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◆犬の散歩◆

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荒らしの奇妙な思考回路

2006年11月15日 05時01分11秒 | ノンジャンル
リラックマの件からずっと荒らしが続いてるんだけど、いつまでもよく飽きずにやるなぁと思ってたところ、別の所で相談をしているらしい。

興味がないので全然見てなかったんだけど、最近の書き込みに「きちだい」とか「四捨五入」とかいう意味不明のキーワードが入ってたので、なんのことかと思ってちょっと見てきた。

どうやらそのスレで書き込みをしていた人のうちの何人かが私だということになってて、彼の発言からの引用のようだ
「きちだい」についてはよくわからないが、多分ミスタイプかなんかだろう。タイプミスを延々と持ち出すのも、情けないといえば情けない。他にバカにするところがないってことだからねぇ。
「四捨五入」については、どうもたとえ話を理解できずに、相手が間違っていると思って未だに追及しているもののようだ。これは発端が面白いので紹介しよう。

ある人が、脈絡なく「自分の月給は、四捨五入して100万だ」と発言した。給料が高いことと議論の勝敗は別なのだが、多分それしか自慢できるものがないのだろう。
ところが「100万だ」とか「100万前後だ」とでも言えばいいものを、「四捨五入」することがあまりにおかしい。普通考えて50万から144万9999円までの間だと思うが、自慢するのに少なく見せる必要はないので実際は100万以下といったところだろう。
50万だったとしても、年齢にもよるが少ないとは言い難いわけで、自慢したいならすればいいと思うのだが、なぜ四捨五入して100万という中途半端なことを言うのだろうと誰もが思うことだろう。まあ、簡単にいうと嘘だろうw 嘘だったらもっと堂々と具体的につけばいいのにと思う。あ、自慢でも堂々と具体的にすべきだけどw

そう突っ込んだ人のうちの一人が「実は5万とかを無理に100万に切り上げてるんじゃないのか」「むしろ5円だったりして」というような突っ込みをしていた。もちろん、そんな切り上げは普通は出来ないのだが、勝手に定義して切り上げたんじゃねえの?とバカにしてるわけだ。
これをどう取り違えたのか、彼らはその指摘者に対して「5円を100万に四捨五入出来ると思っている」といってバカにしてきたのだ。これには思わずお茶を吹いてしまった(比喩)。

彼は「それくらい馬鹿なことをお前はしてるんじゃないの」とバカにされているのに、その「それくらい馬鹿なこと」という比喩が、その人の主張であったと勘違いして、これ見よがしに「四捨五入」と掲げて未だにバカにしているのだ。困った人というのは「比喩」が理解できないので、ときどきこういう馬鹿なことを言い出す。
当然、その間抜けさは何度も指摘されているのに、未だにそういってうちに荒らしに来ているのは、その発言者が私だと思いこんでいることの間抜けさと、未だに自分がバカにされてることに気づいていないのだろう。
勘違いすることは誰しもあると思うが、言われても気づかないというのはどういうものか、論理的思考のできない人というのは凄いなぁと思った。

あとの部分は、うちを荒らした人が、消された荒らし書き込みをコピペしたり、勝手にストーリーを作ってそれをバカにしたりしてた程度で、とくに面白くはなかった。
なんか私が彼らの身元を特定してるとか、訴えるとかいう話になってるんだけど、訴えないことで私が卑怯だと言う論理もみられた。訴えるかどうかはこちらの自由であって、匿名で荒らしをする側のほうが明らかに卑怯であろう。
プロクシサーバを使って荒らしてるから大丈夫だといっている人もいたが、匿名プロキシサーバの利用は不正アクセスになる可能性もあるし、そのサーバに問い合わせることでログの提供がされることもあるので、一概に大丈夫とは言えない。また、情報を漏らす「漏れ串」というのもあるので注意が必要である。つまり、私が訴えようと思えばいくらでも訴えられるということである。

どうにかして私をバカにしようと思っているらしく、縦読みというのを仕組んでいるのもいるらしい。縦読みとは一見相手を誉めておいて、文章の一部を縦に読むなどすると別の文章が隠れてるもので、それは大抵正反対の罵倒だったりする。
一体なんのためにやるのか不思議になるのだが、多くの場合はまともに相手を批判できないときに、腹いせで行うもののようだ。そういうことをする時点で負けを認めてるというか、卑屈な自分に気づいて欲しいものだが、彼らは縦読みに気づかれないと非常に喜ぶ。
もう、自分が過去にどれだけ間抜けな間違いをしたのかは全く考慮せずに、勝利の美酒に酔うようだが、気づかれなかったら単なる下手な賞賛文であり、気づかれたところで何とも思わないものなのだが、変わった人の思考は変わってるなぁとしか思えないところだ。
ちなみに、削除するかどうかは縦読みの有無によらず、縦読みが仕組んであっても、残したほうがいいと思えば残すし、邪魔だと思ったら消すだけのこと。

他にはうちのブログに意見をしたいのにできないといったものとかもあったな。分からないなら反応しなきゃいいのになと思った。記事に対する普通の意見もいくつか書いてあって、そういうのはこっちに書けばいいのにと思うのもあった。
結構さかのぼって見てもみたけど、私の間違いとか、問題のある部分への指摘というものは一つもなく、じゃあなにが気に入らないのかというのが不明なんだけど、所々入るわりとまともなコメントや、面白かったというコメントを見ると、彼らは単に私のファンなのだというのがわかる。
ただ素直にファンだとか、面白いですねとか、物知りですねとか書くのが恥ずかしいので、張り合おうとしているのだろう。そして、時折ちょっかいを出して自分の存在に気づいてほしいのだろう。
私に下らないイチャモンをつけて、私がそれに反応することで、私と同等に戦うことで自分を慰めてるのかもしれないが、だったらそんなところじゃなくてここで直接議論でも挑んでこればいいのにと思う。リンク上の格闘家に客席からヤジを飛ばして、格闘家と戦ってるつもりになってるようなものだろう。格闘家が客席に下りていって喧嘩買うわけがないと思うのだが。
とはいえ下品なものとか、意味の分からないものとか、主張に根拠がないものとかは削除するしかないんだけどね。で、削除すると「都合が悪いから削除したのだ、俺の勝ちだ」と言い出すのだから面倒くさいw
それで勝ったつもりになりたいならどうぞご自由に。できれば、他に楽しいことを見つけてほしいと思う。

彼らは、表向きのスタンスとして「頭のおかしいいぬを批判している」「その動向をウオッチしている」と言うのだが、「どこがおかしいのか」言えないことと、「ウオッチしたくても内容が理解できないので内容に触れられない」という矛盾がある。
普通、相手のことが嫌いならば無関心になるはずだ。関わりたくないと思うはずなのだ。好きの反対は無関心なのだ。能動的に嫌うための行動を取るというのは、明らかに「嫌い」以外の感情がある。手間をかけて延々と嫌いな人に関わろうとするのは、通常の精神状態とはいえない。
つまり、彼らは頭がおかしいか、相手のことが実は好きかということだ。前者については確かにおかしい人はいるようだがw、後者については子供が好きな子をいじめるという心理に近いのだろう。彼らの発言から、私の言動や考えに対して、ある一定の評価をしていることは彼らの時々見せる感想から感じ取ることができる。認めたいけど認めるわけにはいかない、その微妙な精神状態が彼らの異常な言動に繋がっているのだろう。精神がおかしいというか、未熟なのは確かだ。全く親の顔が見てみたいというものだ。
まあ、下らないことを書かれても削除するだけで済むからどうってことないのだが、変な人に好かれてしまうのもなんだかなあといった感じである。

謎の腎臓移植

2006年11月07日 04時42分52秒 | 政治・世相・スポーツ等
ある医師が、病気の患者の腎臓を他人に移植したということで話題になっている。そんなばかなことを…と誰もが思う話だ。


まず、病気の腎臓とはいえ、きちんと問題の部分を切除する等の処置をしていて、とりあえずは移植用の臓器として使える状態であったらしい。とはいえ、癌のあったものまで含まれていたそうで、たとえ患者の同意があったとしても医者としての良識を疑うものだとはいえる。

そもそも、もし移植臓器として使えるのならば、まずはもとの患者に戻すべきであって、他人に使うなんて普通はありえない。しかも、普通なら通常の治療で治り、切除まで必要のない腎臓まで摘出しているというから、これは故意に他人に腎臓を使おうという意図があったとしか思えない。

腎臓の移植を待つ人は、ドナーよりも遙かに多く、多くの患者が移植を待っているのである。腎臓移植は脳死ネットワークからのものが殆ど望めない以上、身内からにほぼ限られる。身内から適合者が出なければ、殆ど移植の道は絶たれてしまう。
そうなると、大金をかけて保険のきかない欧米に行くか、もしくは安全面で不安の残る中国で行うかになる。中国は死刑囚の臓器も混じっているうえに衛生面、技術面で問題があるとされているので、簡単には選べない。

普通に待っていたんじゃ移植できない、金もなくて外国に行くわけにもいかない、となるとなんとかして一般の人から提供してもらうしかないわけだ。でも、謝礼を貰ったらいけないことになってるので、赤の他人がタダで腎臓を一個くれるとは思えない。そうなると、病人のでもいいから、なんとか摘出してもらって、その腎臓をくれと思う人はいるだろう。

医師として、そういう人の気持ちをくんで、さして問題のない腎臓をさも摘出しなければならないように診断して摘出して移植に使ったり、癌でもかまわないから腎臓が欲しい人に移植したりしたのだと考えても不思議ではない。

となると、件の医師は医者としての倫理を外れても人間としての倫理を重視して人助けをしたということになる。その是非はおいておくとして、もしそうなら、批判されても我を通す意志の強い人間であるか、金儲けのためにやったのであればかなりの悪人であろう。
しかし、問題の医師の会見を見ても、悪びれる様子もない、強い意志も感じられない、もちろん邪悪なオーラも出していない。気弱そうな人間で、しかし言うことにおかしな部分や無駄な部分はなく、まことに不思議な印象だ。批判されることをあえて行ったくせに、飄々としているというか、まことに薄い印象をうける。とはいえ、患者の同意を文書に残さないなど、なんらかの隠蔽工作をしていたようにも思える。したたかなのか、なんなのか、いまいち外見からは掴みきれない。

ともかく、医師の行動は腎臓を提供される患者のことを思ってのことか、単に医師として移植手術をして儲けるためかは分からないが、臓器移植に関して謝礼が支払われた例で逮捕者が出ていることもまだ記憶に新しいし、もしかしたらもっとやばい裏がありそうな気もする。今後の展開を待ちたい。

自殺者を美化するな

2006年11月05日 12時58分04秒 | 政治・世相・スポーツ等
最近、自殺の報道が増えている。いじめ自殺だなんだといってるのがどうも見てて腹が立ってくるのだ。

最近の報道によれば、文科省のいじめによる自殺の認知数は0件だという。しかし、最近はよく「いじめられたので死にます」という遺書を残して死ぬ子供が後を絶たない。このような遺書があっても、文科省はいじめによる自殺だと認定しないのか、ふざけているという論調だ。
いくらなんでも、こんな遺書があればいじめによる自殺だろう。私も最初はそう思って見ていたのだが、話を聞いているとどうやら理由が分かってきた。

「いじめ」行為があったかどうか、これは聞き取りなどによってある程度特定できるのだろう。しかし、その「いじめ」行為が「自殺」の原因になったのか、つまりいじめ殺したのかというとそれは因果関係において疑問だというのだ。

つまり、いじめたことが原因で、めぐりめぐってその子が自殺したとする。遠因としていじめはあったのだろう。しかしそれが直接の原因かというと、不可避の因果関係があったのかどうかというと、それは難しい。

同じいじめを受けても死ぬ子と死なない子といる。また、普通じゃ死なないようなことでも死んでしまう子もいる。となると、どんな場合においても、結果として自殺をしたら、その原因が全ていじめにあると見てしまうのは問題なのだ。

軽く「オイ」と言っただけで死んでしまった子がいたとしよう。忘れ物をした子に対して「なんで忘れるんだよ」と言っただけでいじめに感じて、死んでしまったとしよう。これが「いじめによる自殺」だとすれば、それはあまりにいじめたとされた側にとっては荷が重くないか。

まずはその行為がどの程度のものか。人権を無視したようなものか、冗談や常識的な範囲の叱責だったのか。まずそれを考えてみなければならない。

でも、そうやって考えていくと、たとえボッコボコに殴られても、服を切り裂かれて放置されても、頭からうんこかけられたとしても、そういうことは犯罪であって、先生なり警察なりに言えば対処してくれるはずだ。これをできない子供の方にも問題はあろう。いや、ここでいう問題とは、いじめられたことに対してのものではなく、その後に対するものだ。
いじめ自体についてはいじめた側が100%悪い。いじめられる側に何らかの問題点があったとしても、能動的な行動に出て良い言われはないのだから、いじめ自体に関してはいじめた側が確実に悪い。しかし、対処の仕方が悪い場合がある。

そのような犯罪行為を甘受する必要はどこにもない。死ぬ必要もない。通報するなり逃げるなりすることは出来たはずだ。学校に行きたくなければいかなくてもいいのである。他に方法があるのに死を選ぶのは本人の勝手であろう。
いじめられたことに対する責任はいじめた側に100%あるが、死んでしまったことについての責任は、死を選んだ側に100%ある。これは確実である。しかし、結果として死んでしまったことで、いじめた側やそれに気づかなかった学校側の責任が重大になると勘違いしている人がいるのは問題である。自殺によって学校側の責任が過重されることは、絶対にあってはならない。

確かにいじめることは異常であって、人間的に問題があるのだが、だからといって命を奪うつもりでやってる人間は殆どおるまい。殺すつもりでいじめるのは殺人もしくは殺人未遂だが、そのような凶悪なものと一緒にしてよいものではない。
さらに、死ねば自分は困難から逃れられるが、残された者はどうなるのか。親がどれだけ悲しむと思うのか。そう考えると自殺とは自分勝手そのものである。
はっきりいって「世の中に死ななきゃならないほどの困難などない」のである。あるとすれば、回復の見込みのない病気で治療が苦痛な場合くらいだ。だいたい、死ななきゃならないほどのことってなんだ?

人間関係?リセットしてしまえ
いじめ?通報するか、やりかえすかしろ
借金?自己破産してしまえ
鬱?病院にいけ

このように、死ななければならないことなどこの世にはない。これらに対処することが出来ないから、死を選ぶのであろう。それはもう、自己責任である。
確認してほしいのは、たとえどんなに苦しくても「死ぬのは本人の自由意志によるもの」であり「自分勝手な行為」だということだ。そもそも自殺は犯罪だ。単に死んだ人が罰せないだけのことだ。自分への同意殺人ということになろう。つまり、自殺は悪いことなのである。

それと問題なのは、自殺した子の親だ。さも学校が悪いかのようにいう。学校など何十人もの子を見ているのだから、お前の子供だけ見てられるかっての。なんで我が子の気持ちを理解してやれないのか。親に相談しやすい環境であれば、死を選ぶ前に親に相談していただろう。親が学校に行かせないこともできたろう。自殺の責任は、いじめた奴以上に親にあると私は思う。なぜ、親がいじめを察知して学校に通報しないのか、いじめた奴を問いつめてその親に文句を言わないのか。改善できないなら別の学校に通わせるなどの対策をしないのか。それらが出来るのは親しかいないというのに。

学校が気づかなかったのが悪いと取り乱して教師や校長を罵倒している映像が流れているが、何を偉そうにしているのかと思う。もしその子がその光景を見ていたら、お前もだろと言ってるだろう。
そして、一部の遺族や支援団体の、これらを美談にしたがる動き。これには反吐すら出る。今朝、報道2001を見ていたら、ジェントルハートという団体の人が出ていた。いじめに関する活動をしているようなのだが、死ぬ前に子供が言った言葉を、素朴なイラストとともに掲げているのだ。なにかの標語みたいでもあるし、ちびギャラリーの作品みたいでもある。自分勝手に死んだ者の発言をこのような素敵な絵にしようと思うのが分からない。それを感動に転化させようとするのも分からない。死を美談にしようとしている動きには、邪悪なものを感じてしまう。偽善とか言うまえに末恐ろしいものを感じてしまう。
自殺は自分勝手な悪行か、もしくは精神状態が異常であったために突発的に起きた事故であって、美談などでは断じてない。

それと、遺書が公開されて、学校やいじめた相手が相当の悪人だったかのように報道されてしまうのも問題だ。仕返し感覚でエキセントリックな遺書を残して死ぬことを助長してしまう。なにより死を美しいものとして、かわいそうかわいそう言うものだから、そう扱われたくて死んで行く者も出てくるだろう。
暴走行為をかっこわるくする目的で暴走族のことを珍走団という動きがあるが、いじめや自殺についても、同様なかっこ悪い名前を付けるべきだ。どちらも自分らが悪いことをしている自覚がないのが一番の原因だろう。
いまの報道では、いじめも自殺者も抑制しているとはとうてい言えない。


名前も知らない、無関係な他人が死んだからといって涙を流せる人は相当の偽善者であろう。他人なんて所詮そんなものである。自分の身内が死んで欲しくないなら、自分で守ってやれ。それが出来なかったことを悔いるのならまだしも、他人のせいにするなど愚の骨頂である。
もし私の身内が自殺したなら、可哀想とか思うまえに、ふざけるなと思う。死ぬ前にできることはいくらでもあるだろうに。そして、それを防げなかった自分を悔いることだろう。原因となった人間がいるなら殺しに行くかもしれないが、それは単なる自己満足に過ぎないことは理解できる。
しかし、かわいそうだの、他の誰かが気づかなかったのがどうだとかみっともない八つ当たりはしない。その事柄に関する感情は、全て自分の責任で片付けるべきである。他人のせいにするなど愚の骨頂である。



ついでに、死ぬとか死にたいとか言っている人と、本当に死んでしまう人は同列ではないことを指摘しておく。
落ち込んでいて、死にたいと言っている人の延長が、本当に死んでしまう人だと思っている人がいるが、そうではない。
死にたい死にたいと殊更に主張する人は、死なないでくれと言われたいから言っている、構って欲しいから言っているだけなのだ。こういう人はたいてい死なない。たまに行動に出ることもあるが、大したことができない。動脈を傷つけずに体を切るか、すぐに切れるヒモで首を吊るか、少々多めに薬を飲むか、酒を一気飲みするかである。

これらの行動は、死ぬ死ぬ言う行為を正当化するためにするポーズであって、本当に死のうとしているわけではない。だから、確実に死ねる事は滅多にしない。事故で本当に死んでしまうこともあるのかもしれないが。
だから、遺書などは殆ど書かないし、書いたとしてもそれはきれい事ばかり書かれていて、死を前に覚悟を決めたものではない場合が多い。悲劇に浸りたいだけなのだ。

ところが、本当に死んでしまった人の周囲の話を聞いていると、普段は明るくてどうとか、そんなそぶりは見せていないとか、そんなのばかりである。話を総合すると、本当に死ぬ人間は、むしろ普段より明るく振る舞って、そのまま死んでしまうもののようだ。まさに突発的なもののようである。

つまり、死ぬ死ぬうるさいやつは死なない。むしろなんからの悩みがあるのに死ぬ死ぬ言わない人の方が危険で、両者は全く別物だというのがわかる。
こういう話をすると身に覚えのある人はいるだろう。ヨーグルを引退する引退するといって結局戻ってきたりする人は私の知る限りでも何人もいるし、むしろ何も言わずに来なくなる人の方が何十倍も多い。こういったところでも、やめるとか死ぬとか言う人は、ゲームや生に固執しているからこそ、それに反したことをいって注目を引こうとしているのだろう。

そして、本当に死んでしまう人というのは、まともな精神状態にない。まあ、ある意味病気なのだろう。落ち込んで死にたいと思うことはだれしもあるとしても、本当に死ぬことまでは考えない。なぜかというと、死は恐いのである。死そのものはそう恐くはないのだろう。誰だってそのうち死ぬのだから、もし死そのものが恐いのなら、毎日恐くて生きていけないだろう。
恐いのは死そのものではなく、それに至る過程であろう。どのような手段であれ、その場からすぱっと消えてなくなれるものではない。飛び降りにしても首つりにしても、踏み出す瞬間の恐怖、死ぬまでの恐怖があろう。薬を飲むにしても同じだろう。楽に死ねる方法などそうはありはしない。それに、さあ死ぬとしてどうすればいいのか考えると、意外と死ぬのって大変だし、遺族のことを考えたりして結局死ぬことは現実的ではないと気づく。だからこそ、そうそう人は死なないのだ。

それを乗り越えて死ぬというのは、侍や軍人が覚悟の自決をするようなものも含めて、通常の精神状態にないことがわかる。非常に強い意志があるか、もしくは逆に感情が不安定になっている場合だ。そのヒステリックな状態に、なんらかのきっかけによって飛び降りたり首を吊ったりするのだろう。これはある意味、防ごうとして防げるものではないのかもしれない。
ただ、そういう周囲が通常ではない精神状態に気づき、原因は何か見定めることが出来るとすれば、それは学校ではなく、親の仕事であろう。だからこそ、親がまず自分の至らなさを悔いるべきであって、学校のせいにするなどというのはお門違いだといえよう。

先ほどの報道2001では、いじめや風紀の乱れを撲滅させるために、一切容赦のない処分を行うアメリカの例をやっていた。暴力行為は即退学だの停学だのというふうに、互いの言い分、言い訳を聞かずに問答無用で処分してしまうのだ。そうなれば、それらの行為について慎重になるだろうという。これは古い日本的な処分なんじゃないかと思うのだが、時代には即さないかもしれない。ただ、徹底できれば確かに物理的ないじめは減るだろう。
ただし、精神的ないじめは増えるはずだ。そして、むしろこちらのほうがいじめられる側にダメージを与えるのだ。そう考えるならば、その施策はある意味でいいとはいえるけども、精神的ないじめに対してどう対処するのかという部分までしっかり対策したうえでなければ、たとえば逆にいじめた側にしたてあげるといういじめが生まれる可能性もあることも想定しなければならない。

いじめ自体をなくすことはまずできないだろう。世の中には訳もなく人を攻撃したがる人というのはいるのだ。それはそうすることでしか自己の存在意義を認められない矮小な人格であるのは疑いない。そう、いじめる側もいじめられる側も普通じゃないのは確かだが、あまりに表面化しづらいので対策もしづらい。あまりにがんじがらめに対策してしまうと、自由な生活に支障を来すであろう。
であれば、できることは、いじめによって自殺したり、心を病む人が出ないよう、そのケア、対策に重点を置くべきであり、それが出来るのは親だけだということを、まず親が自覚して、常に自分の子供の考えに目を光らせておくべきだろう。これもがんじがらめにするということではなく、子供が悩みや問題を相談出来る場所を用意することだ。それが親そのものでも、それ以外でも構わないが、それがあるかどうかの確認くらいは出来るだろう。
人間、逃げ場所が必要なのだ。これさえやってれば楽しくてたまらないことを見つけるとか、愚痴る場所を見つけるとか、普通の人は無意識に発散しているものなのだが、精神の発育途上にある子供にそれを自分でやれというのも酷であろう。

結果として死なれてしまったのならば、その親はその対策が甘かった以外のなにものでもないのだ。まともな親のもとに生まれていれば、その子は死なずに済んだのである。死を選ぶのは自分であったとしても、判断力のない状態であれば周りが保護すべきであり、それを怠った親の責任は重大である。

そういうわけで、私はいじめ自殺の報道や、その時に出てくる親がむかついてたまらないのだ。


*コメントは自由ですが、内容により独断で消すことがあります。おもに根拠のない批判、記名のないもの等がそれに当たりますが、消した理由は表明しません。同意された方のみ、コメントをお願いします。

迷走ソフトバンク、通話料値上げ?!

2006年11月02日 03時16分49秒 | 政治・世相・スポーツ等
昨日書いた記事でも記した通り、ソフトバンクはゴールドプランの通話料を見直したという。

ニュースリリースを見るに、一律通話料になっていて、確かに日中の通話料は他社のSSプラン並になってはいるものの、これまでそれより安かった時間帯が値上げになっているw
他社より割高だから安くしたというのなら、高くなってた時間帯を削り、安かった時間帯はそのままにするべきじゃないかと思う。というか、最初から一律プランにするべきだと思う。
ともかく、少しでも値上げになる事に関しては慎重になるべきなのに、値上げに関してあまりにしれっと、あっけらかんと、すっとぼけて行ってるのが凄い。簡単に値上げできないからこそ、他社は値下げに慎重なのにもかかわらず、ソフトバンクは値上げについて本当に不用心というか無関心というか。

ゴールドプランがスーパーボーナス必須プランということを考えると、「2年契約した途端に値上げされた」と怒り出す人がいても不思議ではない。それもたかだか1週間やそこらで急に値上げしているのだ、契約上の問題にもなると思う。値上げを理由に契約解除を求める人が現れても当然だ。そういう場合どう対応するのか、非常に気になる。以前のハッピータイム廃止事件のときは、ハッピーボーナス解約金の免除という特例を設けていたが、今回はどうなるのだろうか。

それにしても、2年契約必須のプランの条件をここまでコロコロ変えていいものだろうか。市場の動向を見て変えるというのなら、導入前に行うべきだろう。発表と施行を同時にするのは、アップルがiPodの新製品の発表をして「今日から売ります!」とか言うのを真似てるのかもしれないが、あまりにもお粗末で仕方がない。
単なる製品なら売ればそれでいい話だし、仕様が変わっても気に入らなければ買わなければいいのだからそれほどの問題ではないが、通信契約において内容・条件をコロコロ変えられてはたまらない。安くするだけならいいが、高くなる部分があることについてはどう考えているのだろう。

それと公取委が入った件について、0円表示を見直すとのことだが、これについても冗談みたいな小さい字で消費者を騙そうとしてたことを認めたようなものだ。イメージが悪くなることを避けるためというが、悪くなる自覚があるならあんな詐欺まがいの広告を打つ前に行うべきだ。
で、マスコミはあまりこれを報道しない。公取委の聴取の件までは報道したが、批判的な報道をしないのは、やはり連日CMを打ちまくってるスポンサーだからだろうか。

au、ドコモの各社も反論広告でも出せばいいのにと思う。ドコモ社長のブチ切れ会見は一部報道されていたが、ソフトバンクを揶揄する内容のCMでも流して然るべきだと思う。まあ、あまり深刻なものではなく、詐欺まがいの広告や、コロコロ変わる料金なんかを笑い飛ばすような内容がいいんじゃないかな。

まあともかく、ソフトバンクはあまりに業界を混乱させすぎだ。まずスーパーボーナスの驚異の解約違約金(最大7万円)、連日の契約内容の変更、通話料の値上げ。さらにシステムダウンと、こんな事が続くようだと、今度は総務大臣からお叱りを受けることだろう。


ところで、批判してばかりはいられないので、ちょっとは誉めてみようと思う。
それは一部で話題になっている、オレンジプラン(x)である。これはauのCDMA2000 1xのコピープランであって、auでは1xとwinとでは価格が違っていて、安い1xではパケット定額が選べず、winでは学割が選べないのだが、ソフトバンクのオレンジプラン(x)においては両方とも選ぶことができる。これはなかなか台風の目というか、なかなか利点があるのではないかと思う。
まあ、ゴールドプラン以外は他社のパクリであって、そこそこの競争力を持っていて然るべきだし、予想外割が予想外に高くて異常だというだけで、それ以外の部分では十分よくユーザを考えたプランだと言える。
ちっとも安くない予想外割ではなく、このauでは選べない組み合わせを選べるという利点を前面に出してきたほうが良かったのではないかと思う。
あと、MNPを使って移動した場合、移動前の継続年数を引き継げるというのもいいことだ。どうしてこういうのを宣伝しないのだろうか。

ブループランだとどうかな・・・旧プランならプラン67以上でないとパケホーダイに入れない縛りがあったから、その縛りがなくなるという利点を出せたのだろうけど、今はその縛りはない。とはいえ、auのwinと横並びのプランなので、auから乗り換える人がいるとすれば、それと同じ利点があるように思う。

といっても、メルアドやコンテンツが引き継げないことを考えると、そこまでの利点はないと個人的には思うのだけど。
あちらからまた戻ってくるのに継続年数を引き継げるのなら、ちょっとくらい使ってもいいかなとは思うけど、端末代がかかるからやっぱいいや。

ソフトバンク、公取委から聴取&システムダウンの真相

2006年10月31日 14時09分21秒 | 政治・世相・スポーツ等
はい、思った通り公取委に事情を聞かれてたらしいですね。


ソースはこちら。(なぜか私は朝日新聞嫌いなのにアサヒコムのソースを一番使います)
でもここが一番詳しい。

単なるローンを端末どれも0円といって売るのはさすがにまずかろう。通話料0円じゃない場合もあるのに例外部分が小さく書いてあったらダメだろう。CMなんかじゃ字が潰れて見えなくなってるし、こんな手法はいまどき2時間ドラマの悪徳企業でもやらないだろう。


公取委が入るなんて根拠を言えなんて言ってた人もいたらしいけどw、入らないと思うほうがどうかしてますな。
それと、いきなり70%引きになるってのも問題らしいですな。確かに電気通信事業法では契約者を差別してはいけないと決まってる。単なる契約なら好きな人に安くしてもいいんだけど、通信に関しては公平でなきゃならないわけですな。契約を断るのもいけないことになってる。
今入った人だけがずっと70%引きというのは、その不当な差別にあたると。で、じゃあこれからずっと、いつ入っても割引っていうのだと、今度は割引前の価格の表示が問題になるわけ。つまりもともと2000円の価値しかないのに「1000万円のところ、2000円!」とか表示したら(極端だが)いけないってことね。1000万円で売られたという実績がなければ、本来いくらのところ割引でいくらと表示してはいけないわけ。つまり、9600円のプランを特別に割り引きすると言うには、その値段でやってた実績があってこそということ。

つまり、どっちに転んでもこのゴールドプラン+新スーパーボーナス(予想外割)は問題だというわけ。まあ、事情を聞いたというところで、また法に抵触しない方向で修正してくるでしょうな。でも契約させといて条件をコロコロ変えるってのはボーダフォンのグリーン社長みたいなもんで、確実に契約者の心証は悪いでしょうな。
あ、他社への通話料が割高だと言われたんで、他社の一番安いプランと通話料を同じにするんだって。え?他社より安くするんじゃないの?あれれ、なんか言ってることが違うぞー。30秒あたり1円でも安くすれば2880円のプランで無料通信がなくても安いかもしれないけどね。って、だったら無料通信分もつけないと他社より高くなっちゃうよーw
おかしいなー、他社より完全に安くするって言ってたのは嘘かなー?

そうそう、スーパーボーナスに関しては、インセンティブモデルの破壊だといってたわりに、結局0円のものをお店が売ってくれるわけがないので、いくらか払っているのだろうと指摘されていた。孫社長はそれを認めていたけども、ってことは結局、このスーパーボーナスを導入することで誰が得をするのだろう。払わずに済むインセンティブを料金に反映させ、安くするためのものだというふれこみなのに、それが減ってないのだとすれば、結局はユーザーを2年縛るための、解約金を増やすためのものでしかないのは明白だ。
実際2年間解約さえしなかったら、端末は0円に近い価格で買えるわけだから、そうなるとその分の費用は通話料等の収入で払われるわけで・・・。実際、料金は安くなってないのだから、どう考えても企業側の論理でしかないわけだ。実質今まで通りなのにユーザの負担だけを増やすなんて、こんなふざけた話はないだろう。それでもソフトバンクを契約したがる人が少しでもいるというのが理解できない。


システムダウンについてもまとめておこう。
これは大手マスコミが殆ど報道してないが、例によってインプレスでは細かく報道している。これによれば、どうも転入が多くて落ちた的な印象を与えるような説明をしてたのが、実は転出が多くて落ちてたらしいですな。家族割りを外すのにシステム負荷がかかり、それで落ちてしまったと。ってことはそれって、ソフトバンクから他社へ移動する人が多かったから落ちたってことじゃないの?w
au、ドコモの2社に対する説明と、発表内容が異なっているというのも、なんかこう、ずる臭いというか、誠意らしきものが感じられないのだが。

実際最初の一週間でどれだけの移動があったのかというと、auは10万人が来て他社に2万人が出て言ったという。ドコモは非公開だけど転出のほうが6万ばかり多いという。ソフトバンクはシステムが落ちてた時間が長いから何とも言えないけど、差し引き2万の減とみるべきだろうか。あちゃーw
まあ、あの小さい文字の部分の説明を実際聞かされたら、やっぱやめたといって帰っちゃう人も多そうだけどね。
ドコモも来月にはどれだけ移動したか発表してくるから、ソフトバンクがそれを隠したって計算すりゃ分かっちゃうんだけどねw

こうもソフトバンクの悪い面ばかりが目立ってくると、転出が多いのでシステムのせいにしてわざと落としたんじゃないかと勘ぐりたくもなる。どうせ数日時間を稼いでもどうせ逃げていくものは変わらないだろうって?いや、それはそうなんだけど、10月期の契約数に響くのは避けたいと、1週間だけ時間を稼げば来月分に伸ばせるからという動機もなくはないwまあ、それにしても1ヶ月伸ばしたからどうってこともないと思うわけだがw

MNPに対する成果は下馬評通りauの一人勝ち。しかし最初のこの殺到が収まった後、毎月8万ずつ他社から奪い取れるかというとそんなはずもなく。まあ、そのへんは今後の展開を見るしかなかろう。
ソフトバンクに変わってボーダフォンの悪いイメージを払拭しなきゃいけないのに、この体たらくではシェアの回復どころの騒ぎじゃないね。