風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

訃報

2017年01月18日 | 出会った人
平成29年1月17日、娘のお花の先生 古流松庭派 土田周梅先生が逝ってしまいました。

友人の娘だから、初めての弟子だからというだけでもかなりの思い入れがあるはずですが、それ以上の思いがお互いにあったように思います。
娘もその思いに応えて、精進しました。
「仕事が忙しくても必ずお稽古に来て、ちょっとの間に居眠りしながらも、花を持つとシャキッとしたよね。」という、先生の言葉が、思いだされます。


病を得てから、そして、意識の薄れて目に見える反応が無くなってからのあれこれを思いだしていると、偶然と思われたことが、すべて、先生の娘のことを考えた深い思いやりのこもった計らいであったように、感じます。
その陰には、ご主人様の先生の深い思いを十分に汲んだ上での共感があってこその導きであることも、感じられます。


この日記の2006年9月2日にも、先生と娘と花展のことが書いてあります。
あれから、10年余り。
「華道連盟や家元に実力を認められ、どんどん上へ上へと登り、それ以上にお花の腕もおろそかにせず、磨かれて名実ともに」というところだったように漏れ聞いています。

小柄な体に、強靭な心と、やさしい心遣いと、センスの良さを秘めた素晴らしい女性でした。
私よりも若いのに、あまりに早すぎます。

心のよりどころを亡くした娘は、いかばかりの想いでいるのか、気丈にふるまっています。
今日から週末まで、仕事で忙殺されるから、もしかしたら、申し訳ないけれど、お通夜にも告別式にも出席できないと思う。
きっと、先生は、自由になった身で、励ましに来てくれると思うよと、娘は言っています。

先生の闘病中、娘は、会うからには、先生には、涙は見せないと固く決めていました。
病室に招じ入れられたときは、明るく気丈にふるまい、お花の写真を見ながら、まだまだ、教えてもらわねばならないことがあるのに、と訴えていました。


その時を待つ時間の遠くて、長くて、鼓太郎に手助けを受けながら、過ごした数日間。


とうとう、その知らせが来てしまいました。



娘だけでなく、私にとって、友人としても、教える立場の身としても、いろいろと、学ぶところのある方で、これからますます、教えて欲しいこと、語り合いたいことがふえるはずなのに。

喪失感は、大きく深い。    

2015年8月29日彩花展 土田周梅教授の作品 
私の知る限りでは、公式の会では最後の作品

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