風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

as it is

2020年09月21日 | 徒然に日々のことを
写真家さんは、どうして、こんなに胸を打つシーンを撮ることができるのかなぁ。

それができるから、写真家なんだねぇ。

だって、こんな何気ない私も母として、いつかは、見たことがある風景は、撮ろうと思えば、いくらでも撮れたはずの、いつもそばにあった画像なんだけど。

光の具合とか、色の選択とか、切り取り位置とか、どれひとつとっても、センスに溢れている。何より、優しい。

本になるってことは、そういうことだね。
写真集は、ちょっと、値段がね。。。でも、買ったよ。

写真教室に行けば、これに近いものはとれるようになるだろう。

だとしても、近いものと本物とのほんの少しの距離が、永遠なのよね。


昨日の、大贋作展の絵といい、今日の、rinko kawauchiの写真といい、心ゆすぶられて、体が楽になるような気がする。

ずっと、かわるがわる眺めて、へぇー、「絵画は、他の表現と違い、鑑賞の瞬間性が非常に強いジャンルです。1秒見ただけで、その絵画が持つ90%以上を受け取る、というような体験は、特に珍しいものではありません。」♂?c誠(アーティスト)ー

と、大贋作展の本の解説に、会田さんがおっしゃっています。

どちらの本も、うんざりするような文字の連なりがなく、最小限に集約されて、目と感性を喜ばしてくれました。

作品となるまでの、膨大な時間と労力が、無かったかのように、1秒で、判断されてしまうのも、辛いねぇ。

件pは、厳しい。

絵画に限らず、何でもそうかもしれない。
絵にかかわる人は、「絵は」と言うでしょう。

件pに限らず、その、時間と労力と、鰍ッた思いと、そのもろもろをわかったうえで、丸ごと評価してくれるのは、その人と、一緒に歩いてきた人だけかも。

それこそ、二分間かかる詩吟も、でだしのひと声で、判断して、最後まで聞いたとしても、魔ウない人もいるのだから。

ゼロから、今までのこと、ずっとわかってくれているのは、誰?
その上で、判断しているのは、誰?

その一瞬だけで、判断されたら、良い評価だったら喜んでおしまいだけど、悪い評価だったら、辛いよね。

それでも、一瞬で、評価したことは、一生記憶に残っていくから、それと、戦うのは、自分だけ。
それが、辛い、難しいなら、そこから、離れるしかないねぇ。


小学生の時、始めてみたエルグレコの「受胎告知」は、まさに一瞬で、焼き付けられた絵。
大人になって、やっと入った、美術館のそばの喫茶「エルグレコ」で飲んだ、珈琲は、格別だった。

もし、一瞬でとらえたのが、モローの「断崖」だったら?
           ・・・・・・・・・・

行き詰って、ふと、後ろを見たら、手元の明かりだけしかついていない、薄暗い部屋の片隅に、こたろうさんが、後ろを向いて、待っていました。
後姿で待ってるなんて!猫好きには、たまらないね!

カメラを構えたら、こちらを向いてくれたのです。
絵的には、これが良いですね。   
    「あのー、そろそろ、ごはんを・・・」と、言ってます。


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