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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

引き継ぎました。

2020年10月28日 | 徒然に日々のことを
25日、夢青葉の指導者引継ぎを終えて、長ーく息を吐いて、手足を伸ばす。

その日は、会員の二人とも、昇段、昇格の該当者で、一吟の発表ができました。そして、新指導者のO先生は、希望者の枠で、一吟。私も、昇格者で、一吟。
夢青葉のフルメンバーが、そろって壇上で、吟詠発表をして、良い区切りをつけることができました。

その吟詠は、「塾生に示す」です。新指導者の心意気を遺憾なく表明した吟題として、高い評価を受けました。

その上に、その方がたは、私の好きな吟題でもあることもちゃんと知っていただいての感想でした。

こんな風に暖かく迎えて、高く評価して下さったことに、胸が熱くなります。

夢青葉の次へのステップが、幸先良く始まって、縁起が良いねぇ。

特に事件があったわけではなく、自然の流れで時期が来たと、判断したのです。
とてもいいたいみんぐでの決断だったと、思います。

O先生については、2年前からお忙しい中、練習の方法や、吟題選びについては、考えていたことでしょう。
それ以前からも、特に吟題選定については、ご自身の意見をお聞きしていました。
その方法で行けば、更に詩吟が好きになっていくことだろうと、そのころから、期待していました。

基本の基にこだわった今までの反復練習から卒業して、ひとつ上級の指導を受けたら、さぞ大きな花が開くことでしょう。

年齢だけを聞くと、あまりに年若いことで、いろいろとご心配される向きもあろうことでしょう。折があれば、詩吟に関わる経歴を何かの形で、発表することは、必要かもしれません。
私としては、文字に書けることよりも大事な「心意気」の点で、何の心配もしていませんから、構わず、存分に活躍なさいませ。

そして、二人の会員さんは、若い指導者をしっかり支えて、環境を整え、居心地よくしてくださることでしょう。

明日は、引継ぎ後初めての、お稽古日です。
すでに、絶句と律詩の練習吟題の発表連絡もあり、滑らかな滑り出しをしました。

             おめでとう!

来月からは、KANGIN TOKYO NEWSへの記載も完璧なものとなって、告知され、名実ともに新指導者の活動開始と相なります。
みなさん、よろしくお願いいたします。


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横浜港湾見学会

2020年10月19日 | 徒然に日々のことを
横浜港港湾施設見学会

市民に準ずる扱いをしていただいて、参加してきました。
ウグイス吟詠のお手伝いをしている関係者として、指方先生とその仲間の方からお誘いを頂きました。
おかげさまで、めったに経験できない港湾の見学をしてきました。

午前中は、船で、港を一周。
自由にランチを楽しんだ後で、バスに乗り換えて、港湾施設を海と船が大好きなボランティアガイドさんの案内で、見学です。

大桟橋ふ頭を出発して、横浜港のふ頭の何時もは、入れないところまで行きました。

一番ガイドさんが喜んだのは、めったに遭遇しない線路の赤信号。バスが止まって、貨物列車が過ぎるのを眺めるというなんてことはない、孫なら喜びそうなこと。
話を聞くと、神奈川臨海鉄道は、本牧から根岸駅まで一日に一回運行されるそうで、その、赤信号にかかって、バスが止まるのが、とても幸運で、めったにないことなのだそうです。
その赤信号に、遭遇して、バスの車窓から、貨物列車を見送ることができました。
あまりに、可愛くガイドさんが、喜ぶので、一緒に喜ぶことにしました。

そして、もう一つ記憶に残ったのは、ファンネルマーク。

煙突に描かれたマークのことで、この写真は、郵船のマーク。そして、この船は、氷川丸。
その他、商船三井、Kラインが主なもので、煙突のマークで、どこの船かわかるのだそうです。

横浜ベイブリッジの建設当時、50メートルの高さの客船は、無かったので、その高さで建設をされたのだが、今ではどんどん客船が大きくなって、ベイブリッジをくぐって大桟橋まで、航行できない船も出てきたとのこと。
そのため、産業用ふ頭の大黒ふ頭に、大型客船が停泊したこともあったそうです。
今では、南本牧ふ頭に、大型客船専用のふ頭建設が進み、コロナの終息を願って、大型客船が来横し、お客様の横浜誘致を心から願っているそうです。

斜めで、聞いていたガイドさんの言葉です。目を輝かせて聞き入っていた、殿方とは、興味の度合いが違っていました。今になって、ガイドさんの心から港が好き、船が好きと言っていた一つ一つの様子が思い浮かべられて、もう少し熱心に話を聞いたら良かったと、反省。

と、書きつつ、駅へ向かうバスの車窓からのこの自転車に興味が動く。果たして、隠れたの?それとも、隠してるの? そして、歩道橋の装飾が港湾の街の横浜らしいね。

話の種に、一回こっきりでいいなと思ったけど、一日経って、又誘われたら、行ってもいいなと思い始めました。

そうそう、ガントリークレーンのニックネームがキリンだったし、一隻の船に、車が8階建てで6千台も積まれるんだって!そして,一台ずつ人間が運転しての積み込みで、車と車の間は、握りこぶし一つ分だとか!
もっと、驚いて聞いてあげればよかったなぁ。 


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風を切る

2020年10月13日 | 徒然に日々のことを
自転車って、こんなに気持ちの良いものだった?

今日の気温は、23度 薄曇り 

勢いよく漕ぎだして、あっ まずい!  サドルが高すぎる。

この高さにサドルがあると、ペダルの踏み込みが良くて、同じ自転車でもよく走る。

車に気を付けながら、東へ向けて、構わず走る。

あ~、きもちいいなぁ~。



帽子も、眼鏡も、マスクもきにならない。

風を切るって、こんな感じだったね。


自転車に乗るのは、三日ぶりだけれど、いつものサドルの位置は、両足裏が地面にぺったりとつく。超が付くほどの安全な位置に下げてある。

心身が重いときは、安全第一、ここ三年位この位置に下げて乗っていました。
これは、もしかの時の安全位置だから、早く走るには向いていない、どちらかというと膝に負担がかかっていたかもしれないが、ギアを一番下にしているから、それほどの負担はなく走っていたのかな?

それなのに、今日は、片足のつま先がやっと着くくらいの、危ない位置も、なんのその。
心身が軽いってことね。

抜け出たなぁ。

足にも力が十分に入っているから、二番目のギアでも、いつもの坂道を普通に登っていける。
あぁ、最高。

この坂、短いのだけれど、急で、先が細くなっているのに、すれ違いが結構あるので、最近では、自転車を降りて押し歩きをしようかなとさえ思い始めたほど。

それを、二番目ギアのままで、スイッと。

応ええられない、嬉しさ。

サドルを下ろし忘れた夫に、グッジョブ。


ただし、帰宅後は、さすがに、片足がペタリとつく位置まで、下げました。

安全第一。自転車の転唐ヘ、こわい、こわい。いまどきの骨折は、命取りですから。
ちょっとしたおば(ぁ)さんの冒険でした。

イラストは、フリー素材をお借りしました。
二枚目のイラストの題名は、「シニア」とありました。




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夏井先生

2020年10月11日 | 徒然に日々のことを
触発されて?一句

よほど感動しなければ、詩作などできない私が、10年いや、もう20年前になるだろうか、俳句を作ったことがある。

娘二人がまだ家にいて、炬燵に三人。
娘の一人は、こたつに入ると、寝てしまう。
起こしても起きないので、しょうがないねぇともう一人の娘と二人で頂き物の最中を食べることに。
その最中は、餡と皮が別に包装されていて、食べる時に合わせて食べるのです。その皮のパリパリの感触と音が何とも言えない銘菓です。

寝坊助で、食いしん坊の娘の思った通りの反応に、大笑いし、まだ寝ぼけたままで、「食べる」と言った時のこと。それぞれの娘の笑顔を思いだします。鰍ッ値なしの幸せ


そして、二日前。二人とも嫁いで、家にはいない一抹の寂しさを感じるようになって久しい今日この頃。
娘の嫁ぎ先から、毎年、今の時期、採れたての魚沼産コシヒカリの新米が届きます。
「特選米ではないですが、混じりけのない新米です」と、いつも控えめな一筆が入っています。
それを、ほんのちょっぴり、おすそわけしたときの友人の心から喜びを目にして、一句。
今年が初めてではないのに、今年に限って、一句が出るほどに、心が動いたのは、夏井先生の俳句ブームのせいでしょうか。それとも・・・

どちらも食べ物が、題材です、、、私って、花より団子なんだなぁ。


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栗の渋皮煮

2020年10月11日 | 徒然に日々のことを
昨日の、栗の渋皮煮を別のお皿に、盛り合わせてみました。

昨日は、娘のお土産の播州方面の窯で焼いたお皿。出かけても、ほとんどお土産を持ってこない娘のャ潟Vーは、「お土産のためのお土産は、買わない」
ですから、両親の趣味、生活観を考えて、選んでくれたはず。

そのお皿が、渋皮の色と同系色だから、どうかしら?と思いつつ盛ってみました。
甘露の照りが、映えました。


今日は、その次に、大事にしているお皿に盛ってみた写真をご覧あれ。


肉眼で見た時と、写真にしたときと、ちょっと感じが変わって見えます。どちらがよい?


もっと、栗の渋皮の色を引き立たせる色は、ないの?
我が家には、残念、これだけ。

心を込めて、丁寧に料理してくださった贈り物を、嬉しく美味しく頂きました。

そんなことなど、露ほど知ろうともしない夫は、「うまい!」とだけ放ち、満面の笑み。
それで、いいのよね。

ちょっと、こざかしく感謝の思いを表現して見ました。うふふ、、、


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一日遅れ

2020年10月06日 | 徒然に日々のことを
一日遅れのマンデイコール。

「お母さんは、電話が来ないとか、どうしたのとか、聞かないよね」と、いきなり始まる。

あれ?心配してほしいのかなと思ったら、「だからいいのよね。」「〇さん(親友)のお家もそうだから、みんなそうだと思ってたら、違うんだよね。」と、カラカラと笑う。

朝から、いい声だ。

日曜日に久しぶりに会ってきた親友と、よほど楽しい時を過ごしてきたみたいです。

最後に、もうひと笑いして、「行ってきまーす」と、電話が切れた。

余韻の残る電話でした。


黙って待つことができるのは、信頼あってこそ。家族には、締め切りがないからねぇ。

締め切りを守ろうとすると、いつまでも待っていられない。
それを置き去りにするか、何とかするか。

何とかしようとすると、自分らしくないことをするわけだから、大きな禍根を残すことになる。

しなければいいのに。。。
娘もそれに気づくことがあって、「違うんだよね」の言葉になったのだと推測する。
親友との話の中にも、お互いに、そのエピソードがあったのだろう。
それでも、カラカラと笑ってる。   
         しあわせ母娘❤の時間

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お願いだから

2020年10月02日 | 徒然に日々のことを
お願いだから、体育座りで、スマホの操作をしないで。

これから、赤ちゃんを産むかもしれない人が、そんな骨盤をゆがめてしまうような座り方はやめて!

骨盤の健やかな形、位置は、赤ちゃんのためだけでなく、過酷な産後を元気に乗り越え、将来誰にも来る更年期を如何に楽しく過ごせるか、それとも、苦しんで過ごすかにかかっているのよ。

女性の骨は、自在に開くことができる反面、ゆがみやすいのだから。

これから、産もうとする人、いえいえ、結婚をする人、いえいえ、思春期に差し鰍ゥる人は、正しい姿勢で、骨盤を守ろうよ。

昔々、年長者は、賢く、その経験知識において、若者に勝っていたから、袖振り合った人に、ちょっとしたヒントを言葉にして与え、それを若者は、有りがたく受け取り、実践していた時代があったそうな。

今は、助言者は、スマホにとって代わって、年上の人は、古いと、ないがしろにされがちです。

私が、結婚したばかりの頃、実家から遠くに離れたものだから、顔見知りの年上の方は、いなかった。

バスの中、病院の待合室で、となりあった年長者が何気なくこぼした、ちょっとした言葉は、とてもありがたく、その知識だけでなく、暖かい気持ちが、寂しい気持ちを温めてくれたよなぁ。。。。。
心の交流。

今、思う。
母が、「お行儀が悪い」とたしなめたことは、見た目が美しく上品に見える立ち居振る舞いというだけではなく、健康、安全につながるものであった。

今は、その意味をこんこんと説き、実際の効能を説き、その上で、組み伏せるように叩き込んであげないと、わからないようです。
理論で、勝たねば、それは正しくないといわれる。


優しく、穏やかなちょっとしたことばだけで、心も体も動いた時代は、終わったみたい。


だから、人目をはばからない座り方をしている人が居ても、だれも、たしなめない。
たしなめたとしても、反撃にあうだけだし、「私の自由よ勝手でしょう」と、「親でもないのに、あんた誰」という目に睨まれる。

「体育座り」は、誰が教えたの  いつから始まったの?


その時、私は、言葉を発したのではありません。その残念さを、ここに吐きだしているだけです。



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始まりのたるふじ 

2020年09月22日 | 徒然に日々のことを
2012年(H24年)10月古民家レストラン「たるふじ」にて。
  初めての論語教室参加。須藤先生との出会い。
  それに大きな役割を果たして下さったのが、Oさん


2017年(平成29年)11月16日(木)
   二度目の「たるふじ」は、「ようこそ素読と詩吟の会へ」
   須藤先生、吟詠チームとのコラボで開催。
   大好評。



2020年(令和2年)9月22日(火)プライベートでたるふじへ
   木彫展鑑賞とランチに、須藤先生とOさんとゆかりの三人で。


遠くて、なかなか訪れることが出来ない「たるふじ」ですが、そこにくっきりと須藤先生と論語と、詩吟と私との足跡が残っています。

初対面で、いきなり、論語の講座に吟詠が組み込まれ、これは、須藤先生の機動力の賜物。
北千住学びピアの論語の会は、先生選択の吟詠で始まることとなりました。

翌年の1月には、和歌「あらたしき」が恒例の吟詠となり、だんだんと、詩吟仲間の参加が増え、なんとなく吟詠チームが形成されました。

これが、「初めの一歩」の2014年4月誕生へとつながりました。

続いて2013年6月1日~2日   足利学校論語の会
   2013年10月12日~13日 足利学校論語と芦孝会コラボ
   2014年10月10月11日  論語と足利薪能の夕べ
   2015年4月18日~19日 江戸川道場主催足利合宿(詩吟単独)
   2015年9月12日     論語と足利薪能の夕べ
   2017年11月16日    ようこそ素読と詩吟の会(たるふじ)

と、催しが、続きました。

漢文は、漢詩で入門とお考えになり、漢詩への興味も深くなっていかれたようでした。
それは、一重に、吟詠部チームの加わってくださった方の名吟にあるといっても良いのかもしれません。
T先生の時は、大拍手なのに、私の担当の時は、小拍手と、明らかに違う反応に、さもありなんと、悔しいけれど思ったのです。


少し間が空いて、2020年1月と2月 《白居易 「長恨歌」の世界へどうぞ》開催
                    吟詠チームの活躍あり
        2020年3月葉最終回の予定が、コロナの影響で、中止となる。


今日は、開催ならなかった3回目について、どうしても、開催したいとの思いをお聞きしました。
今日のこの場所でお話することを先生は、初めての出会いの場所として、意識して、選ばれたのでしょうか、それとも、、、偶然?
偶然にしては、三拍子そろっているなぁ。

体調今一つの先生が、大勢を集めての講演は、危険と、私は、先生の思いを知りながら、賛成することができません。

先生の強い思いは、会場提供の賛同者を見つけられたようです。

吟詠でお手伝いする関係で、主催者側となる私は、須藤先生を敬愛する人たちと同調して、「是非一日も早く、最終回を聞きたい」と言いたいところを、立場変われば、「否」といわなければならない。

なんだか、悲しいなぁ。
決まったら、ご連絡を下さるそうです。
吟詠参加は、レコーダーか生の吟詠で参加か、どうしたものでしょう。




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as it is

2020年09月21日 | 徒然に日々のことを
写真家さんは、どうして、こんなに胸を打つシーンを撮ることができるのかなぁ。

それができるから、写真家なんだねぇ。

だって、こんな何気ない私も母として、いつかは、見たことがある風景は、撮ろうと思えば、いくらでも撮れたはずの、いつもそばにあった画像なんだけど。

光の具合とか、色の選択とか、切り取り位置とか、どれひとつとっても、センスに溢れている。何より、優しい。

本になるってことは、そういうことだね。
写真集は、ちょっと、値段がね。。。でも、買ったよ。

写真教室に行けば、これに近いものはとれるようになるだろう。

だとしても、近いものと本物とのほんの少しの距離が、永遠なのよね。


昨日の、大贋作展の絵といい、今日の、rinko kawauchiの写真といい、心ゆすぶられて、体が楽になるような気がする。

ずっと、かわるがわる眺めて、へぇー、「絵画は、他の表現と違い、鑑賞の瞬間性が非常に強いジャンルです。1秒見ただけで、その絵画が持つ90%以上を受け取る、というような体験は、特に珍しいものではありません。」♂?c誠(アーティスト)ー

と、大贋作展の本の解説に、会田さんがおっしゃっています。

どちらの本も、うんざりするような文字の連なりがなく、最小限に集約されて、目と感性を喜ばしてくれました。

作品となるまでの、膨大な時間と労力が、無かったかのように、1秒で、判断されてしまうのも、辛いねぇ。

件pは、厳しい。

絵画に限らず、何でもそうかもしれない。
絵にかかわる人は、「絵は」と言うでしょう。

件pに限らず、その、時間と労力と、鰍ッた思いと、そのもろもろをわかったうえで、丸ごと評価してくれるのは、その人と、一緒に歩いてきた人だけかも。

それこそ、二分間かかる詩吟も、でだしのひと声で、判断して、最後まで聞いたとしても、魔ウない人もいるのだから。

ゼロから、今までのこと、ずっとわかってくれているのは、誰?
その上で、判断しているのは、誰?

その一瞬だけで、判断されたら、良い評価だったら喜んでおしまいだけど、悪い評価だったら、辛いよね。

それでも、一瞬で、評価したことは、一生記憶に残っていくから、それと、戦うのは、自分だけ。
それが、辛い、難しいなら、そこから、離れるしかないねぇ。


小学生の時、始めてみたエルグレコの「受胎告知」は、まさに一瞬で、焼き付けられた絵。
大人になって、やっと入った、美術館のそばの喫茶「エルグレコ」で飲んだ、珈琲は、格別だった。

もし、一瞬でとらえたのが、モローの「断崖」だったら?
           ・・・・・・・・・・

行き詰って、ふと、後ろを見たら、手元の明かりだけしかついていない、薄暗い部屋の片隅に、こたろうさんが、後ろを向いて、待っていました。
後姿で待ってるなんて!猫好きには、たまらないね!

カメラを構えたら、こちらを向いてくれたのです。
絵的には、これが良いですね。   
    「あのー、そろそろ、ごはんを・・・」と、言ってます。


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娘の荷物

2020年09月19日 | 徒然に日々のことを
長い間預かっていた娘の荷物、段ボールに7箱。
持って帰りました。

我が家の、断捨離は、こうして、娘に一抹の不安を抱かせて、中盤に差し鰍ゥりました。

何も言わずに、忘れたかの如くだった荷物に光を当てて、その行き先を決めていく作業は、終活でもある。
初めて、娘は、「終」の文字が自分と母との辞書の中にもあることを知って、胸がきゅっとなったみたい。

まだまだ元気だから、この作業ができるのだよ。
次のページへの出発の作業だからね、寂しくならないでとの言葉を聞いても、自分を抱っこして、更に大きな荷物をしっかと抱えていたころの強くて揺るがない両親のイメージをいまだに持っていてくれたのだねと、思う。

これまで、病気や事故もなく、心配をかけることもなくきたことで、親の今を見直すなんてことは無かったから。
まだまだ、力になれることはあるよと、言ってはみたものの、娘に取って、ちょっと、悲しいことだったかな。

それでも、「元気でいてくれてありがとう、これからも、元気で幸せでね。」と言って、笑ってくれました。

娘が出発した後、すっきりと片付いたコーナーをには、もう、物は置かない。

「両手に持ち切れない荷物は、さっさと置いて、身軽になってください」とは、夫の願い。

娘が来て、その勢いで、その言葉が出たのか、それとも、言うチャンスを狙っていたのか。

その両方でしょう。

いろいろと心配やら負担やらかけていた夫にも、ここらで、一段落して、「ありがとう」と、言えるようにしなくては。



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