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神道の研究。。。古事記とは何か

2023-03-17 02:01:01 | 政治
最近、私は八百万の神といわれる神道系の神々について、以前のように畏敬の念、畏怖の念を抱かなくなりました
といいますのも、世界標準的に見れば、神道にははっきりとした教えがなく
アニミズム的な霊魂信仰を、古事記や日本書紀などの神話を作ることで権威づけているように見えてきているからです
もちろん、イザナギ、イザナミの国生み神話は、聖書の創世記に匹敵するような、「天地創造の神話」と見る向きもあるでしょう
ただ、神話の神々が様々に下りられて国づくりをしてきたのならば、なぜ、それだけの教えが生み出されなかったのでしょうか?

例えば、モーゼがエホバとかヤハウェ―などという神から啓示を受け十戒を授かったり
エリアが預言者として旧約聖書に教えを残し、また、ナザレのイエスが3年間教えを説き、伝道して新訳聖書の教えを残したり
ゴータマ・シッダールタが大悟して仏陀となり、弟子が仏陀の教えを経典にまとめ上げ仏教の宗派を多数起こしたり
ムハンマドがアラーから啓示を受け、イスラム教の経典を残したりと
世界的宗教には、必ず神や仏から授かった教えというものが存在し、それが善悪の判断をわけることで、道徳の元を作っています
ところが、神道にはそれがないんですよね。。。善悪を分けるための判断基準としての神からの教えがないわけです
古事記を見ても、日本書紀を見ても、ただ、神々の出来事、イベントが時系列で羅列してあるだけです
日本の善悪を分け、道徳の元になったのは、おそらくは仏教と儒教の影響です
これが教えとして入ってきたことで、日本人の道徳心が養われたと言っていいのではないでしょうか?

私は思うのですが、神道には「万象万物を神とする教え」のような考え方がありますが
それはむしろこじつけのようなものであって、本当のところは「教えを説けるような人物が存在しなかった」のではないかと思うのです
神道系の教えとしては、最近では「生長の家」などの新宗教がありますが
これも、初代教祖である谷口正春氏が、哲学者エマソンなどの思想を学び、「本来病なし」とか「光一元」の思想を打ち出したものの
天国と地獄についてはよく分からなかったようですし、どんな生き方をすれば天国で、どんな生き方が地獄なのか
これも教えとしてはありませんでした。。。つまり、天国地獄が曖昧なままなのです
また神道系では、教えの少なさを補完するために、江戸時代後期から金光教や黒住教、天理教など、様々な新宗教が生まれました
しかしながら、どれも釈迦やキリストを超えて広がるほど普遍性のある教えではなかったと思われます
その理由は、「人間の生き方に善悪を分ける基準を明確にすること」が出来なかったからだと私は思っています
もちろん、キリスト教にもイスラム教にも、不十分なところはありますが
少なくとも、どのような考え方が善で、どのような考え方が悪なのか、そうした善悪の区別をつける教えはきちんと入っています

聖徳太子が17条憲法において、「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」と、記しているところを見ると
日本の道徳の基準を作ったのはやはり仏教であると見るべきで、それがゆえに、国づくりに仏教を必要としたと見るべきでしょう
蘇我氏と聖徳太子が物部氏に勝って、仏教が日本の皇室にも入って、初めて日本の神々に正当性が生まれた。。。と、私は見ています
私は思うのですが、もし今の皇室の祖先が仏教に帰依しなければ、皇室は既に絶えていた可能性もあると私は思います
それは、仏教伝来前の皇室の正当性は「いくさに勝ったこと」でしかなかったからです
もし、皇室が仏教に帰依せず、奈良の大仏などを建立しないで、「自分たちこそ神だ」と名乗っていたら
もしかすると他の勢力によって皇室は滅ぼされ、別の支配者が日本を統治していたかもしれません。。。それは中国の歴史を見ても明らかです
皇室がきちんと皇の字を名乗ることができるようになったのは、聖徳太子以降です
それまでは天皇家もまた。「ただの大和地方の国王の一人」として、諸国の有力豪族の一つに過ぎなかったという事は
以前紹介した「神社チャンネル」さんの動画でも説明がありました
当時は加茂氏や物部氏など、有力な豪族が大和地方にもひしめいており、諸侯の争いが絶えなかったようですので
本当に国がまとまったのは、おそらく聖徳太子以降であり
本当の意味で国が安定したのは、行基菩薩が出て仏教が隆盛を極めたころからでしょう

こうしてみてみると、前回ご紹介した書籍「妖怪にならないための言葉」に出てくる物部氏が
妖怪の代表格として紹介されている理由がよく分かります
書籍の中で出てくる「一言主(ひとことぬし)」という神は、葛城山地方の物部氏の神官として、妖怪化しているようですが
この物部氏が仏教に反対していた理由は、おそらくは仏教が流行すると、「善悪がはっきり分かってしまうため」だと思われます
都合が悪かったんでしょうね。。。自分たちの信仰する神々こそ正しいと思っていたが、仏教の普遍的な教えが入ると
善なる考え方と悪なる考え方がはっきりしてくる。。。これが都合が悪かったのではないかと思います

今日は古事記とは何かというテーマでしたが、古事記の内容には中々踏み込めませんでした
ですが、古事記は基本的には皇室の政権が安定したのちに、皇室の正当性を証明するものとして書かれた歴史書であり
基本的には「自画自賛」の域を出ないもののように感じます
皇室を敬う事が大好きな人には、なかなか受け入れられないかもしれませんが、私はもうそろそろ、皇室の正当性について見直すべきだと思います
皇室が後世に残っていくかどうかは、正しい宗教性を維持できるかどうかにかかっているように、私には思えてなりません

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