遭遇したと聞きました
前に一度この日記で触れたことがあるかと思いますが、私も高千穂神社に2度ほど訪れたことがありまして、その経験はよく理解できます
知り合いといいましても、一人は10年以上の旧知の知人(Nさん)で、もう一人は2度ほどあったことがある程度の知り合いなんですが
そのもう一人の知人の方は霊能者でして、霊能者としては割と有名な方なのだとNさんからは聞いています
あの美輪明宏さんなどとも旧知の仲なのだとか。。。本当のところはよくは分かりませんが

その霊能者(仮にDさんとします)さんがNさんとともに、これまた延岡の私の友人(A君)に会いに行ったとき
A君が観光案内で二人を案内したのが天の岩戸神社だったのです
私は以前、A君とともに天の岩戸神社を訪れた際、近くの天の安河原(あめのやすがわら)というところを訪れました
神話によると、岩戸隠れした天照大神を岩戸から出させるために、八百万の神々が相談したとされる洞窟があるのですが
その洞窟というのが、この天の岩戸神社の天の安河原だと言われているわけです
私が最初に天の安河原を訪れた時、なんとも嫌な気を感じて、長くいられませんでした。。。巷ではパワースポットと言われていますけどね

実は、その何年も後の話、A君がDさんとNさんを天の安河原に案内したわけですが、その後、A君は体調を崩しまして
私とA君が電話でそのことを話している時、私はA君にとり憑いている「ある妖怪」を、一瞬ですが見たのです
それが「濡れ女」、というやつでした
これが、A君に巻き付いていたのです。。。蛇みたいに(笑)
A君はしばらく体がしびれるような感覚に襲われ、体調を崩して仕事を休んだみたいでした
私が濡れ女のことを指摘すると、A君にもその姿が一瞬ですが見えたみたいでした。。。。
その時には、なんであんなとこに妖怪がいるのか、わけが分かりませんでしたね
で、霊能者のDさんですが、この方も天の安河原で不気味な女性を目撃し、そのあと体調を崩したようです
A君は、二人をなんでそんなところを案内したのか?
A君としては、霊能者が来るという事を聞き、天の岩戸神社がどういう神社なのか、霊能者の反応を見て確かめたいと思ったようです

今なら分かるのですが、あの界隈には妖怪が跋扈しているのではないかと私は考えています
パワースポット巡りもいいですが、できれば近づかない方がいいと思いますね
それで、今日ご紹介したいのは「妖怪にならないための言葉」の後に発刊された
格はいく集④不惜身命の姿・特別編」という書籍です
そこには、妖怪の頭目について書かれています。。。おそらく、読む人が読めば卒倒するような内容だと思いますが。。。
格はいくの24番にはこうあります「妖怪の頭目と疑われ ○○抵抗す 微熱続く」
○○は神道における中心的な神の名前なんですが、この神が妖怪だと疑われて、呪いでもかけているのか、著者に微熱が続いている、というわけです

ちなみに、A君が体調を崩したときも、「体が締め付けられるようにビリビリしびれている」と言っていました
その通り、こういう霊的なものが原因となり、結構体調を崩すことがあるのです
もしかすると、天の安河原には、今も八百万の妖怪(神々)たちが、そこに徘徊しているのかもしれません
格はいくには、このようにも書かれていました
「日本神道に「地獄論」がないとの指摘、よほどこたえたか。」
解説するとこいういうことだと思うのです
神道の神話は、基本、古事記や日本書紀にある通り、八百万の神々の神話ですが、そこには地獄という世界の描写がなく
天国も地獄もあいまいで、神様がまるで下世話な人間のように描かれています
霊界には確固たる事実として、「天国」もあれば「もっと高い神々の世界」もあり、逆に「地獄」もあるわけですが
その霊界の実像を描くと、八百万の神々が「神々でなくなってしまう」可能性があるわけです
妬んだり嫉妬したり、怨霊になったり、本当はこういうのが神々であるわけもなく
神道では、天国霊も地獄霊も、妖怪も、一律「八百万の神々」として、祀る風習があるわけです
これは一種のアニミズムなわけです。。。霊魂信仰ですね。。。霊であれば何でもいいから神様として祀るわけです

そして、神と妖怪、神と地獄霊、この違いを見分けさせないようにあやふやにしているのが、いわゆる「妖怪」と呼ばれる存在で
あやふやにしている理由は、「崇拝されたいから」、「真実が暴かれると、信仰されなくなるから」に違いありません
彼らはプライドだけは高く、人間から信仰を受ける事、崇拝されることを望んでいるわけです
しかしながら、地上の人間が妖怪を崇拝したところで、それで人格が向上するわけではありません
地上の人間が物欲ばかり強くし、神様にこの世的な願い事ばかりしても、それで人間の精神が向上して天国に帰れるわけではないのです
むしろ、地獄霊や妖怪を崇拝することで、天国に帰れなくなる人が増える可能性があるわけです
これまで、私も色々な霊障のパターンを見てきましたが、たとえば神社などで犬神などのお守りを貰ったりすることで
犬神に憑依されたりする例がたくさんあります。。。蛇もあります。。。狐ももちろんあるでしょう
この動物や怪しい自然霊を崇拝する風習は、神道的なアニミズムから来ているわけですが、ここには問題が多いと言わざるを得ません

どうかこの二冊「妖怪にならないための言葉」と「格はいく集④不惜身命の姿・特別編」
おすすめします。。。偏見なしに、妖怪について真実を知っていただきたいと思います
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過去の記憶を紐解いて自らの妖怪性を点検する

2023-03-14 01:08:01 | 政治
さて、前回の日記に関することを書いていきます
私自身、分かっていたこととは言え、日本神道の信仰の矛盾を指摘することで、八百万の神々と呼ばれる方々から睨まれ
何らかの”障り”があるかもしれないことを想定はしておりました
正直、「神」と呼ばれる存在が、人間を私怨により罰するなどという事があっていいのか?罰を当てる「神」は本当に「神」なのか?
ということを、一つの問題提起として、最初に残しておきたいと思います
神道の八百万の神々は、「神罰」と言って、結構人間を殺したりするんですよね。。。これが本当に神なのかは疑問の残るところでもあります
怨霊になって人を呪い殺すのが神だというなら、なんだか、神は神でも「邪神」のようにも見えますし、「妖怪」のようにも見えます

本来の神罰は「善因善果・悪因悪果」のゆえに、自らの思いと行いの結果が「因果応報」によって自らに帰ってくるものです
この世で「因果応報」が完結しない場合は、その人の死後に完結することになります
分かりやすく言うと、この世で多くの人を騙したり蹴落としたりして権力者になった人が、その報いを生前受けることがなかった場合
その報いはその人の死後にあの世で受けることになります。。。つまり、死後に厳しい「反省行」が待ち受ける事になるわけです
ですから、神社の神様が神罰を下して人を殺す。。。というのは、これは神罰というより単なる「障り」であり「呪い」と言えるでしょう

話は変わりますが
私は過去の反省を行う場合、こうして日記風に出来事を書き綴っていくうちに
過去の詳細な出来事を思い出し、深い反省に入っていくことができるという、ちょっと変わった人です
今回、書籍「妖怪にならないための言葉」を読んでいて、痛切に反省の必要性を感じました
もし私自身に強い「妖怪性」があるとしたら
いま、日本神道の妖怪性を何度も指摘している私自身が、逆に妖怪による「障り」を受けることになるだろうと思っています
なぜなら、心の世界は波長同通であり、呪いをかける者と呪いを受ける者の波長が同通すると、呪いが成立するからです
ですから今は、自身の心を鏡のように磨くことによって自己変革を行うチャンスでもある、と思っています

ここからは私の備忘録です
私自身、若い頃のことを思い出してみると。。。若い頃は結構仕事で失敗が多かったわけですが
その失敗の都度、お客様に適当な嘘をついて「言い訳」をしていたことを思い出します
何かを忘れていてお客様に迷惑をかけたとき、適当な嘘をついて、怒られないように誤魔化していたことを思い出します
そしてそんなとき、「お客さんには見抜かれてるのかもな」と感じたこともありました
実際、肝心なときには上司が出ていかないと話がまとまらず、「なんで私では駄目なんだ」とお客さんを逆恨みしたこともありましたが
結局、「軽い嘘をつく」という事を見抜かれていて、信用されていなかったんだろうと、今になると思い当たることがあります
こんなこと、若い頃は誰しもあるようなことではありますが、これも実は立派な妖怪性の一つだと言えます
妖怪は「責任回避のために嘘をついてごまかす」癖があるんです。。。特に軽い嘘をつくのは「狐」とかの動物霊が多いと言います

若い頃の仕事は営業職だったんですが、上司の追及が嫌で、嘘ばかりの営業日報を書いていました
よく仕事をさぼって喫茶店で漫画を読んでおりましたので。。。なので、書ける内容がない訳です
これも日頃から嘘をついていたことの証拠ですね。。。普通に息をするように嘘をついていました
人間は軽い嘘を何度もついているうちに、罪悪感がマヒしてしまうんですね。。。上司にも会社にも、本当に申し訳なかったと思います

また、営業でもありましたので、過ぎた綺語をたくさん使っていました
その前の仕事は営業で主婦層を相手にすることが多かったものですから、とくに、「相手をほめる」ということをよくやっていました
特に「さりげなくほめる」という事が重要で、わざとらしいほめ言葉は相手に見抜かれてしまいます
なので、よくやっていたのが、「相手をよく観察して、相手がほめて欲しそうなところを見抜く」という事でした
そして、相手が間違いなく喜びそうなところを見つけたら、本気を込めてほめていました。。。本気で演技するわけです
この、「相手のほめて欲しそうなことを見つける」ということと、「相手が理解して欲しいと思っていることを見つける」
ということが、実は営業のノウハウでもあるわけです。。。ですが、それも実は度が過ぎるとダメなわけで
「相手の欲望を見抜く」というのは、これは霊的な目で見ると、「狐」などが、相手の心をよんで指導していることが多いようです
相手をおだてる。。。というのは綺語、つまり「過ぎたお世辞」なわけで、嘘なわけです
でも、本心は違っていても言葉では相手を上手におだててのせていくわけです
仏教には不綺語と言って、「過ぎたお世辞を言うな」という戒律があります。。。それは嘘で相手を騙すからです

余談ですが、その業界にいたころ、私の周囲は「不倫」だらけでした
そのような営業職の人は、特に女性を口説くのが上手く、聞き上手で駆け引きが上手なので
その会社にいた女性事務員さんは、若い女性はほぼ例外なく営業に食べられていました。。。主婦も含めて。。。
営業はお金の使い方も派手で、ギャンブルなどに興ずる人も多く、女遊びも派手
結局、そこにしばらく身を置いていた私も、影響を受けていたことは否めません

今日はこれまでにします
こうやって新たな反省の切り口を見つけては、ときどき自分の過去を点検しませんと、自分が妖怪化しているかどうか、分からなくなりますね
でも、こういう新たな反省材料が見つかることはありがたいことです
これからは、できる限り誠実に生きていける自分でありたいと思います
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Aさんの母親の見た夢

2023-03-13 09:10:32 | 政治
備忘録として夢日記を書いておきたいと思います
昨日Aさんから電話があり、奇妙なことを私に伝えてきました
Aさん曰く、Aさんの母親にも昔から霊感らしきものがあり、象徴的で未来予知的な夢を見ることがあるとか
そのAさんの母親が最近見た夢を私に報告してきたのです

①3月4日ごろ(推定)、私が火車になっていた、という夢
②背が高く四角い眼鏡をかけた男性が、有名な心霊スポットの池の橋の上で何かを考えこんで迷っている夢

①の意味はだいたいわかります。。。というか、なんとなく心当たりがあります(笑)
火車(かしゃ)とは、調べてみたところ、日本の妖怪の一つであり、猫又という猫の妖怪が正体ともいわれています
火車は生前、悪行を重ねていた人の死体を、葬式や墓場から持ち去る、と言われている妖怪だと言われています
要するに、私が最近妖怪ついて何度も批判的に見える日記を書き綴っているために、おそらくは「脅し」の意味を込めて警告してきたのでしょう
それに関連していると思われる出来事が、3月3日に大川隆法先生が亡くなられたと報道があったことです
生前の最後に、大川総裁は妖怪についての本を出され、「妖怪にならないための言葉」の中で
妖怪の頭目と目されるものの正体について明かされました。。。その直後に、大川総裁は肉体的に一度お亡くなりになられたわけです

ネタバレを防ぎ、直接読む方を増やしたいという思いから、その正体については、あえて伏せておきたいと思いますが
大川総裁が肉体的に亡くなったとされた数日後に緊急発刊された格はいく集「不惜身命の姿・特別編」を読むと
大川総裁が妖怪についての研究をしなければならないと深く考え、書籍「妖怪にならないための言葉」を執筆するころから
霊的な攻撃が激しくなり、体調が思わしくなくなっていく様子が書き記されていました。。。2月の中盤以降のことです
私も以前、大蛇の霊から激しい攻撃を受けた時に、心筋梗塞になりかけていたことから、その霊的な攻撃の意味はよく理解できます
本当に胸が差し込まれるように痛くなり、それがずっと続き、動悸や不整脈が現れ、危険な状態になりましたので。。。
それとは比較にならないほど、はるかに強い攻撃を大川総裁が受けていたであろうことは、推測するに難くないわけです

通常の場合、大川総裁はそういう「霊的な呪い」を簡単に跳ね返す力がありますが
そのときに限って、「なぜ」攻撃を跳ね返さなかったのか?
あえて攻撃を跳ね返さず、なぜ攻撃を防御するだけに徹して、体の不調に耐えていたのか?
その私の疑問についても間接的に書かれていました。。。その理由を知りたい方はぜひ同書2冊をお読みになることをお勧めします
私は決して本を売りたいから言っているわけではなく、直接読むことで、霊的な世界の真実がよりリアルに分かるようになると思うからです
大川総裁が自らの命を賭して明らかにしたことを、どうか多くの方に知っていただきたいと心から願うものです

話は戻りますが、火車が現れた意味はこういうことだと思います
「大川総裁のようになりたくなければ、お前も余計なことを書くなよ」
「大川総裁のように、生前悪事を働いていた者は、わしが死体を連れ去ってやるから覚えとけ」
ということなのでしょう。。。まあ、大川総裁が火車程度に連れ去られるわけはありませんが(笑)
要するに、妖怪の立場から見れば、大川総裁は「悪い人・悪人」に見えるという事なのでしょう
そして私もまた「悪人」認定されたという事です
でもね。。。物事は相対的に見えるという事なのですよ。。。
私たちの立場から見れば日本の妖怪は善悪を曖昧にし、反省ができない。。。世界標準から見て、世界宗教にはなれない日本神道
その神々の中に、妖怪と目される「神を自称する妖怪」がたくさんいる事、これはやはり明らかにしていくべきでしょう
私は、まだ大川総裁がいなくなるとはまったく思っていませんが、大川総裁の意思を汲み取り、真実を明らかにするお手伝いをしていきたいと思います

長くなりますのでこの辺で、もう一つの夢の意味は、機会があれば後日にでも
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