風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

尺八伴奏

2019年06月30日 | 詩吟
昨日の、尺八伴奏による吟詠は、見事に2分10秒も時間がかかっていました。
録音をしておいてよかった。
こんな悠長な吟詠を聞かされたら、聞いている人までも恥ずかしくて居心地が悪くなったことでしょう。
短いくらいの吟詠の方が潔い。

一人だけ、それとなく、かなり遠回しに、言ってくださった方がいて、ありがたいと思った。

問題意識を持っていなかったら、気づかずスルーしてしまうほどの、優しい遠回しの言い方だったなぁ。
有りがたいご指摘であったことに気が付いてよかった。

私には、このやさしさがないなぁ。
せっかくのチャンスなのだから、わかって(わからせて)なおせたら良い(矯正したい)と、思ってしまいます。
やさしさってねぇ。。。。。。。  そう言うことか。

今日は、特にコメントは、言ってもらえる場ではなかったのだと、実感する。
今日の練習は、吟詠は完成したうえで、舞台の流れを練習する場なのだから、「いまさら、吟詠のチェックを入れるほどの段階ではないわい!」「甘えるんじゃない!」と、言われるはず。

それにしても、今日の練習に尺八の先生をお呼びくださったことに、本当にあり難いと思う。
尺八の音の伸びやかさについ、声を出しっぱなしにしてしまいました。

生演奏の伴奏は、理性をもって、流されない賢さが要るねぇ。
ャ潟hールのコンクールは、生演奏だから、いつも出場している方は、もう、自分のものにしていました。

「音を待たないで、自分のペースで。」
新人さんの出場者には、くれぐれもとお伝えせねば。


オルティンドーは、声の調子、馬頭琴の伴奏が良ければ、いくらでも声をのばして歌うことができるし、歌って良いのです。
体調の良いときは、いつもより、二倍でも三倍でも歌が長くなるし、それを良しとする。

もっとも、オルティンドーは、モンゴル相撲の景気づけに一日中、いろんな歌手によって次々と詠われるものだから、一曲の長さは、問題にならない。
気持ちよい声を出してくれたら、体が伸びやかになって、長い時間戦う戦士たちには、これ以上のものはないから。

15秒も長かったなんて、恥ずかしい。
これを肝に命じて、1分55秒で、吟じる練習をいたします。
詩吟の体内時計を、セットして、生演奏の伴奏は、あとからついてくるものと、肝に命じます。

20周年の当日も尺八の伴奏をして下さる「都山流大師範 片桐露山先生」、遠くから、お運び頂きまして本当にありがとうございました。
ご高齢のように見受けました。ちっとも疲れを見せず、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。




コメント