今日はなかなか面白い経験をしました
このブログで何度もご紹介しているリチャード・ヴェルナー氏の「虚構の終焉」という本を
いま時間の合間、合間に読んでいるんですが、そこで面白いことに気が付いたんですよ
それは、私の尊敬している三橋貴明先生が、どうやらヴェルナーの書籍を精読していて
ヴェルナーの本が、三橋先生の考え方に大きな影響を与えているらしい。。。ということが分かったんです
三橋先生ではありませんが、私が人生で一番敬愛し、ご尊敬申し上げている一番の先生である方が、以前こんなことを言ってたんです
「書物をたくさん読んでいると、人が話していることを聞いて、その人が何を読んでいるのかが分かるようになる」
というんです。。。その言葉を思い出しました
その言葉を思い出した途端。。。「ああ、そうだったのか。。。三橋先生はそういう風に考える方なんだ」と、妙に納得してしまいました
そして、三橋先生が何をやろうとしていて、彼の考え方のどこに思想的なつまずきがあるのか?それが理解できた感じがしました
三橋貴明さんは、とても優秀な方で、本をよく読んでいらっしゃることは間違いありませんが
特に、頭の中に書棚があって、読んだ本の中身のエッセンスにあたる部分。。。つまり本質をきちんと理解していて
他人に説明したりするときには、そのエッセンスから知識を自由に使えるような頭の構造になっているようです
それができるだけでも、相当優秀な方なのですが、それができるようになるには、思考訓練が必要なんですね
思考訓練というと難しく聞こえるかもしれませんが、要は、一つのテーマについて、「何時間も考え続ける」という訓練です
私もよくそれをやっているので、つたない頭ではありますが、よくわかるのです
こういうタイプの人は、一つのテーマについて深く深く掘り下げると、どんどんインスピレーションが下りてきて、物事の本質がつかめるようになるのです
ヴェルナーの書籍が三橋貴明さんに与えている影響、それはおそらくフィクション・エコノミクスという言葉にヒントがあります
フィクション・エコノミクスとは、ヴェルナーの「虚構の終焉」という書籍の副題であり
主流派経済学を揶揄した言い方なのです。。。つまり、「現実を無視して理想を追いかける虚構の経済学」という意味です
主流派経済学=フィクションである=虚構である ということです
竹中平蔵センセはもともと主流派の経済学者ですが、彼のような主流派経済学者を、現実を無視してフィクションを信じる輩だと、揶揄しているのです
ヴェルナーが良心的な学者だということが分かるのは、彼が主流派の経済学者の本質を暴露しているからです
ヴェルナーさんは、おそらく出世コースからは外れる方でありましょう(笑)
なぜなら、主流派経済学というのは、世界的権威と言われる学者たちが名を連ねていますが
その「世界的権威の学者に権威を授けた存在たち」が作り上げた理論であり理想論だからです
つまり、この本でヴェルナーが暴露しているのは
世界の権威と言われる経済学者たちは、ある特定の人たちによって作り上げられた「虚構の権威」を身にまとっている存在だ、ということなんです
ある特定の人たちとは。。。これは、はっきり言えば金融資本家。。。世界の銀行家たちですね
ノーベル経済学賞というのがありますが、このノーベル経済学賞というのは正式なノーベル賞ではありません
まったくの別物であり、その賞を作った人たちこそ、銀行家たちなのです。。。つまり銀行勲章なのです
だから彼ら銀行家たちに都合の良い理論を唱える人たちこそ、勲章を与えられる人たち。。。ということになります
私は以前から、主流派と呼ばれる経済学者たちは、「理論をわずかにすり替えている」感じがして仕方がありませんでした
その感はやはり当たっていたわけで
要は、お金儲けが好きなエゴイストたちが、自分たちのために考案した経済学なので
民衆の生活をよくするという考えは、基本的に最初から入っていない、というのがその本質でした
その一部の人たちの都合により組み立てられた経済理論という虚構を破壊するために、現実に即した理論を構築しようとしているのが
MMTを前面に立てようとしている三橋さんたちだということなのです
ヴェルナーは、経済学には帰納法と演繹法という二つのアプローチが存在する、と述べていて
主流派経済学は演繹法。。。。つまり、立てられた理想論のもとに理論を構築するアプローチであり
MMTは帰納法。。。。つまり、事実に即して理論を立てる数学的なアプローチです
おそらく、三橋先生は事実に即さない主流派を葬り去りたいのでしょう。。。そのためにMMTを打ち出して事実で戦っているのだと思います
ですがね。。。。。。。ここまで聞くと、MMTは帰納的で現実に即しているので正しいように見えますが。。。
これは経済学とは関係なく聞こえるかもしれませんが、仏教には中道という言葉がありまして
「左右の両極端を排した見方にこそ、真実はある」と教えているのです
この帰納法にもまた、落とし穴があり、主流派経済学をバッサリ切るために現実だけを見る、というアプローチにも
やはり間違いがあるということを、次回は説明したいと思います
それではまた
このブログで何度もご紹介しているリチャード・ヴェルナー氏の「虚構の終焉」という本を
いま時間の合間、合間に読んでいるんですが、そこで面白いことに気が付いたんですよ
それは、私の尊敬している三橋貴明先生が、どうやらヴェルナーの書籍を精読していて
ヴェルナーの本が、三橋先生の考え方に大きな影響を与えているらしい。。。ということが分かったんです
三橋先生ではありませんが、私が人生で一番敬愛し、ご尊敬申し上げている一番の先生である方が、以前こんなことを言ってたんです
「書物をたくさん読んでいると、人が話していることを聞いて、その人が何を読んでいるのかが分かるようになる」
というんです。。。その言葉を思い出しました
その言葉を思い出した途端。。。「ああ、そうだったのか。。。三橋先生はそういう風に考える方なんだ」と、妙に納得してしまいました
そして、三橋先生が何をやろうとしていて、彼の考え方のどこに思想的なつまずきがあるのか?それが理解できた感じがしました
三橋貴明さんは、とても優秀な方で、本をよく読んでいらっしゃることは間違いありませんが
特に、頭の中に書棚があって、読んだ本の中身のエッセンスにあたる部分。。。つまり本質をきちんと理解していて
他人に説明したりするときには、そのエッセンスから知識を自由に使えるような頭の構造になっているようです
それができるだけでも、相当優秀な方なのですが、それができるようになるには、思考訓練が必要なんですね
思考訓練というと難しく聞こえるかもしれませんが、要は、一つのテーマについて、「何時間も考え続ける」という訓練です
私もよくそれをやっているので、つたない頭ではありますが、よくわかるのです
こういうタイプの人は、一つのテーマについて深く深く掘り下げると、どんどんインスピレーションが下りてきて、物事の本質がつかめるようになるのです
ヴェルナーの書籍が三橋貴明さんに与えている影響、それはおそらくフィクション・エコノミクスという言葉にヒントがあります
フィクション・エコノミクスとは、ヴェルナーの「虚構の終焉」という書籍の副題であり
主流派経済学を揶揄した言い方なのです。。。つまり、「現実を無視して理想を追いかける虚構の経済学」という意味です
主流派経済学=フィクションである=虚構である ということです
竹中平蔵センセはもともと主流派の経済学者ですが、彼のような主流派経済学者を、現実を無視してフィクションを信じる輩だと、揶揄しているのです
ヴェルナーが良心的な学者だということが分かるのは、彼が主流派の経済学者の本質を暴露しているからです
ヴェルナーさんは、おそらく出世コースからは外れる方でありましょう(笑)
なぜなら、主流派経済学というのは、世界的権威と言われる学者たちが名を連ねていますが
その「世界的権威の学者に権威を授けた存在たち」が作り上げた理論であり理想論だからです
つまり、この本でヴェルナーが暴露しているのは
世界の権威と言われる経済学者たちは、ある特定の人たちによって作り上げられた「虚構の権威」を身にまとっている存在だ、ということなんです
ある特定の人たちとは。。。これは、はっきり言えば金融資本家。。。世界の銀行家たちですね
ノーベル経済学賞というのがありますが、このノーベル経済学賞というのは正式なノーベル賞ではありません
まったくの別物であり、その賞を作った人たちこそ、銀行家たちなのです。。。つまり銀行勲章なのです
だから彼ら銀行家たちに都合の良い理論を唱える人たちこそ、勲章を与えられる人たち。。。ということになります
私は以前から、主流派と呼ばれる経済学者たちは、「理論をわずかにすり替えている」感じがして仕方がありませんでした
その感はやはり当たっていたわけで
要は、お金儲けが好きなエゴイストたちが、自分たちのために考案した経済学なので
民衆の生活をよくするという考えは、基本的に最初から入っていない、というのがその本質でした
その一部の人たちの都合により組み立てられた経済理論という虚構を破壊するために、現実に即した理論を構築しようとしているのが
MMTを前面に立てようとしている三橋さんたちだということなのです
ヴェルナーは、経済学には帰納法と演繹法という二つのアプローチが存在する、と述べていて
主流派経済学は演繹法。。。。つまり、立てられた理想論のもとに理論を構築するアプローチであり
MMTは帰納法。。。。つまり、事実に即して理論を立てる数学的なアプローチです
おそらく、三橋先生は事実に即さない主流派を葬り去りたいのでしょう。。。そのためにMMTを打ち出して事実で戦っているのだと思います
ですがね。。。。。。。ここまで聞くと、MMTは帰納的で現実に即しているので正しいように見えますが。。。
これは経済学とは関係なく聞こえるかもしれませんが、仏教には中道という言葉がありまして
「左右の両極端を排した見方にこそ、真実はある」と教えているのです
この帰納法にもまた、落とし穴があり、主流派経済学をバッサリ切るために現実だけを見る、というアプローチにも
やはり間違いがあるということを、次回は説明したいと思います
それではまた