風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

足立『論語』

2015年09月03日 | 論語と
孔子が生まれてからの歴史を紐解きながら、その時々の弟子とのかかわり、そして、孔子が弟子たちに語った言葉を、素読していきました。

論語の一つの章句として、学び、先生の解説を聞いているのとはまた別の生きた言葉が、目の前に展開されました。

時系列、歴史などということにとても弱い私でも、今までのちょっとした積み重ねがあって、今日のような、解説の仕方をしていただくと、活字が、言葉として起き上がってきます。

先生からいただいた2枚のレジメは、一つは、「私のメモ」としてびっしりとA4の用紙に肉筆でかきこまれたものと、そのメモを、清書して、ワープロで簡潔に整えられたもの。

ごちゃっとしていても、先生の肉筆のものが、読んでいて、理解が届きます。


さて、今日は、授業が終わった後で、学びピアでは無い会場を先生と見に行きました。
第三木曜日の、詩吟対応の部屋探しです。
大きな声を出しても構わない部屋であれば、細かいことは問わないと、先生はおっしゃいます。

先生の授業のためではなく、詩吟のために先生にご足労願うのは、申し訳ないのですが、同じ生徒さんが参加している教室の1時間目と2時間目ですから、同期して動かねばなりません。

3か月前に場所取りをするのは、どこの会場も同じですから、条件としては、変わりません。
3か月前のその日から取れるのと、三か月前のついたちというのとの違いです。
学びピアが取れなければ、そちらに取りに行くというタイミングでも、十分取れるので、ちょっと気が楽です。

それにしても、詩吟と言うと、場所取りが、これほど困難になるとは、思っていませんでした。
いつも、場所取りをしてくださっている方がたのご苦労を、思います。

さて、第三木曜日の、菜根譚とはじめの一歩の授業は、これからどうなるのでしょう。
主となる須藤先生の活動しやすい場所であれば、問題ないのですが、場所が変わることで、参加困難になる方が出るのは、申し訳ないけれど、仕方がないことです。


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