或夏の夜、自宅近くの釣具屋が磯釣り大会を開いていた。
数百人もの参加者が居て、大物を狙う者、総重量で総合優勝を狙う者と
みんな高価な賞品を獲得するべく運を競いあった。24時間にも及ぶ長丁場の大会だった。
私は総合優勝のダイワの磯竿が欲しくて親父に参加させてくれとせがんだ。
親父は根負けして参加費を出してくれた。
当時対象外の魚が決まっている程度で磯魚の大きさ制限まではなかった。
私は25~35センチのクロダイやシマダイ(石鯛の子)が釣れる場所を知っていたので
それをターゲットに選び沢山釣り、みごとに重量では他を圧倒して総合優勝してしまった。
ここまでは良かったのだが、どうも雲行きが怪しい。
参加者から「そんな小さいのを揃えて優勝じゃやってらんないぞ!」と声があがった。
当時の中学生からすれば大人が怒って言ってる事に文句も言えず、早くその場から
立ち去りたい気分だった。
今では最低の大きさが決まっているので、このようなトラブルは無いが、
当時はフグ、ボラ、ウグイ以外の魚ならキスや豆あじでもOKの筈だった。
結局、中国製の磯竿をもらっただけで副賞の電子レンジや商品券、船釣りをする親父に
やろうと思ったトランク大将、とても欲しかったダイワの磯竿そして総合優勝は無くなってしまったのだ。
意気消沈して自宅に戻った。「ダメだったろう?」と言う親父に事情をぶつけた。
親父は直ぐに店に抗議に行ってくれた。ルールをその場でねじ曲げた事への抗議だ。
そのことで純粋な中学生が傷ついたのである。親父ありがとう。
結局謝罪も無いままだったと聞いているが、「あんな店には二度と行くな!」と、きつく言いつけられた。
親父はその後もその釣具屋に通っているが、私は親父の言葉を守って40年その釣具屋には行っていない。
事件後、親父のタックルが新しくなったのは気のせいだろうか?
って、言うか?私が行ってはいけない理由を親父がつくったのではないか???
この件については、親父が逝く前にはっきりしなければならない。
釣り大会は運が大きく左右する。抽選のため場所や潮は選べないのだ。
トーナメントのように同じ様な条件(それでも潮は変わる)を作って釣りするのなら腕が競えてスポーツとなる。
ある程度大きな大会はこのような型式をとっているが、地方の大会では場所の確保や
審判をどうするかなど対応できない事が多い。
しかし、浅場の釣りは自分が魚の居る場所を判断する技量が大きく釣果に左右する。
運は平行してついてくると思っている。だから狙って釣ったと言える!港や堤防、テトラ帯や沖磯に行って釣ったのとは違うのだ。
大きさや数を求めるが故に、釣り天狗が多く発生しているのは誰もが周知の事実だ。
「私はどれだけ大きいのを釣った!」、「私は何十枚も釣った!」とか「私は大会で優勝した」など
天狗さんの言葉はだいたい決まっている。私も多くのテスターや名手にお会いしているが、このような人々は経歴を語る時以外にこんな事で威張る人は殆どいない。
釣れた場所や時間、タックルを偽り、情報を共有しない、自分だけが釣れる人、優勝する人となる事に私はステータスを感じない。
だから私は釣り大会へのトラウマとともに競い合うことに執着出来ないのかもしれない。
とは言え、釣りをどのような形で楽しむかは人それぞれでかまわないとも思っている。
釣る人は、大会でもプライベートでも関係ない。
まだまだだ。へたくそ。