施術を受けて、姿勢が整うと、心まで、整理されて、自信なかったことに、自信が持てるようになります。
行きは、うなだれていても、帰りは意気揚々。
今日は、特に、肩が後ろによりましたねと、喜んでくださいました。
纔かずつでも、肩が、広がってくると、うなだれた残念な姿勢が、シャキッととなる。
すると、胸が開いて、呼吸が楽になります。
そして、臍の下へと力が下りていって、程よい支えができるので、いままでより、声が伸びやかに出てきます。
この、仕上がりを教えてあげたい人がいます。
そして、膝の裏を延ばし、関節の隙間を作りだす体操のワンランク上のやり方を習いました。
これをした時は、寝転んでいるため、見ることはできないのです。
だから、体の感覚として、体操の効果を感じるのですが、足が10センチくらい伸びた気がします。
そして、体操をした側が床に沈んでいるような、感覚になります。
そして、もう一方も同じ体操をすると両足が揃って、腰のアーチがより高く形成されます。
朝起きた時も、体操が、正しい動きをした時は、おき上がったとき、腰が痛かったり、ふらついたりしません。
体の芯が通り、緩んでくると、すべてが、滑らかに、明らかになってきます。
そうなると、なんでもこい!と言う気になります。
すると、詩吟の練習をすると、いつまでも続けたいと思うくらいに、快調です。
こんな時、声が出るからと油断をすると、ひどい吟詠になるので、今日は、録音をしてそれを聞きながら、タイムを取りながら、やってみました。
声の出るまま気持ちよく吟じると、2分越えするし、急いで短くしようとすると、短すぎるし、まるで、バランス感がない。
これでは、伴吟は、惨憺たるものになってしまう。まして、今回練習中の吟は、小西如泉先生の伴吟だから、狂いは許されません。
練習あるのみです。
そして、今一つ、コンクールに出場するとなったら、コメント頂けるのかなぁという件を、堂々巡りで、考え始める。
自分の吟じている本当の吟詠は、どうしたら、わかるのかなぁ。
そんな迷いを、山田先生は、ちゃんと見抜いて、螺旋を引き合いに、上昇すればこそ、そして、必ず、螺旋の裏側に来ることはあるのだからと、おっしゃる。
「螺旋の裏側」か、螺旋は、どこも表と思っていたけれど、螺旋の裏側ねぇ。
初めて、聞く言葉。
奥が深い。
先生も、いろんなことにぶつかり、悩んで、乗り越えていらっしゃるのだなぁ。。。
そうよねぇ。。。
行きは、うなだれていても、帰りは意気揚々。
今日は、特に、肩が後ろによりましたねと、喜んでくださいました。
纔かずつでも、肩が、広がってくると、うなだれた残念な姿勢が、シャキッととなる。
すると、胸が開いて、呼吸が楽になります。
そして、臍の下へと力が下りていって、程よい支えができるので、いままでより、声が伸びやかに出てきます。
この、仕上がりを教えてあげたい人がいます。
そして、膝の裏を延ばし、関節の隙間を作りだす体操のワンランク上のやり方を習いました。
これをした時は、寝転んでいるため、見ることはできないのです。
だから、体の感覚として、体操の効果を感じるのですが、足が10センチくらい伸びた気がします。
そして、体操をした側が床に沈んでいるような、感覚になります。
そして、もう一方も同じ体操をすると両足が揃って、腰のアーチがより高く形成されます。
朝起きた時も、体操が、正しい動きをした時は、おき上がったとき、腰が痛かったり、ふらついたりしません。
体の芯が通り、緩んでくると、すべてが、滑らかに、明らかになってきます。
そうなると、なんでもこい!と言う気になります。
すると、詩吟の練習をすると、いつまでも続けたいと思うくらいに、快調です。
こんな時、声が出るからと油断をすると、ひどい吟詠になるので、今日は、録音をしてそれを聞きながら、タイムを取りながら、やってみました。
声の出るまま気持ちよく吟じると、2分越えするし、急いで短くしようとすると、短すぎるし、まるで、バランス感がない。
これでは、伴吟は、惨憺たるものになってしまう。まして、今回練習中の吟は、小西如泉先生の伴吟だから、狂いは許されません。
練習あるのみです。
そして、今一つ、コンクールに出場するとなったら、コメント頂けるのかなぁという件を、堂々巡りで、考え始める。
自分の吟じている本当の吟詠は、どうしたら、わかるのかなぁ。
そんな迷いを、山田先生は、ちゃんと見抜いて、螺旋を引き合いに、上昇すればこそ、そして、必ず、螺旋の裏側に来ることはあるのだからと、おっしゃる。
「螺旋の裏側」か、螺旋は、どこも表と思っていたけれど、螺旋の裏側ねぇ。
初めて、聞く言葉。
奥が深い。
先生も、いろんなことにぶつかり、悩んで、乗り越えていらっしゃるのだなぁ。。。
そうよねぇ。。。