平成25年7月7日 日曜日
「大人の時間、子供の時間…2013」
今日は、七夕…織姫と彦星が一年に一度の逢瀬を果たす日です。
織姫と彦星にとってこの一年は永遠の時間のように長く、逢瀬のひと時はあっという間に過ぎゆくのでしょう。
昨日は、『象の時間、ネズミの時間』という記事を書きました。
象とネズミは異種の生き物ですから、その心拍数の打つ速さの違いで、
心拍を打つ回数が同じでも、人間の視点での生命の時間が異なるのです。
しかし、象やネズミ自身は、それが彼らの一生なのです。
以上の話は、象とネズミといった互いに違う特性にある、生きものの間の相対論です。
さて一方で、同じ種における“大人”と“子供”が感じる時間の経過の感覚は、大人になるほど短く感じ、子供は長く感じるというものです。
みなさんも感じられていると思います。
子供のころの一年と、大人になってからの一年という時間が過ぎる速さの違い…
なぜ大人になると一年が短く感じ、時間に限りがあると認識していくのでしょうか?
私なりに考えたのですが、
例えばヒトの場合は、同じ一時間でも、子供は大人よりしゃかしゃか動きます。
子供は同じ時間の中で、シャカシャカと大人より沢山動くことができます。
ですから子供にとってみれば、大人と同じ一時間という時間でも、
多くのことができるエネルギーに満ちていますから、
大人より時間がいっぱいあると感じ、時間が経つのを長く感じるのでしょう。
逆に大人になっていく事で、その生命力を消費していきますから、
子供のように一日を、しゃかしゃかと動け無くなっていくため、
じっとしていて、緩やかに感じる時間であっても、あっという間に一日が過ぎていくと感じるのだと思います。
また齢(ヨワイ)を重ねるにつれ、限りある寿命を実感として感じていくことで、
緩やかな時間でも、限られた時間だからこそ、その時の経過を早く過ぎていくと感じるのでしょう。
子供達は自分の持っている寿命というものを感じていません。
彼らの時間は無限にあるのです。
だから、大人は彼らから元気をもらうのです。
大人達は、だんだん自分の持っている時間の有限さを知っていきます。
その時間を無駄なく大切に使いたいと思うのです。
ですから愛する人のために、与えられた時間は、寿命としてしっかりと使い切るべきだと、私は思うのです。
「大人の時間、子供の時間…2013」
今日は、七夕…織姫と彦星が一年に一度の逢瀬を果たす日です。
織姫と彦星にとってこの一年は永遠の時間のように長く、逢瀬のひと時はあっという間に過ぎゆくのでしょう。
昨日は、『象の時間、ネズミの時間』という記事を書きました。
象とネズミは異種の生き物ですから、その心拍数の打つ速さの違いで、
心拍を打つ回数が同じでも、人間の視点での生命の時間が異なるのです。
しかし、象やネズミ自身は、それが彼らの一生なのです。
以上の話は、象とネズミといった互いに違う特性にある、生きものの間の相対論です。
さて一方で、同じ種における“大人”と“子供”が感じる時間の経過の感覚は、大人になるほど短く感じ、子供は長く感じるというものです。
みなさんも感じられていると思います。
子供のころの一年と、大人になってからの一年という時間が過ぎる速さの違い…
なぜ大人になると一年が短く感じ、時間に限りがあると認識していくのでしょうか?
私なりに考えたのですが、
例えばヒトの場合は、同じ一時間でも、子供は大人よりしゃかしゃか動きます。
子供は同じ時間の中で、シャカシャカと大人より沢山動くことができます。
ですから子供にとってみれば、大人と同じ一時間という時間でも、
多くのことができるエネルギーに満ちていますから、
大人より時間がいっぱいあると感じ、時間が経つのを長く感じるのでしょう。
逆に大人になっていく事で、その生命力を消費していきますから、
子供のように一日を、しゃかしゃかと動け無くなっていくため、
じっとしていて、緩やかに感じる時間であっても、あっという間に一日が過ぎていくと感じるのだと思います。
また齢(ヨワイ)を重ねるにつれ、限りある寿命を実感として感じていくことで、
緩やかな時間でも、限られた時間だからこそ、その時の経過を早く過ぎていくと感じるのでしょう。
子供達は自分の持っている寿命というものを感じていません。
彼らの時間は無限にあるのです。
だから、大人は彼らから元気をもらうのです。
大人達は、だんだん自分の持っている時間の有限さを知っていきます。
その時間を無駄なく大切に使いたいと思うのです。
ですから愛する人のために、与えられた時間は、寿命としてしっかりと使い切るべきだと、私は思うのです。