風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢青葉9月

2015年09月18日 | 詩吟
今日も雨予報。完全に雨対策で出かけたのですが、雨に降られることもなく、会場となる友人宅へ着きました。
今日は、ちゃんと、定刻です。

連絡事項、ニュース配布の後、あたらしいテキストをお見せしました。
初心者20吟を練習するには、不足のないプリントをお渡ししていますが、出席者の二人は、購入申し込みです。

今日は、新しい吟は習わないで、専ら練成会の吟の練習になりました。

それぞれの独吟、教室合吟 連合吟と、すべてをこなさねばなりません。
どこまで、要求してよいのか、緩めてよいのか、このような経験がないので、まったくわかりません。

過去の経験に照らし合わせて、瞬時に判断していましたが、どんどんと会員さんたちが成長していくと、過去に経験のないことがますます増えてきて、しっかりと考えねばならなくなりました。
初心者の頃は、瞬時に判断せねばならないことばかりでしたから、その経験値はとても力になりました。

基本的なことができてくると、感覚ではなく、じっくりと互いに考えながらという段階に達したので、一瞬をとらえるべく神経を集中させる時間が少なくなった。


手とり足取りは三段までよと言ってきたことが、実感して迫ってきました。
一部始終に目を配らせるのではなく、自分で判断することが増えてくるようにならねば、意味がありません。
そのどこまでを、個性とし、そのどこまでを、わがままとするか、間違いとするか。

24時間手元にいた幼児を幼稚園や小学校に旅立たせるのと同じ。
それは、楽になるのではなく、見えないところや聞こえないところに、気を配らねばならなくなったということで、試されるは、私でありました。


これからは、私の不得意分野で、会員さんたちと相対さねばなりません。
じっくり考えて、よく観察する。それこそ、手放しながら、寄り添い、ともに成長する。



それぞれの詩吟に対する思いを尊重して、基本の生活を大事にして、長く続けたい。
たかが、お稽古。されどお稽古。

習いごとにかける思いと、それにかけられる時間や負担は、比例するものではなく、それぞれの事情によって刻々に変わるものです。

やり始めたら、ペースを落とさないことのできる環境にいる人。
思いは熱くても、状況によって、変えざるを得ない人。
淡々とマイペースを守れる人。

様々な状況にいる人たちが気持ちを疲れさせないで、長く続けるには、平等という考えを今と違った角度から眺めてみなくては。

三段になったら、手が離れて楽になると思ったのは、大間違いだったなぁ。



さらにさらに、私自身が成長をするチャンスを与えられたわけで、またしても、お手本がない。
三段までは、岡山にいて、いろんな刺激が入ってきて、それなりに学ぶことがあったのだけれど、こちらに来て、教えない教えを受けるようになってからは、果たして何を得てきたのだろう。
もしかして、今までの貯金は、使い果たしたかもしれないなぁ。

ふるさとに帰って、学生時代の恩師と話がしたい。
故郷で、私をはるかに追い抜いて、上級指導者になっている人の経験談を聞きたい。


一つの慰めは、須藤先生の講座を受けていることかなぁ。

今の私は、光を集めているところ。
目いっぱいに開いている扉から、光が漏れてしまう。

光を、内に包含するということはどういうことなのだろう。
オーラとは、なんだろう。

女性指導者が、肩を並べて物事を考え、相談しあえる日は近いのかなぁ。


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