風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

「しゅうや」と「よもすがら」

2017年04月22日 | 徒然に日々のことを
「しゅうや」は、ふと、かたすみに「よもすがら」が、ひっそりと佇んでいるのに気が付きました。

なんて、美しい。

こっちを向いてほしいなぁ、と思う。

長い間、その存在に気がついてくれなかった「しゅうや」に「よもすがら」は、そう簡単に気を許すはずがない。

「しゅうや」は、思う。

『しゅうやねむらず どくぼうのうち』の世界にどっぷりと浸っていたのだからねぇ。

「よもすがら」に惹かれるものを感じたからと言って、『よもすがらねむらず』と、置き換えることは出来ないね。

元来、「しゅうや」と「よもすがら」の混在するはずの世界にいるのだから、その両方を自在に使い分けているはずなのに、「しゅうや」しか意識になく、「よもすがら」にいまさら気づくなんてねぇ。



「よもすがら」は、当分、私のことをすねて許してくれないだろうけれど、少しずつ、暗いところから、「しゅうや」と同じあかるいところへお誘い申し上げ、並んでいただくことにしよう。


そうしたら、「しゅうや」のうしろに「よもすがら」がしっかりと存在する深みのある「終夜眠らず独房の内」を詠えるようになるだろう。

そしてさらには、「よもすがら」の代表として「夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり」 俊恵法師(85番)も、柔らかに詠えるようになるかもしれないなぁ。

さぁ、懐かしい佐藤鷺照先生の「母」松口月城作を聞きなおさなくちゃ。

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姿勢が整うと

2017年04月22日 | 体を整える
施術を受けて、姿勢が整うと、心まで、整理されて、自信なかったことに、自信が持てるようになります。

行きは、うなだれていても、帰りは意気揚々。

今日は、特に、肩が後ろによりましたねと、喜んでくださいました。

纔かずつでも、肩が、広がってくると、うなだれた残念な姿勢が、シャキッととなる。
すると、胸が開いて、呼吸が楽になります。

そして、臍の下へと力が下りていって、程よい支えができるので、いままでより、声が伸びやかに出てきます。

この、仕上がりを教えてあげたい人がいます。

そして、膝の裏を延ばし、関節の隙間を作りだす体操のワンランク上のやり方を習いました。

これをした時は、寝転んでいるため、見ることはできないのです。
だから、体の感覚として、体操の効果を感じるのですが、足が10センチくらい伸びた気がします。
そして、体操をした側が床に沈んでいるような、感覚になります。

そして、もう一方も同じ体操をすると両足が揃って、腰のアーチがより高く形成されます。

朝起きた時も、体操が、正しい動きをした時は、おき上がったとき、腰が痛かったり、ふらついたりしません。


体の芯が通り、緩んでくると、すべてが、滑らかに、明らかになってきます。

そうなると、なんでもこい!と言う気になります。


すると、詩吟の練習をすると、いつまでも続けたいと思うくらいに、快調です。

こんな時、声が出るからと油断をすると、ひどい吟詠になるので、今日は、録音をしてそれを聞きながら、タイムを取りながら、やってみました。

声の出るまま気持ちよく吟じると、2分越えするし、急いで短くしようとすると、短すぎるし、まるで、バランス感がない。

これでは、伴吟は、惨憺たるものになってしまう。まして、今回練習中の吟は、小西如泉先生の伴吟だから、狂いは許されません。

練習あるのみです。


そして、今一つ、コンクールに出場するとなったら、コメント頂けるのかなぁという件を、堂々巡りで、考え始める。
自分の吟じている本当の吟詠は、どうしたら、わかるのかなぁ。



そんな迷いを、山田先生は、ちゃんと見抜いて、螺旋を引き合いに、上昇すればこそ、そして、必ず、螺旋の裏側に来ることはあるのだからと、おっしゃる。

「螺旋の裏側」か、螺旋は、どこも表と思っていたけれど、螺旋の裏側ねぇ。
初めて、聞く言葉。
奥が深い。
先生も、いろんなことにぶつかり、悩んで、乗り越えていらっしゃるのだなぁ。。。


そうよねぇ。。。




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