風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

4番と7番

2016年04月21日 | 詩吟
関吟音階および譜名表 「譜NO.4 平引き下げ揺り上げ」と「譜№7 平揺りはね」


似た音のつながりの吟法で、その言葉についている譜名をしっかり認識し、きちんと吟じなければ、そのどちらなのかわからない吟じ方をしている時があります。


4番は、きちんと音階を踏んで、最後の音はきれいにフェイドアウトしながら伸ばします。
7番は、微妙な揺りを入れて、最後の音は伸びやかに手放す。

始まりの音程の次の音の動きは、4番は、下向きから、7番は、上に向けて音を出します。
つまり、揺りであるか否かのちがい。
この差は、吟じるうえでは、とても大きい。


この、ちょっとの差を、聞き手に滑らかに伸びやかに伝えるには、腹がしっかりと支えられていなければなりません。

こんな時、横隔膜を下げるテクニックが、できていると、伸ばすにしても、手放すにしても、美しく吟じられます。

 
大きな声を出すには、却って力が要りません。
本当は、大きな声も、小さな声も同じように出せなければならないのですが、未熟者の私は、ことさらに、横隔膜を意識せざるを得なくて、頑張ってしまうのです。


こんなことは、文字で書くとたくさんの言葉を要しますが、並んで、吟詠をすればたちどころに違いがわかって、体の使い方もわかるのだけれど。

頭で理解する人と、文字で、体で、感覚で、それぞれの得意分野で、学び感じ取るのですが、思いこみで、決めつけないのが肝心。


今までの、個人データは、忘れ去って、また、ゼロから、生徒さんたちと対していかねば。
ということは、螺旋が一回りあるいは二回りしたことになるのよねぇ。
ゼロと言っても、もう、ゼロでは有り得ない。螺旋だから。

4段取得者は、これから、益々、自分らしさを出していかねばなりません。
これからは、特に生徒さんの個人にかかわることを書き記すのは、控えねばなりませんね。
ずっと書き方が抽象的になってくるでしょう。
私自身が、客観的に物事を捕えて、書く練習です。

そして、自分で自分の能力をアップせねばなりません。
良い刺激を受けて、苦手意識を、どこまで克服できるでしょうか。

こんな制限の中で、書き続けることができるでしょうか。


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菜根譚とはじめの一歩

2016年04月21日 | 論語と
4月の新しい出発です。

新越谷に場所を変えて、新しいメンバーも迎えて、始まりました。

解放的で明るい会場は、心地よく、集中が途切れそうになったら、外を眺められます。

菜根譚の新しい資料を頂いて、新しいスタートです。


書物を読んでも、聖賢の精神に触れなければ、文字の奴隷に過ぎない。
学問を講じても、実践が伴わなければ、口先だけの修業に過ぎない。


須藤先生よりの学びを実践につなげられる日は、ちょっとまだ先のことのようですが、学びをすることが、今は何よりの喜び。
先に、來るはずの、実践のできるようになる日を楽しみに。


はじめの一歩は、新会場になって、5人の新人さんを迎えました。
そのお一人は、男性。

ゆっくり、のんびりの方法で行くことは伝わったようです。
声を出すのは、なかなか、勇気のいることです。
吟友が、後ろから声とエネルギーの後押しをしてくださるのが、なによりの応援です。
祖の応援は、新人さんの恥ずかしさを取り去ることだけでなく、私への、大きなエールとなります。

また、緩やかに、新しい一年が、はじまり、伸びやかに続きますことを祈っています。

今月は、良寛の「意に可なり」をお二人の合吟で、お聞きいただいています。
先生の講座にすべて出ている人は、一か月にテーマ吟を三回聴くことになります。

漢詩は、作者の思いの凝集されたものが表されるものだから、研究していけば、必ず漢詩が出現し、その漢詩を是非吟じていただきたくなるとは、須藤先生のお言葉。


関吟テキスト巻頭言「前略~ その意を悟り、その義を楽しむに至りて完きなり。楽しめばすなわち生ず。詩中の景、詩中の情、油然として其の心に生じ来たりて、己れ遂に詩中の人となる。これを同化という。吟詩の妙味ここにあり、修養の道も亦ここにあり。われ諸君とここに従事せん。 初代会長藤澤黄坡遺文」


吟界だけでなく、論語と須藤先生の世界にも、このことを体現できる機会を頂いて、なんて幸せなことでしょう!




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