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見直すべき聖徳太子と行基の功績

2023-03-19 03:27:49 | 日記
聖徳太子の時代は仏教推進派と廃仏毀釈派の争った時代でした
当時の雰囲気を正確に伝える文献はありませんが、一つの考えるヒントとして
大川隆法著「聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実」という書籍を参考として、当時のことを推測してみたいと思います
なぜ、いまさらそんなことをするのか?その理由は何か?ですが。。。
今の日本政治の混迷と、日本の国そのものの混迷、その原因が
「善悪を曖昧にし、本音と建て前を分け、うわべを繕う、その精神性にある」と思われるからで
元をたどっていけば、それは日本人の宗教観に遠因を持つ。。。と思われるからです
私は、日本人の多く、そして日本の政治家の多くが、何度も日本人として転生を繰り返しており、過去の精神性を受け継いでいると思っています
すべてとは言いませんが、日本神道系の魂には「悪い癖」があり、それが、「善悪を曖昧にし、嘘をついても、建前が良ければかまわない」
という、妖怪的な傾向だと思っています。。。これは日本の政治家にも根強くある傾向性です

日本神道系の魂には、とかく「自分に信仰を集めたがる」という傾向性があります
この点において、同じく大川隆法著「武内宿禰の霊言」のなかで、武内宿禰が鋭い指摘をしていました
P23.「(地上に転生してからの)実績がないからね。名前に執着しているんでしょうけど。」
確かに、日本神道の神話を読むと、とかく土着神話をまとめたものになっていて、今で言えば政治家の歴史のようになっていますが
それが「神」として崇められるようになったのは、結局神社を建てて祀ったからにほかなりません
結局は「どんな実績を残したのか?」は、あとから神話として付け加えられているわけで、要は「神」というより上下の「上」
というぐらいの意味なわけです
立場として指導者の家に子孫として生まれて、王権神授説よろしく、神になっている例が多いわけです
その立場に生まれたことですでに「神に選ばれたのだ」ということですね。。。でも、それは間違った考え方です

これが日本古来からの神道的な信仰であるわけで、それが、高千穂勢、大和勢、出雲勢、といった具合に、土着の信仰をそれぞれ持ち
大和の中でも、葛城には加茂氏や物部氏(土蜘蛛族)がおり、他にも蘇我氏や藤原氏など様々な豪族がそれぞれ独自の信仰対象を持っていたわけです
そしてややこしいのが、天照信仰という太陽信仰もまた、一人の「天照」を指すものではなく、元々はそれぞれの「天照」がおり
最終的に勝ち抜いた「高千穂勢の天照」が、「天照大神」を名乗って信仰を集め始めた、という歴史があるわけです
日本神道の歴史は「勝てば官軍」であり、「勝ったものが信仰を集める権利がある」ということであり
負けた部族たちの「怨嗟の声」を恐れるあまり
「勝った側が負けた側の部族の血流を(后として)受け入れ、親族扱いとし、怨霊を神として祀る」という文化が出来たと考えられるわけです
その代表的なものが出雲大社であるわけです。。。そして、大和朝廷には出雲の血流も入っています
しかし、そこには「善悪を分ける」という考え方が、そもそも存在しないわけです

自分たちの信仰が否定され、「裏側」に追いやられる悔しさが分からないわけではありません
しかし、日本神道には、いまだもって「戦いに負けた側の不成仏な悔しい思い」が残り続けているという現実があります
特に「仏教が興隆して以降の土着信仰勢力の不成仏さ」は際立っているように思います
聖徳太子が蘇我馬子とともに、強かった物部守屋を倒し、推古天皇の摂政となって政治にかかわった背景には
当時、豪族たちの争いが多く、政治が乱れていたということが深く関係しています
天皇家はいつ暗殺されるかもしれず、なり手がなかったことから、女性である推古天皇が皇位につき
聖徳太子が摂政になって、冠位十二階制度を作り、実力本位の人事による政治制度を作ろうとしました
結局、それまでの朝廷の政治権力・立場は、そのまま豪族の力関係が反映されていたものであり、実力本位ではなかったわけです
それは現代でも、政治家の2世、3世議員の多さから見ても、世襲制や王権神授説的な政治が踏襲されていることが分かるわけで
聖徳太子が持ち込んだのは、実力主義・能力主義であり、仏教精神に基づけば
「人は生まれによって決まらない、人はその人の悟りや能力の高さによって決まる」という事だったわけです
そしてその仏教をさらに日本に根付かせた功績者が行基でした

行基の功績は、奈良の東大寺を建立したのみならず、聖武天皇から帰依を受け、実質上、日本を仏教国に変貌させ
そして、日本各地に仏教寺院を建立し、民間の仏教信仰を根付かせた点にあります
中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺した「大化の改新」により、一時的に廃仏毀釈(仏教を廃し神道を重んじること)の流れができたものの
その後の仏教の興隆は止まりませんでした。。。大化の改新は、聖徳太子の仏教興隆の反作用であったと思われます
また、一般的に、お遍路信仰というと、お大師さん、弘法大師空海の名が有名ですが、空海が拓いたとされる四国八十八か所も
実はそのかなりの寺院が、行基の建立によるものだとは、あまり知られていません
行基は、「行基瓦(ぎょうきがわら)」の名前でも知られる、日本瓦を使った仏教建築を次々と建て、ため池や橋などを作り
まさに弘法大師が行ったことの先駆者として、仏教の興隆に大きな功績を残しました
行基は、「妖怪にならないための言葉」によると、若草山で5千人もの人に説法したそうですから
仏教の中興の祖として相当な実力者であったことがうかがえます

「妖怪にならないための言葉」の中に出てくる「一言主(ひとことぬし)」(奈良県葛城の一言主神社に祀られている)は
すでに妖怪化しているとのことですが、その出自は「物部系の豪族(土蜘蛛一族)の神官」だったことが同書で明らかにされています
そして、彼らを霊界で裏側(妖怪・仙人・天狗界)に封印したメンバーの中心に、行基がいるとのことです
詳しくは同書を読んでいただきたいのですが。私が推測するに、結局、仏教信仰が盛んになって、土着信仰が廃れていった
ということなのでしょう
その「信仰を廃れさせられてしまった」という恨みが、妖怪化して残っているという事でしょうね

私は思うのですが、日本において民間人の道徳を根付かせたのは仏教の功績が非常に大きいと思います
土着神道的な考え方に偏ると、「何が正しいか?」ではなくて「どの豪族、どの民族の神が正しいか?」で判断されてしまいます
政治的に何が正しいか?ではなくて、例えば物部家が正しい。。。みたいなことになるわけです
豪族の力関係によって、善悪が決まってしまうわけです。。。しかしながら、それは普遍的な考え方ではないわけですよね?
彼ら物部が、もちろん物部だけではありませんが、彼らが裏側に封じ込められた背景には
もっともっと高い次元の神仏による判断があったのであろうと、私は推察しています
そうでなければ、仏教による善と悪を分ける教えが根付かなければ、日本人にしっかりと道徳心が根付くことはなかったのではないでしょうか?

ですから、善悪を分ける教えのない土着信仰が、国の中心に座ってはいけないと、私は思います
そういうことを、本日の結論としたいと思います
ありがとうございました

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