風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

教場を離れて

2018年05月03日 | 詩吟
芦孝会のシステムは、20の教場のどこにでも、教えを乞いに出かけても良いというきまりがあります。

もともと、芦孝会は、それぞれの教場へは、中央会から指導者が派遣されているからです。

それぞれの教場の誕生の仕方如何にかかわらずです。

この考え方を会員のみなさんは、ご存じない方が多いでしょう。

かく言う私も、知ってはいたけれど、それを言葉に出す方がいて、「そうだった」と、思いだすくらいですから。

そんなわけで、メンバー登録をした所属教場は誕生地であり、育っていくのは、自身の考え方で、誕生地のみにこだわるか、いろんな教場、指導者に教えを仰ぐかは、選べることになります。

その約束事のおかげで、夢組に来てくださるゲストさんで練習に幅ができて賑わいます。また、どなたも隔てなく、練習をしていただきます。
これは、どこの教場でも同じだと思います。

そのほかに、私は、テーマを持った方への個人レッスンを、運よく教場の練習の延長で空きがあったりすると有効に使ったり、カラオケに行ったりして続けてきました。

その、練習が、それぞれの詩吟の中に少なからず残っていてくれたらなぁと思うことがたまにありますが、これは、私のわがままというところは十分承知しています。

そんなわけで、教場以外でも、練習をもっとやりたいという言葉が私の耳に入ってきたら、可能な限りお応えしたいと、決めています。

それで、最近、もっと練習をしたいという声が聞こえてきたので、また、出しゃばることになりました。

実際の子育ても、親だけが携わった年数なんて、ほんの3~4年のことなのですから、れっきとした大人は、たった一つのこと、たった一人の人にだけ、影響を受け続けることのほうが、難しいことと思います。

芦孝会が、ここまで、発展してきたのは、このシステムのおかげではないかと思いました。

10周年を目前にした2007年に、ひさしぶりに復帰して、来年は20周年を迎える今年まで、10年の間に、芦孝会は、それぞれが、それぞれの考え方で、力を付けて、名実ともに、芦孝会の名を高めているのは、一に、このシステムのおかげかと、思います。

「一人で成せないことも、みんなで協力しあえば、大きなことを成し得る」を、その通りに実現してきたと思います。

会が大きく豊かに育つということは、一人一人が自分の意志で豊かに育たねば、頭でっかちの不安定な会になってしまいます。

あぁ、何て当たり前のことを私は言っているんだ!




この10年の、充実した成長を、実感し、それができたことは、その前の10年で、肥沃な土壌を提供してきたからだと思います。

その、労力たるや、どれほどのものであったか、そのちょうどその10年間私は、休眠期間だったので、知る由もありません。

そこで頑張った方たちが、それを当たり前として、過ごして来て、謙虚であったから、「こんなに頑張った」とか「こんなに大変だった」とかの言葉を耳にすることがなく、たぶんそうだったんだろうなぁと、他人の様に言っているだけです。

今頃になって、気づく、それも多分と想像しかできないということが、どれほどすごいことかと、思います。

親が子に何の心配もかけないで、子供が自分一人ですくすくと育ったかのようにあるのが、健康で平和な家庭といえると思うのです。

果たして、芦孝会会員が、親の苦労を知らないで育つ子供のままであっていいのかなぁと、思うことがあります。

後ろを振り返らず、先のことを考えてきて、20年。その前身を数えると、30年余り。
そろそろ≪温故新生≫の『温故』をズームアップしても良いのではないかなぁ。



コメント    この記事についてブログを書く
« 手書きの関吟ニュース | トップ | 猫缶 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。