湧水めぐり・まち歩き 藤川格司

水を調べている日々を書き込む予定です。最近は熱海のまち歩きを楽しんでいます。

熱海のまち歩き(15) 伊豆山走り湯の泉質の変化

2019年11月07日 | 熱海のまち歩き
熱海のまち歩き(15) 伊豆山走り湯の泉質の変化

伊豆山走り湯の泉質の変化を紹介します。


位置図





走り湯は湯量の豊富な自然湧出泉であったが、戦後に付近での掘削による源泉開発が進展して湯量が減少しました。1963年頃から枯渇状態になり、1964年12月に湧出が停止したようです。
走り湯より約100m南の地点で1965年頃に掘削が行われ、第二走り湯が誕生しました。一方、枯渇した走り湯は1970年頃に掘削が行われ、現在の走り湯として利用されています。
自然湧出時代の走り湯の泉質は酸性でしたが、現在はカルシウムー塩化物泉が多く、弱アルカリ性だそうです。(熱海温泉誌2017)

どのように変わったのか見てみましょう。

(熱海温泉誌2017)

走り湯の泉質の変化を示しました。1897年~1943年までの泉質はカルシウム・ナトリウムー硫酸塩塩化物泉で、pHが4ぐらいの酸性でした。総成分量は約1.4g/Kgと少なく、単純温泉に近い濃度です。枯渇しため1965年頃、掘削して第二走り湯になりました。1983年の泉質はカルシウムー塩化物泉で弱アルカリ性です。総成分量は約11.8g/Kgで10倍になっています。

違う温泉に生まれ変わったようです。

昔、熱海の温泉はナトリウム・カルシウムー塩化物泉とカルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉の2種類でした。生成過程を再度説明します。
熱海は昔は海底だったため、火山噴出物の地層に浸透した海水が昇温するに伴って、海水中のカルシウムイオンと硫酸イオンが結合して石膏となって沈殿した。同時に、海水中のナトリウムイオンとマグネシウムイオンは火山噴出物中の鉱物(長石類)のカルシウムイオンと入れ替わって鉱物中に取り込まれた。
海水側に溶けだしたカルシウムイオンは、残っていた硫酸イオンがなくなるまで、結合して石膏となって沈殿した。この一連の反応で、もともと海水に含まれていたマグネシウムイオンと硫酸イオンはほぼ完全に失われた。海水中のナトリウムイオンの量が多かったので、鉱物の中のカルシウムイオンと交換しても失われることがなかった。硫酸イオンがなくなったので、交換したカルシウムイオンも熱水の中に残った。このようにして、ナトリウム・カルシウムー塩化物泉熱水ができ、雨水とそれによる地下水で希釈されて温泉となりました。

一方、地層の中には沈殿した石膏とすこし熱水も残りました。雨水により地層からそれら石膏類が溶かし出されてカルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉の温泉ができました。熱水とは異なり、成分量は少ないです。
高地の浸透域では地層から石膏類が溶かし出されてカルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉の温泉水が生じた。低地の流出域では地下水で希釈されたナトリウム・カルシウムー塩化物泉の温泉水が沸き上がった。(熱海温泉誌2017)
カルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉の形成の過程は上記の通りですが、揚湯量が多くなり、地下水位が下がって枯渇したために、より深く掘削しました。そのため、大湯とも違う塩水化したカルシウム・ナトリウムー塩化物泉の温泉を汲み上げているようです。1983年の走り湯のヘキサダイアグラムは、大野屋ホテル、山田湯のヘキサダイアグラムに似ています。塩水化していますが、海水のヘキサダイアグラムと異なり、カルシウムイオンが多く温泉です。
安心してください。



現在の伊豆山周辺の温泉のヘキサダイアグラムを示しました。(伊豆山温泉、般若院浴場、ウェルハートピア熱海のHPより)
伊豆山神社を中心に高地部では、カルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉の温泉(酸性)が分布しているようです。ウェルハートピア熱海では日帰り温泉も楽しめます。般若院の温泉は閉鎖したそうです。

伊豆山温泉では高地部の酸性のカルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉の温泉と海岸近くの走り湯の弱アルカリ性のカルシウム・ナトリウムー塩化物泉の二つのタイプの温泉が楽しめます。
これも楽しいかな。


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