風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

何かをしないこと

2021年05月10日 | 徒然に日々のことを
何かをすることに、多大なエネルギーを使っていると思っていましたが、何かをしないことがとても難しくそれ以上に、大変だということを知る。

体に力を入れるのは、簡単ですが、「力を抜いて」というとこれは、難しいと同じように、何もしないで、見守ることの方が、難しくエネルギ―を使う。

待つこと、見守ることは、放置ではないのだから。

そうだなぁ、見守ることのエネルギー消費が辛くなって、黙っていられなくなって、ひとたび言葉を発すると、縁を切ったと思われたことがあった。
何かをしないで黙っているというしんどい作業に耐えてこそ、それが本当の見守りなのだとわかる。

稲葉俊郎さんのFacebookから、
『「する」と「しない」の両方向の力を同時に拮抗させることが、だいじだ。両方向の力を常に同時に拮抗させることを忘れなければ、「しない」方にシフトすることはそんなに難しいことではない。』とおっしゃる。

凡人の私には、そもそも「拮抗」という作業が、とんでもなく難しく、苦しいぞ。

ただ、「しない」を人間の体に取って、大事な「眠り」ということでとらえると、自然な営みに添って生きていけば、ブレーキをかけられるってことなのかな。

大人の私は、寝るよと、発しないけれど、赤ちゃんや子供は、「ねむりたい」を泣くことで表現する。それは、無防備になる危険から自分を守っているからでしょう。

老齢になったわがやのこたろうさんも、最近は、眠る前に、くるくる回って、布団にくぼみを作りながら 「おーい、いまからねるからね」と大きな声を発してから、おもむろに横になるようになりました。


「休む」、「しない」、ということを難しくなく実行するには、成熟した大人の知恵と力が、必要ということなのか。
力のない者は、遠慮なく、大きな声を発してから、「しない」をアピールすればよいのです。
そして、それを見守るのは、知恵のある大人ということ。

「個人の眠り」に相当する、「文明の眠り」とはどういうことだろうか、と2021年の文明に投げかけられている。と稲葉さんは、おっしゃっています。




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