湧水めぐり・まち歩き 藤川格司

水を調べている日々を書き込む予定です。最近は熱海のまち歩きを楽しんでいます。

熱海の水道物語

2021年04月13日 | 研究中
熱海の水道物語

熱海の西山町に凌寒荘がある。国文学者で歌人の佐佐木信綱さんの旧宅である。


凌寒荘の縁側に、「山と水と」があった。熱海の西山町で作られた歌だそうです。
そうか、西山地区は熱海の水道水源であったことを思い出した。


凌寒荘


位置図(熱海温泉郷観光ガイドマップに加筆)

熱海の水道物語を調べてみることにしました。資料は「熱海の水道」令和元年版 (熱海市 公営企業部 水道温泉課)を使用しました。


(1)水道開設以前
「熱海は古来より温泉は豊富であったが、清水は乏しいという悩みがあった。
水道開設以前は、糸川・初川・和田川等の上流で川を堰き止め、竹樋をもって各戸へ水を引いていた。水口方面から出る山水は比較的良質であったため、町の中心部まで引水され利用されていたが、主に川水を使用していたため悪疫が絶えなかった。」(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)


糸川(来宮神社横)
神社の横の河川のせいか、ゴミも落ちていなくてきれいでした。流量は10L/秒くらいでした。

(2)簡易水道の布設 明治16年(1883年)
「熱海に湯治中の貿易商、田中平八氏はこの状態を鑑みて水道布設の必要を感じ、金3千円の私費を投じ簡易水道を計画する。そして明治16年(1883年)、その地の人々の協力もあり簡易水道を完成させた。その施設の大要は日金山麓の湧水を来宮神社社務所の横に設けた貯水池に引水し、筧をもって町中に引いて町内6ヶ所に設けた貯水タンクに入れ、これを各戸に引水するものであった。これが熱海における水道の始まりである。」
(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)


伊豆熱海鉱泉絵図「あたみ歴史こぼれ話」第17話)2020年9月号掲載
来宮神社の横に貯水池が描かれている。明治23年頃はこの貯水池が水道水源だったらしい。


来宮神社御神水
貯水池の水は日金山麓の湧水を来宮神社社務所横まで持ってきたようです。
この水源が水道水源であったのかな。

(3)西山浄水場 明治42年(1909年)
「時が経つにつれ人口が増加し、また都会からの湯治客や、別荘を構える人がますます多くなっていった。明治41年(1908年)4月5日、熱海町熱海字立石の地に起工を開始し、同42年(1909年)11月21日竣工、西山浄水場は12月21日に給水を開始した。 水源は熱海町伊豆山字土沢、姫の沢湧水となっている。」(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)
昭和19年に佐佐木信綱さんは熱海に来ているので、西山浄水場を見ているはず。


(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)


航空写真(1949年 国土地理院)


航空写真(1976年国土地理院)

(4)丹那トンネルの湧水 昭和22年(1947年)
「終戦後、経済のめざましい発展に伴い、使用する水量も急激に増加していった。そこで、新しい水源として考えられたのが、丹那トンネルの水抜き抗から初川に放流されている湧水であり、うち12,000㎥を取水する計画が立てられた。幸い水質も良好であったため、昭和22年(1947年)に着工し6ヶ月を要して全長1,190mの配水管が完成した。
この結果、熱海の中心市街地は全域でその恩恵を受けることとなり、渇水期の断水が解消したばかりでなく、水を豊富に使用することができるようになった。」(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)




熱海市第一小学校
西山浄水場の跡地に建てられた。

「明治時代から熱海の上水道を支えてきた西山浄水場は、昭和29年(1954年)に廃止され第一小学校の敷地となり、代わって竹の沢(西山バス停下)に配水池が作られ、高台地区に一日6,000㎥の給水を開始した。
しかし、これだけでは発展する高台地区の需要を賄いきれないため、来宮駅下にもポンプ室を新設し、丹那湧水をポンプアップして、野中、咲見町、田原方面への送水を開始した。それまで年間200万㎥台であった水道使用量は、昭和28年(1953年)には300万㎥を超え、それ以降は年々増加の一途を辿っていくことになる。」(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)


来宮駅下の配水池
4000トンぐらい溜めることが出来るそうです。現在は古くなって、少し下に貯水タンクが増設されています。


明水神社


明水神社例大祭(2018/4/10)

明水神社は、現在の第一小学校の土地に西山浄水場があった頃、京都府宮津市の籠(この)神社からご神体を分けてもらい、1938年(昭和13年)に祀(まつ)られた。その後1955年(昭和30年)に約500メートル山側の現在の地へ社殿を移し、熱海市の水道の守り神になっている。東京の奥座敷だった熱海の上水道は1909年(明治42年)に給水を開始。全国市町で17番目の早さだった。 
(熱海ネット新聞2018/4/10)
西山浄水場は昭和29年に廃止されている。籠(この)神社には奥宮眞名井神社があり、「天の眞名井の水」があるそうです。奥が深い・・・。


(5)駿豆水道用水供給事業、柿田川の湧水 昭和50年(1975年)
「三島市、函南町、熱海市の再三の陳情の結果、県企業局も理解を示し、駿豆水道用水供給事業が昭和45年度(1970年度)より5ヵ年計画で着手される運びとなった。
昭和50年(1975年)3月より日量45,000㎥の供給を開始し、翌年度には日量100,000㎥の能力をもって供給されることになる。(総事業費83億円)」(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)


駿豆水道概要図(静岡県HP)
熱海には伊豆半島をまたいで、富士山の地下水である柿田川の水がやってきている。


柿田川湧水


(6)自己水源 平成20年(2008年)
「平成20年4月28日夕方、静岡県企業局中島浄水場で漏水事故が発生し、駿豆水道配水エリアにおいて3日間の断水を余儀なくされた。ゴールデンウィーク初日からの事故であり市民生活のほか、ホテル・旅館の営業に大打撃を与えた。この事故により自己水源の復活を求める声が強まり始めた。
昭和50年に熱海市契約受水量60,000㎥/日で給水が始まった駿豆水道であったが、節水志向や節水器具の普及、人口減少の影響より平成27年度中の1日最大配水量であっても14,500㎥/日まで駿豆水道の使用量が落ち込んでいった。
自己水源を有効に活用するための事業認可変更を申請し、今後、駿豆水道受水以前の水源の再整備を行い、駿豆水道の必要水量の見直しを行った。」
(熱海の水道令和元年版 熱海市 公営企業部 水道温泉課)

最近でも断水騒ぎ
2019年10月13日に台風19号により、柿田川からの水道管の破損が起こり、熱海市内で断水となる。
私のマンションは丹那湧水の水系なので、断水はなかったのですが、温泉のポンプ小屋が柿田川水系で断水しました。水冷ポンプが作動できなくて、私のマンションから水を引いて、作動させることになりました。この事故により自己水源の復活を求める声が強まり始めた。そして、熱海市契約受水量60,000㎥/日で給水している駿豆水道を利用すると水道代がすごく高くなるのです。


糸川(来宮神社横)
自己水源の復活をすると、糸川、初川、和田川の水を使うことになります。
このようなきれいな河川水を維持できるのかな。ちょっと心配です。



山黙し
水かたらひて
我に教へ
我をみちびく
この山と水と

佐佐木信綱「山と水と」            むずかしい・・・・。




コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 春の京都をこっそり楽しみま... | トップ | 沖縄に行ってきました。2021/... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
柿田川 (GEN)
2022-11-05 18:02:17
柿田川の湧水は?柿田川の第一わきまの横に露頭があります。シルト層と砂の互層です。これは、2万年前から始まったウルムのMAXからの海進堆積物です。このときの沼津は古狩野川湾と呼ばれています。三島溶岩は時代的に海進の最中にここに流入してます。つまり下位にもシルト層があって不透水層となっている可能性があります。また時代とともに三島溶岩の上に古狩野川湾の堆積物が累重することにより、三島溶岩の上位にシルト層が堆積し、簡単な被圧地下水ができる可能性があります(山本   )静岡地学。富士山だけでなくそのようなことをお考えに入れたても面白いと思います。なお、富士市のデルタファンもこの時期できたものですが、古富士中に溶岩があるとされ(山本ほか2022、高田ほか、2016、尾崎ほか2016)、旧期の溶岩はファンデルタ堆積物の間にあるのが一般的といわれていますが・・ 地下水の関係と地質との対比は大変です。藤川先生が書かれた上記の柿田川の地下水の分布ですが、古狩野川湾の堆積物のシルト層の分布と対応してないでしょうか 
返信する

コメントを投稿

研究中」カテゴリの最新記事