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過去の記憶を紐解いて自らの妖怪性を点検する

2023-03-14 01:08:01 | 政治
さて、前回の日記に関することを書いていきます
私自身、分かっていたこととは言え、日本神道の信仰の矛盾を指摘することで、八百万の神々と呼ばれる方々から睨まれ
何らかの”障り”があるかもしれないことを想定はしておりました
正直、「神」と呼ばれる存在が、人間を私怨により罰するなどという事があっていいのか?罰を当てる「神」は本当に「神」なのか?
ということを、一つの問題提起として、最初に残しておきたいと思います
神道の八百万の神々は、「神罰」と言って、結構人間を殺したりするんですよね。。。これが本当に神なのかは疑問の残るところでもあります
怨霊になって人を呪い殺すのが神だというなら、なんだか、神は神でも「邪神」のようにも見えますし、「妖怪」のようにも見えます

本来の神罰は「善因善果・悪因悪果」のゆえに、自らの思いと行いの結果が「因果応報」によって自らに帰ってくるものです
この世で「因果応報」が完結しない場合は、その人の死後に完結することになります
分かりやすく言うと、この世で多くの人を騙したり蹴落としたりして権力者になった人が、その報いを生前受けることがなかった場合
その報いはその人の死後にあの世で受けることになります。。。つまり、死後に厳しい「反省行」が待ち受ける事になるわけです
ですから、神社の神様が神罰を下して人を殺す。。。というのは、これは神罰というより単なる「障り」であり「呪い」と言えるでしょう

話は変わりますが
私は過去の反省を行う場合、こうして日記風に出来事を書き綴っていくうちに
過去の詳細な出来事を思い出し、深い反省に入っていくことができるという、ちょっと変わった人です
今回、書籍「妖怪にならないための言葉」を読んでいて、痛切に反省の必要性を感じました
もし私自身に強い「妖怪性」があるとしたら
いま、日本神道の妖怪性を何度も指摘している私自身が、逆に妖怪による「障り」を受けることになるだろうと思っています
なぜなら、心の世界は波長同通であり、呪いをかける者と呪いを受ける者の波長が同通すると、呪いが成立するからです
ですから今は、自身の心を鏡のように磨くことによって自己変革を行うチャンスでもある、と思っています

ここからは私の備忘録です
私自身、若い頃のことを思い出してみると。。。若い頃は結構仕事で失敗が多かったわけですが
その失敗の都度、お客様に適当な嘘をついて「言い訳」をしていたことを思い出します
何かを忘れていてお客様に迷惑をかけたとき、適当な嘘をついて、怒られないように誤魔化していたことを思い出します
そしてそんなとき、「お客さんには見抜かれてるのかもな」と感じたこともありました
実際、肝心なときには上司が出ていかないと話がまとまらず、「なんで私では駄目なんだ」とお客さんを逆恨みしたこともありましたが
結局、「軽い嘘をつく」という事を見抜かれていて、信用されていなかったんだろうと、今になると思い当たることがあります
こんなこと、若い頃は誰しもあるようなことではありますが、これも実は立派な妖怪性の一つだと言えます
妖怪は「責任回避のために嘘をついてごまかす」癖があるんです。。。特に軽い嘘をつくのは「狐」とかの動物霊が多いと言います

若い頃の仕事は営業職だったんですが、上司の追及が嫌で、嘘ばかりの営業日報を書いていました
よく仕事をさぼって喫茶店で漫画を読んでおりましたので。。。なので、書ける内容がない訳です
これも日頃から嘘をついていたことの証拠ですね。。。普通に息をするように嘘をついていました
人間は軽い嘘を何度もついているうちに、罪悪感がマヒしてしまうんですね。。。上司にも会社にも、本当に申し訳なかったと思います

また、営業でもありましたので、過ぎた綺語をたくさん使っていました
その前の仕事は営業で主婦層を相手にすることが多かったものですから、とくに、「相手をほめる」ということをよくやっていました
特に「さりげなくほめる」という事が重要で、わざとらしいほめ言葉は相手に見抜かれてしまいます
なので、よくやっていたのが、「相手をよく観察して、相手がほめて欲しそうなところを見抜く」という事でした
そして、相手が間違いなく喜びそうなところを見つけたら、本気を込めてほめていました。。。本気で演技するわけです
この、「相手のほめて欲しそうなことを見つける」ということと、「相手が理解して欲しいと思っていることを見つける」
ということが、実は営業のノウハウでもあるわけです。。。ですが、それも実は度が過ぎるとダメなわけで
「相手の欲望を見抜く」というのは、これは霊的な目で見ると、「狐」などが、相手の心をよんで指導していることが多いようです
相手をおだてる。。。というのは綺語、つまり「過ぎたお世辞」なわけで、嘘なわけです
でも、本心は違っていても言葉では相手を上手におだててのせていくわけです
仏教には不綺語と言って、「過ぎたお世辞を言うな」という戒律があります。。。それは嘘で相手を騙すからです

余談ですが、その業界にいたころ、私の周囲は「不倫」だらけでした
そのような営業職の人は、特に女性を口説くのが上手く、聞き上手で駆け引きが上手なので
その会社にいた女性事務員さんは、若い女性はほぼ例外なく営業に食べられていました。。。主婦も含めて。。。
営業はお金の使い方も派手で、ギャンブルなどに興ずる人も多く、女遊びも派手
結局、そこにしばらく身を置いていた私も、影響を受けていたことは否めません

今日はこれまでにします
こうやって新たな反省の切り口を見つけては、ときどき自分の過去を点検しませんと、自分が妖怪化しているかどうか、分からなくなりますね
でも、こういう新たな反省材料が見つかることはありがたいことです
これからは、できる限り誠実に生きていける自分でありたいと思います

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