風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

不思議

2018年05月11日 | 体を整える
人体力学・井本整体のフシギ vol.60より 抜粋



「足が動かない
のではなく

使い方を
忘れていたのですね」と。

頸椎を損傷していれば、
どんなに頑張っても
これ以上は動かない

そんな潜在意識の
奥にあった呪縛を、

先生が
ふっと転換して
しまったように
感じたからです。

「使い方を覚えれば、
もっと動く!」

その心の向きが、
これからの
ジャンクロードさんの
可能性を

どれほど引き出して
いく事でしょう。

手で、言葉で、
相手を生かす。

井本整体の情報はHPで随時ご案内中  https://www.imoto-seitai.com/

コメント

ようこそ!

2018年05月09日 | 詩吟
夢松風開闢以来 教室に新しい女性メンバーが加わりました。

今日、見学をなさって、来月、手続きをなさいます。

次回中央会では、テキストの注文もいたします。

新しい会員を迎えるのは、久し振りで、ワクワクします。

末永くよろしくお願いいたします。


今日は、雨、そして、寒い。
そんなコンディションの中、6人の参加です。

ゲストさんが三人、夢松風会員さんが二人、今日から会員さんになろうとする見学の女性が一人で、計六人。
次回の練習では、もう一人見学の方が来てくださる予定です。

11人定員の部屋が、手狭に感じるようになりました。

ゲストさんは、すでに習った吟を復習の形で、習うこととなっていますが、その教場の先生の節調や考え方を、色濃く残すようになってきたので、単純にこれが私の吟詠と指導しても、質問が出てくるようになりました。

黙って先生の言う通りと言う時代は終わってきたことと、芦孝会のシステムで、複数の先生に習うので、先生の個性と言える違う部分を、「正しいか間違いか」と、とらえて問題になります。

そのあたりの差別化をどうお伝えするかが、問題になってきました。

他の先生のやり方を、別の教場で、問題にすること自体が私世代では有り得ないことです。
新時代に芦孝会に入会した方たちは、そのあたりのことが、伝わりにくくなっています。

すべて、正しいか間違いかで、判断されてしまって、それぞれの節調の良さや、解釈の違いまでが、○×で処理されているのが、何か、殺伐とする思いに駆られます。

どう伝えていったらよいのか、初心者は、それは仕方がないのだろうねぇ。

あれもあり、これもありでは、納得がいかないだろうねぇ。


コメント

一年生の漢字

2018年05月09日 | 徒然に日々のことを
二年生の女の子に手紙を書きました。

ネットとは有りがたいもので、「一年生が習った漢字」と入れると、たちどころに、出てきました。
一 右 雨 円 王 音 下 火 花 貝 学 気 九 休 玉 金 空 月 犬 見 五 口 校 左 三 山 子 四 糸 字 耳 七 車 手 十 出 女 小 上 森 人 水 正 生 青 夕 石 赤 千 川 先 早 草 足 村 大 男 中 虫 町 天 田 土 二 日 入 年 白 八 百 文 木 本 名 目 立 力 林 六

この漢字を使って、フラのこと、バラ公園のバラの花の色のこと、同封のものを、ママにわたしてねというお願い、長いお休みが続いて、学校が始まったね、などと書いたのです。

孫娘は大喜びで、一生懸命読んでくれたそうです。
二年生になったばかりの子が読むにしては、長い文章にだったようですが、一気に読み切ったそうです。

そして、早速娘からラインが。

 前段は略しました。




「わたし」のところは、娘の名前

「○○」のところは、孫娘の名前、

その他白塗りで、伏せました。


ママと私と孫娘とみんなで、嬉しかった今日のひと時。

胸がほっこり。

ありがとう!






コメント

特別練習会

2018年05月07日 | 詩吟
教場を離れた練習会に、お誘いを受けて参加しました。

主に、コンクール出場者のための練習でしたので、それならと、思い切りのコメントをさせて頂きました。

教場の指導者の節調を、失わないで、基本の基をお伝えしたつもりですが、やんわりと、訂正された部分もあり、それぞれが大事にしているところ、私とは違うところもよくわかりました。

教場を離れているとは言え、その教場の会員さんであることはまぎれもないことですから、指導者とそれに続く方たちへの敬意を忘れてはいけないのです。

私なりの最大の敬意を払いつつ、辛口に、言葉を繰り出していきましたが、受け取る方たちは、どうだったのでしょう。

そのことは、さておき、特訓対象になった方は、よく頑張って、短時間に効果を上げられたと思います。
外から来て、これで二度目になる助言は、かなりきつかったと思うのですが、まだ、私が言葉を差し挟む前に吟じた時の表情と、どんどん投げかけられる言葉を、受けつつ、先輩との合吟も交えながら出てくる声と表情が、生きたものに変わっていくのを見るのは、嬉しいものでした。

遠慮していては、気を使わせて邪魔になるだけですから、言いすぎて、嫌われたとしても、次回からお呼びがかからないというだけのことと、開き直りました。



日頃、この教場の先生は、何を大事にしていらっしゃるかを考えながら、今日、積極的にご指導をなさろうとしているその教場の先輩の言葉を、汲んで、スキルアップにつなげるのは、とても面白い作業でした。
その先輩は、理論的でした。そして、私は、実践、感覚的でした。

良いコラボができたと、一人悦に入っていました。

もし、次があるとしたら、もう一人のこの練習会をはじめられた先輩の考え方をよく把握して、何ができるかを、探りたいと思います。

そんなことよりも、基本の基は、どこに行っても同じなのですが、ちょっとした言葉の綾で、違うように伝わります。

そのあたりは、受け手の、顔を見ながら、音のなり具合、声の表情を読んで、真意が伝わったかどうかを、探ります。

あれこれ気を使っているつもりですが、それが功を奏しているかどうかは、本当のところはわかりません。

唯一、ターゲットになった吟者の、吟詠に、改善点が見られたかどうかです。
それも、私の自己満足かもしれませんが、今回も、手ごたえありでした。

参加のみなさんの、熱意と、指導者の先生のバックアップと信頼あってこその、この半日の成果です。

事前にも、事後にも、ご丁寧に、ご挨拶とお礼を頂いて、恐縮しています。

本当は、夢組いずれかの教室に来ていただきたいのですが、夢松風は、2時間しかない練習時間、夢青葉は、遠と言う障害があり、結局気になっているところへは、乞われば、行くことになってしまいます。

教場の会員は、その教場の指導者の節調をまがうこと無く、再現することが、東京芦孝会としてのあり方です。
他教場の指導者のやり方や節調の違いを口にすべきではありません。
まして、その違いを、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているなどという判断もするべきでもありません。

どっちが正しいのと問われるなら、どっちも正しい。
そして、守るべきは、「自分の教場師範の節調を唯一のものとする。」


コメント

猫缶

2018年05月04日 | こたろう語録
僕の猫缶は、マグロじゃなくて、カツオなんだよ。

巷では、初ガツオ何て言ってるけど、僕は缶詰めだから、「初」ってのは付かないんだ。

最近、両親たちは、高齢猫になった僕のことを気づかってくれて、いろんな会社の14歳以上とか、18歳以上とかの描いてある缶やレトルトパックのフードを「どれがおいしい?」と言っていろいろ買ってきてるよ。
                           4/9撮・再掲載

僕はまだ17代だから、「18歳以上」は、失礼だろう!
でもね、これが、やけにジューシーで、獅「んだよ。このスープだけをぺろぺろして、残った魚やチキンがかぴかぴに乾いていることがあるのさ。

ジューシーじゃないのは、頂けないよ、でもね、カリカリとはまた別なんだよねぇ。

かぴかぴになったのはおなかがすいても食べなくても、カリカリは、もちろん食べるさ。

時々、フェイントをかけて、母さんを惑わせているのさ。



姪と甥の餡と福を何度か預かるようになって、そのやんちゃぶりに、驚いている母さん。

「こたろうは、おとなしい行儀のよい猫さんと知っていたけど、餡と福のおかげで、とくに実感するわね。」とは、母の言葉。




もうすぐ母の日だねぇ。僕は、精一杯の愛を、ゴロゴロの音で、プレゼントしてあげるよ。


コメント

教場を離れて

2018年05月03日 | 詩吟
芦孝会のシステムは、20の教場のどこにでも、教えを乞いに出かけても良いというきまりがあります。

もともと、芦孝会は、それぞれの教場へは、中央会から指導者が派遣されているからです。

それぞれの教場の誕生の仕方如何にかかわらずです。

この考え方を会員のみなさんは、ご存じない方が多いでしょう。

かく言う私も、知ってはいたけれど、それを言葉に出す方がいて、「そうだった」と、思いだすくらいですから。

そんなわけで、メンバー登録をした所属教場は誕生地であり、育っていくのは、自身の考え方で、誕生地のみにこだわるか、いろんな教場、指導者に教えを仰ぐかは、選べることになります。

その約束事のおかげで、夢組に来てくださるゲストさんで練習に幅ができて賑わいます。また、どなたも隔てなく、練習をしていただきます。
これは、どこの教場でも同じだと思います。

そのほかに、私は、テーマを持った方への個人レッスンを、運よく教場の練習の延長で空きがあったりすると有効に使ったり、カラオケに行ったりして続けてきました。

その、練習が、それぞれの詩吟の中に少なからず残っていてくれたらなぁと思うことがたまにありますが、これは、私のわがままというところは十分承知しています。

そんなわけで、教場以外でも、練習をもっとやりたいという言葉が私の耳に入ってきたら、可能な限りお応えしたいと、決めています。

それで、最近、もっと練習をしたいという声が聞こえてきたので、また、出しゃばることになりました。

実際の子育ても、親だけが携わった年数なんて、ほんの3~4年のことなのですから、れっきとした大人は、たった一つのこと、たった一人の人にだけ、影響を受け続けることのほうが、難しいことと思います。

芦孝会が、ここまで、発展してきたのは、このシステムのおかげではないかと思いました。

10周年を目前にした2007年に、ひさしぶりに復帰して、来年は20周年を迎える今年まで、10年の間に、芦孝会は、それぞれが、それぞれの考え方で、力を付けて、名実ともに、芦孝会の名を高めているのは、一に、このシステムのおかげかと、思います。

「一人で成せないことも、みんなで協力しあえば、大きなことを成し得る」を、その通りに実現してきたと思います。

会が大きく豊かに育つということは、一人一人が自分の意志で豊かに育たねば、頭でっかちの不安定な会になってしまいます。

あぁ、何て当たり前のことを私は言っているんだ!




この10年の、充実した成長を、実感し、それができたことは、その前の10年で、肥沃な土壌を提供してきたからだと思います。

その、労力たるや、どれほどのものであったか、そのちょうどその10年間私は、休眠期間だったので、知る由もありません。

そこで頑張った方たちが、それを当たり前として、過ごして来て、謙虚であったから、「こんなに頑張った」とか「こんなに大変だった」とかの言葉を耳にすることがなく、たぶんそうだったんだろうなぁと、他人の様に言っているだけです。

今頃になって、気づく、それも多分と想像しかできないということが、どれほどすごいことかと、思います。

親が子に何の心配もかけないで、子供が自分一人ですくすくと育ったかのようにあるのが、健康で平和な家庭といえると思うのです。

果たして、芦孝会会員が、親の苦労を知らないで育つ子供のままであっていいのかなぁと、思うことがあります。

後ろを振り返らず、先のことを考えてきて、20年。その前身を数えると、30年余り。
そろそろ≪温故新生≫の『温故』をズームアップしても良いのではないかなぁ。



コメント