バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

大人の時間、子供の時間…2013

2013-07-07 05:41:55 | やっぱりミニバス!
平成25年7月7日 日曜日
 
「大人の時間、子供の時間…2013」


今日は、七夕…織姫と彦星が一年に一度の逢瀬を果たす日です。

織姫と彦星にとってこの一年は永遠の時間のように長く、逢瀬のひと時はあっという間に過ぎゆくのでしょう。


昨日は、『象の時間、ネズミの時間』という記事を書きました。

象とネズミは異種の生き物ですから、その心拍数の打つ速さの違いで、

心拍を打つ回数が同じでも、人間の視点での生命の時間が異なるのです。

しかし、象やネズミ自身は、それが彼らの一生なのです。



以上の話は、象とネズミといった互いに違う特性にある、生きものの間の相対論です。


さて一方で、同じ種における“大人”と“子供”が感じる時間の経過の感覚は、大人になるほど短く感じ、子供は長く感じるというものです。


みなさんも感じられていると思います。

子供のころの一年と、大人になってからの一年という時間が過ぎる速さの違い…


なぜ大人になると一年が短く感じ、時間に限りがあると認識していくのでしょうか?


私なりに考えたのですが、

例えばヒトの場合は、同じ一時間でも、子供は大人よりしゃかしゃか動きます。

子供は同じ時間の中で、シャカシャカと大人より沢山動くことができます。

ですから子供にとってみれば、大人と同じ一時間という時間でも、

多くのことができるエネルギーに満ちていますから、

大人より時間がいっぱいあると感じ、時間が経つのを長く感じるのでしょう。



逆に大人になっていく事で、その生命力を消費していきますから、

子供のように一日を、しゃかしゃかと動け無くなっていくため、

じっとしていて、緩やかに感じる時間であっても、あっという間に一日が過ぎていくと感じるのだと思います。

また齢(ヨワイ)を重ねるにつれ、限りある寿命を実感として感じていくことで、

緩やかな時間でも、限られた時間だからこそ、その時の経過を早く過ぎていくと感じるのでしょう。


子供達は自分の持っている寿命というものを感じていません。

彼らの時間は無限にあるのです。

だから、大人は彼らから元気をもらうのです。

大人達は、だんだん自分の持っている時間の有限さを知っていきます。

その時間を無駄なく大切に使いたいと思うのです。

ですから愛する人のために、与えられた時間は、寿命としてしっかりと使い切るべきだと、私は思うのです。

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