風のこたろう

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論語講座 

2016年07月13日 | 論語と
『論語』でたどる孔子の生涯と思想の流れ

共催 NPO法人あだち学習支援ボランティア「楽学の会」
   足立区生涯学習センタ―
   足立区教育委員会

講師 須藤明実先生

日時 7月6日(水)7月13日(水)7月21日(木)午後2時から4時

場所 学びピア研修室1


毎年、7月に行われる須藤先生の論語講座3日間シリーズです。

今日は、その2回目 「孔子の思想の流れを『四書』にも学ぼう」

今までは、先生の言葉をくまなくピックアップしようとして、失敗していましたが、思考と集中力の波を上手に乗って、今日のトピック(私の)を一つ持ち帰るように、ちょっとばかし賢くなってきました。


今日の、お持ち帰りは、荀子の言葉。
四書のなかの孟子を習い始めると孟子の性善説と五経のなかの荀子の性悪説とは、どうしても並列して、論じられるようです。

孟子と荀子のことばを対比して、須藤先生の言葉で、語られると、途端に、文字が立ち上がって、私にとって意味のある言葉になって、歩きだす。

「善」はすべて良しと思ってきたところへ、荀子の性悪説が始めて語られたとき、「悪」の文字がある故に、拒否感がありました。



孟子と荀子のお話は、何度目になるでしょうか、須藤先生の著書の『里仁』を手に、そこに先生の熱いことば加わると、エネルギ―が満たされます。

そして、とうとう、私の「悪」という漢字への忌避感に風穴が空いて、荀子の言っている言葉が、やっと、意味のある言葉として、入ってくるようになりました。

「青はこれを藍よりとりて、しかも藍より青し、、、」
 
「小人の額は耳より入りて、口より出ず、口耳の間は四寸のみ、何ぞもって七尺の躯を美るに足らんや」

「蓬も麻中に生ずれば、援けずして直く、白沙も涅にあらば、これと共に黒し」

荀子のこの考え方は、とても興味深い。
「悪」という文字に、惑わされて、別の箱に入って、二度と触らないはずだったのが、須藤先生の手で、箱から出されて、白日にさらされると、なんと、暖かい言葉ではないか。

これを、単純に、悪には染まりやすいものだととらえてしまったら、もったいない言葉であるなぁと、思う。

人の天性は、人為的に変えられるものではないが、学ぶことによって、身についてくるものがある。


少し、意味がわかってくると、また、あれとこれとが、こんがらがってくるのですが、また、更に先生の言葉を聞いていると、胸にストンと落ちてきて、次の思考回路へと、繋がっていきます。

様々な学びは、今すぐに、理路線然と語ることが難しくても、頂いた言葉に血を通わせて、体温に近い温かみを持つようになると、幸福感が増してきます。

そして、『その言葉が、溢れて語りたくてしょうがなくなったら、何かの機会に、たった一つ章句でよいから、あなたの言葉で、身近な人たちに語れるようになってください。』と言うのが、須藤先生の願いです。

感動した章句と須藤先生の解説を口伝えすることは、できても、私の言葉で、表現し伝えるのは、まだ、難しいなぁ。



次週の三回目は、どんな話が聴けるか、楽しみです。




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