風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

SAVE THE CHILDREN

2006年03月16日 | チンゲル亭
 SAVE THE CHILDRENに行き始めて、今日で19回にもなりました。
去年の10月6日にスタートし他のですから、お正月を一ヶ月休んだとしても、来週が20回になるということです。

そのうち、一人だったのは最初の4回だけ。
もう14回もKさんとのコンビネーションが続いているのです。
そんなに回を重ねたことになるのか、数えてみて驚きました。

今日の日本語は、「これ、それ、あれ」。
そして、新聞で作る手裏剣。

二人とも自分の担当の準備をするのに精一杯で、お互いを手助けをするゆとりがないのですが、それぞれを一生懸命こなすことによって、一時間の授業を作り上げています。

今日は、日本モンゴルセンターの村上先生が最後のご挨拶にいらっしゃっていました。
来月には帰国し、次の日本語教師とバトンタッチします。

出来上がった手裏剣を外で投げっこしている楽しそうな風景をお得意のカメラに収めてくださいました。
前回いらっしゃったときは、私の授業風景を撮ってくださいました。
今度は、Kさんの指導の様子や子どものうれしそうな動きのある様子を撮って下さいました。

私の「新聞で。。。」という考え方をKさんに理解していただいて、先週から新聞を使って、折り紙を子どもたちに教えて下さっています。
いろいろと頭を悩ませているKさんに感謝。
素人の私が言うのは、はばかられることですが、Kさんもずいぶん教え方が板についてきました。
肩がなだらかになって、笑顔が増えました。

最強のおばさん軍団が間もなく誕生です???

と、自分を励まし励まししている今日この頃。
毎日の綱渡りのようなサバイバル授業に、冷や汗たらたら、今日でおしまいかなぁと自信喪失したり、毎週、心が忙しい。
これって、最後まで続くのかなぁ。。。。。
強気になるとそれと同じ大きさの反動が来るのよね。





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1500キロを走って

2006年03月16日 | モンゴル通信から
3月4日、国費留学試験がモンゴルコツ率大学で実施された。
これを受験するため、UBから1,500キロ離れたホブド県の学生12人がマイクロバスに乗ってやってきた。
彼らは西モンゴルで唯一の国立大学、ホブド大学で日本語を学ぶ2年生6人と3年生6人。
車の中で寝泊りして2泊3日。昼夜を徹して悪路を走り続けて来たと言う。
 受験後の乾燥は、「勉強しただけの力はだせました」と晴れ晴れとした表情。
首都を始めて訪れた学生は、「街では泥棒に気をつけ、きんちょうしました」と頬を赤くした。
 この大学では、3年前、日本語学科が創設され、現在の学生数は68人。将来、ホブドを西モンゴル観光の拠点にしたいと、通訳ガイド、末フプロを要請する目的で日本語を教えている。
たった一人の日本語教師、木本文子さんは、8年間ウランバートルで教えた経験を元に、親身になって学生を指導してきた。
「地方でも日本語を習っている学生がいることを知って欲しい。街の学生よりまじめで熱心に学習するので、教師冥利に尽きます。」と言う。
 6日、学生5人と木本さんは日本大使館に一はしたい死を訪ね、面会した。学生たちは、「お金がないので飛行機には乗れません。地方でも受験できるようにお願いします。」と要請した。
突然の面会にも快く応じた大使は、「直ぐには無理だが、」と前置きし、「若い人にはチャンスがいくらでも開ける。頑張ってください」と激励。学生たちは7日の発表を見て帰路に着く。
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