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湧水めぐり・まち歩き 藤川格司

水を調べている日々を書き込む予定です。最近は熱海のまち歩きを楽しんでいます。

沖縄 首里の湧水めぐり (3)寒水川樋川から新垣ヌカーまで

2025年04月09日 | 湧水めぐり
沖縄 首里の湧水めぐり (3)寒水川樋川から新垣ヌカーまで

湧水が豊かな首里、城下町といわれる地域には数多くのヒージャー(樋川)やカー(井戸)があります。久しぶりに湧水めぐりをしました。今回は首里城の南側を紹介します。

湧水の位置図(地下水学会誌46,3に一部加筆)
赤い丸が湧水めぐりをした地点です。坂が多く、いい運動になりました。
ヒージャーとは、湧出口となる水源がやや遠くにあって、石の樋を用いて水を引いてきて、水溜に水を貯えるというものである。石積みや石組も入念で、敷地面積の広い大型の水溜になっているものもある。これに対して、カーまたはガー(漢字では「川」と書く)は 自然の湧水をそのまま利用した井戸のことで、垂直に掘り込んだ所から水が湧き出るものをいう。(下地邦輝・島野安雄2004)

⑨寒水川樋川(スンガーヒージャー)

崖下にありました。「寒水川樋川」バス停があったのでわかりやすかったです。


説明板


半月形の水溜め


角田清美(2014)沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸 専修人文論集,94,65-106.
壁の中から水音が聞こえたが、流出はしていなかった。


下の水溜め
農業用水に利用されたらしい。

⑪金城大樋川(カナグスクウフヒージャー)

大樋川です。もともと湧水があったのかな。それを大規模にして共同井戸にしたようです。ここの標高は60mくらいです。


説明板


金城大樋川の構造
角田清美(2014)沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸 専修人文論集,94,65-106.


二つのかけ樋の口、湧水量が多かったのかな。池の中には小さな魚が泳いでいました。どこから来たのか?

⑬新垣(アラカチ)ヌカー


作った井戸のようです。すこし湧水があったのか?


説明板


新垣ヌカーの標高は40mぐらいなので、首里城(120m)から相当下に位置します。井戸底にはシルト層のようなものが見えています。これが不透水層になって、琉球石灰岩からの地下水を受け止めているのかな?


首里金城町の案内板
数多くの樋川と井戸があるそうです。これは楽しみだ。


石畳道 

久しぶりに湧水めぐりをしました。首里城のある尾根部分とそこから南側の斜面に分布する樋川と井戸を見て回りました。水を透しやすい琉球石灰岩層と水を透しにくい島尻層群(シルト層のようなもの)との関係で樋川と井戸が形成されていることがわかりました。首里金城町にはまだまだ樋川と井戸があるそうです。楽しみです。
下記の参考文献を引用させてもらいました。
参考文献
角田清美(2014)沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸 専修人文論集,94,65-106.
下地邦輝・島野安雄(2004)名水を訪ねて(66)地下水学会誌 第46巻第3号227~238.

沖縄 首里の湧水めぐり (2)宝口樋川から龍樋まで

2025年04月07日 | 湧水めぐり
沖縄 首里の湧水めぐり (2)宝口樋川から龍樋まで

湧水が豊かな首里、城下町といわれる地域には数多くのヒージャー(樋川)やカー(井戸)があります。久しぶりに湧水めぐりをしました。今回は首里城の北側を紹介します。

湧水の位置図(地下水学会誌46,3に一部加筆)
赤い丸が湧水めぐりをした地点です。
ヒージャーとは、湧出口となる水源がやや遠くにあって、石の樋を用いて水を引いてきて、水溜に水を貯えるというものである。石積みや石組も入念で、敷地面積の広い大型の水溜になっているものもある。これに対して、カーまたはガー(漢 字 では 「川」 と書く)は 自然の湧水をそのまま利用した井戸のことで、垂直に掘り込んだ所から水が湧き出るものをいう。(下地邦輝・島野安雄2004)

① 宝口樋川(タカラグチヒージャー)

宝口樋川


湧き出している湧水を触って、生ぬるい!・・・・・沖縄の湧水だ。那覇市の年平均気温が22.7℃なので、たぶん22℃くらいかな。




湧水量が少なく、どうしたのかな?

角田清美(2014)沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸 専修人文論集,94,65-106.(一部加筆)
このような構造になっていたのか。湧水があるところが琉球石灰岩層と島尻層群との不整合面になっていたのかな?

④佐司笠樋川(サシカサヒージャー)


佐司笠樋川






ここも湧水量が少ない。




なぞの円盤! これはなんだろうか?


角田清美(2014)沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸 専修人文論集,94,65-106.(一部加筆)
横穴から樋により流出していたようです。

大和井戸(ヤマトガー)
(1)で紹介しました。

佐久之川を探している途中の峠付近に井戸がありました。不思議なことに、井戸は地形的な尾根にあるのです。ここに井戸を掘るのかというところです。水は出るのかな?


大和井戸の説明板


井戸のポンプがあれば、盛大に水遊びをします。ちょっと井戸水は生ぬるいのですが・・・。久しぶりの湧水めぐりを楽しんでいます。

③ 佐久之川(サクヌガー)


佐久之川
探しました。地元の人に教えてもらい、やっと見つけました。






ヒージャーとカーの違いが判らなくなった。

⑥龍樋(リュウヒ)


首里 守礼門


龍樋
龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けた。石彫刻の龍頭は1523年に中国からもたらされたもので、沖縄戦で一部破棄されたが、補修された。この水は生活飲料水として利用されたらしい。


この水は透明です。この湧水の涵養域の大部分が首里城ですが、京の内とか森の多い所なので透明なのかな。


龍樋の構造
角田清美(2014)沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸 専修人文論集,94,65-106.(一部加筆)
湧き出る地下水を,小さな土手で堰き止め,そこから長さ約2.3mの吐水石龍頭で導水し,貯水槽へ注いでいる。(一部加筆しました。)
こんな構造になっていたのか。


石畳道 
久しぶりに湧水めぐりをしました。今回は首里城のある尾根部分とそこから北側の斜面に分布する樋川と井戸を見て回りました。水を透しやすい琉球石灰岩層と水を透しにくい島尻層群(シルト層のようなもの)との関係で樋川と井戸が形成されていることがわかりました。おもしろかった。
下記の参考文献を引用させてもらいました。
参考文献
角田清美(2014)沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸 専修人文論集,94,65-106.
下地邦輝・島野安雄(2004)名水を訪ねて(66)地下水学会誌 第46巻第3号227~238.



沖縄 首里の湧水めぐり2025/03/27~04/01 (1)大和井戸

2025年04月04日 | 湧水めぐり
沖縄 首里の湧水めぐり2025/03/27~04/01 (1)大和井戸

久しぶりに湧水めぐりをしました。特に印象に残った大和井戸(ヤマトガー)をまず紹介します。
本編は時間がかかりそうです。


大和井戸の位置(地下水学会誌に一部加筆)
井戸の標高は96mぐらいです。(地理院地図から読む)
首里城(標高120m)ほどはないが、十分標高の高いところで尾根部分に位置します。


佐久之川を探している途中の峠に差し掛かったところに井戸がありました。不思議なことに、井戸は尾根にあるのです。ここに井戸を掘るのかというところです。


大和井戸の説明板


ポンプ全景 もちろん水は出ます。水遊びをした後で撮影しました。


井戸のポンプがあれば、盛大に水遊びをします。ちょっと井戸水は生ぬるいのですが・・・。
暮らすように過ごす沖縄のたびです。本当に好きな所へぶらぶらした旅でした。
そして、湧水めぐりも久しぶりでした。久しぶりなので温度計を持っていくのを忘れました。だから・・・生ぬるい水でした。


京の湧水めぐり 今熊野観音寺、来迎院、泉涌寺 2024/10/23

2024年10月28日 | 湧水めぐり
京の湧水めぐり 今熊野観音寺、来迎院、泉涌寺 2024/10/23

京都の湧水を訪ねて来ました。日本全国に水を湧き出させた弘法大師さんの跡を京都で探しました。


今熊野観音寺の五智水
五智水(ごちすい)とは大日如来に備わる五つの智慧のこと、転じて、万能の霊力を持っている水という意味です。弘法大師が法具を突いて湧き出させたとされる井戸だそうです。お寺の人に聞きました。


ここに湧き出させるのは、すこし無理があるような。


現在はモーターで汲み上げていました。冷たかったです。ちょっと智慧のひとつぐらいはついたかな。


今熊野観音寺の鳥居橋 
観光客がいない静かなお寺でした。

次は来迎院(泉涌寺の塔頭のひとつ)

来迎院 ここも静かでした。


来迎院の独鈷水(どっこすい)
東山の山腹に掘られた横井戸で、柄杓の先数メートル付近が水源です。
弘法大師が独鈷という法具で岩肌を突くと水が湧き出たと伝わります。
ここも弘法さんが湧き出させたようです。


1.5mの柄杓でくみ出します。


内部はこんな状態です。すぐそこに水面が見えました。


地下水がしみだしてくるようなところです。

次は泉涌寺

泉涌水屋形




泉涌水屋形の内部
ここに清泉が湧き出したので、寺の名前を泉涌寺に改めたそうです。

京都の湧水めぐりをしていて、「泉涌寺」は湧水に関係すると気がつかなかった。まだまだです。



高野山を訪ねて 2024/10/22

2024年10月28日 | 湧水めぐり
高野山を訪ねて 2024/10/22

全国に杖を突いて水を涌かせた弘法大師が作った高野山を訪ねました。


壇上伽藍 根本大塔
高野山のシンボル、真言密教の根本道場として建立された、日本で最初の多宝塔。曼荼羅の世界が立体的に表現されているらしい。


奥之院 御廟橋
御廟に向かう参道に架かる最後の橋で、ここから奥は重要な聖域です。弘法大師がここまで送り迎えしてくれると言い伝えられています。一礼するのが習わしのようです。私も一礼して渡りました。


姿見の井戸
水面をのぞいて自分の姿が見えなければ、3年以内に命がなくなるとの言い伝えがある。高野山の七不思議のひとつだそうです。
バッチリ姿が確認できたの、3年は大丈夫そうです。


御影堂(みえどう)
弘法大師の持仏堂だった建物で、後で弟子が描いた御影が祀られ、今の名になった。
ここだけ金色の灯篭が飾られている。


こうやくんとツーショット
いろいろな人の供養塔などを見ながら、奥の院から壇上伽藍までしっかり歩きました。高野山は標高が高く、不便なところにあります。ここへ来るのは大変です。
弘法大師は、なぜここに高野山を開創したのかわかりませんでした。