風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

修道院その2

2004年05月10日 | チンゲル亭過去日記

マザーテレサの教会は、最下層の人たちを助けることが使命ですから、特にその国の言葉を早く覚え、彼らのほんととうそを理解した上で活動をせねばなりません。

子供達は、片親の子がほとんどで、家族で一緒に住めなかったり、一緒にいることに意味を見つけられなかったり、この施設に来なくなったり、マンホールチルドレンの仲間になったり、また帰ってきたり、さまざまな子供がやってきています。

UBのある地域では、ごみの山で暮らしている子もいて、近々、彼女はその場所を訪れて、何がまず必要か見極める作業からはじめるそうです。

テレビを見ていると、ほんとに恵まれ、習い事をし、高価なおもちゃに囲まれているモンゴル人の子供も見受けられます。
ほんとに、貧富の差が大きく大きくなってきているようです。

マザーテラレサの教えの元に活動をしているこの修道院のほかに、UBにはいくつかの教会があり、その教会はそれぞれの活動を行っています。

この、修道院は民家を買って修理しながら、隣の家とつなげながら使っているので迷路のようです。
雨漏りがするので、その天井は、乾燥しているモンゴルではじめてカビを見ました。

去年塗ったばかりの、壁のペンキがぽろぽろとはがれたり、ペンキ職人にお金を渡して、ペンキ塗りの依頼をしたら、飲んだくれて、お金を使い果たしてしまって、恥ずかしくて二度とここに来られなくなった話も聞きました。

モンゴルは寒いから、冬は呑まずには、居られないせいもあって、お酒で身を持ち崩す人が多いのです。
自分自身も、飲みつぶれて凍傷になり、手や足の先を失う人、子供を犠牲にしてしまう人が後を立たないのです。

こちらに来て間もない彼女は、楽しげに話をしてくれましたが、本当は、これから何を手始めにしたら良いのかと、もしかしたら、途方にくれているのではないかと思いました。

どなたか、手助けをしてくださる方がいらっしゃったら、お願いしますともおっしゃっていました。

11月には帰国してしまう私たちには、何がしてあげられるのだろうと思います。

彼女は、手助け、物助け、心助け、お金助け、どれも大事です。
と、おっしゃっていました。
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植樹祭その2と修道院その1

2004年05月10日 | チンゲル亭過去日記

用事を終えて、もう一度会場の前を通ったら、作業員さんが軍の給水車から水をたっぷり上げていました。
ほっとしました。今の時期は、風が強くさらさらとした土に植えられた若木はたっぷり水を上げないと、すぐに枯れてしまいそうなのです。
この、空港からUBにむかうヤルマグの道路わきの公園は、トーラ川のそばにあるので、運ぶのは大変ですが、水は何とか確保できそうです。

ある程度育って根を張るまで、どうぞ、水を忘れないでくださいね。

植樹祭の後で、ご一緒した日本人に連れられて、その会場近くにあるマザーテレサの修道院に行ってきました。

日本人の修道女がいらっしゃって、その方にこの修道院の話を伺いました。
ここには、小学生が学校前に来て、食事をして、ここにおいてあるかばんを持って学校に行き、学校が終わったら、またここに来て宿題をして食事をして帰っていくそうです。

一つの部屋には、天井まで棚があって、かばんや上着が入っていました。それぞれの棚の一区切りには、名前が書いてありました。
反対側の壁には、制服がバーにかかっています。制服は強制ではないので、人数分はないそうです。

ここに、バスを3回も乗り継いでくる子もいます。
12歳までは、バスは無料だそうです。14歳までは100トグルクが必要なのですが、体の小さい子や、優しい運手さんにであったときはただで乗ってくるそうです。
運悪く、見つかっておろされてしまうと、また次のバスを待って、根気良くやさしい運手主さんに出会うまで、乗ってはおろされ、乗ってはおろされしながらも通ってくる子もいるそうです。

ここで活動を始めて、8年になるそうですが、一番年かさの子供が仕事を探す年齢になってきているので、いろいろと手助けをしてやりたいことがどんどん増えてきて、頭を悩ませることも増えてきているのです。

中の一人は、修道女になりたいという希望があるのですが、その勉強をするには、ローマ、韓国、フィリピンのいずれかの国に行って学ぶ必要があり、そのためには英語を習得することが先決だそうです。

この、修道院には、いろいろな国からの修道女が集まっていて、その共通語は英語です。
派遣されるのは、自分の意思ではなく教会からの指示によるのです。
彼女らは、母国語と英語と派遣国の言葉を覚える必要があります。
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植樹祭

2004年05月10日 | チンゲル亭過去日記

今年は、モンゴル国と日本の文化友好が始まって、40年になるそうです。
そして、ウランバートル市の365周年に当たる年です。

親善協会長の柳沢さんを中心とする日本人ボランティアが20名参加して、植樹祭が行われ、UBに在住の日本人は一人でも多くと参加を呼びかけられて、参列してきました。

大統領もいらっしゃるということで、どんなことになるのやら。
一応私は、パンツスーツで出かけたのですが、ご一緒した日本人の奥さんはセーターにジーンズ姿。
会場に到着して、回りを見回したら、背広姿、コート姿、Gジャン姿、皮のジャンパーの人、いろいろさまざま。

鉄のフェンスの中に、穴が掘ってあり、2種類(スピーチの中で200本といっていました)の木が用意されていました。

適当に、横断幕の前に集まっていると、やがて、黒塗りの車から大統領が降り立って、日本大使、親善協会長、大統領、UB市民議会代表の祝辞、謝辞がありました。

テレビや新聞の記者がメモを取ったり、写真を撮ったり、携帯の電話も平気、係りの人たちもデジカメを持って写真を撮る、そうそうたる面々のスピーチを通訳した女性が、くちゃくちゃとガムをかむ。

日本人(わたしたち)が、ぱちぱちと写真を撮る。
その辺の、小さな町の植樹祭のような雰囲気です。
日本から持ってきたテープのカットをして、植樹を1本したら、あっという間に式典は終わり、大統領は車の人になりました。
ちょっと違ったのは、耳にイアホンをして、サングラス黒服のいかにもSPらしい人が何人かいたことでした。

招待状の、日本語訳に書いてあったおそらく後援をしたグループと思われる名前を書き写してみます。

日本国モンゴル国親善協会
ウランバートル市民議員会幹部
ウランバートル市役所官房局
ウランバートル市長業務
モンゴル日本協力応援「TUNSHIIN HOLBOO」協会
モンゴル国ー日本国親善協会
モンゴル国平和友好団体連名
モンゴル国を植林する日本国の組織組合

日本から来た、ボランティアさんはまったくの手弁当でこられたという話でした。
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