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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

小学校の先生

2020年12月01日 | 徒然に日々のことを
「困った時は街をうろつくんじゃなくて小学校に来なさい」と、小学校の先生が卒業生に贈りました。

そしたら、ヤンキーな中学生がやって来て、聞いても、なにも言わなかったけれど、先生の夜食をもらって、中学校に帰って行ったとか。

そんな場所、そんな先生、なかなかいないよねぇ。

今は、母校にも、気楽に訪れることが出来ないご時世なのよねぇ。
何かの意味と手続きがないと、ちょっとだけ入ることも所属することもできないんだもの。

今の状況で、どこかに行きたくても行くところがない人って、居るだろうに。

卒業してしまったら、お終いってのは、侘びしいね、

学ランを着てていても、ビビらないで、質問を選びすぎないで、気持ちに寄り添える先生に会えてよかったねぇ。





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胸を開く

2020年11月30日 | 徒然に日々のことを
「胸襟を開く」とは、いい言葉だなぁと、思います。

生体的にも整体的にも、胸のこだわりを取って、開いた状態になれることは、山田先生と私と詩吟の発声について解決するための大きな命題です。

肩が内側に回っているので、ちょっとやそっとでは、先生の理想の形には、遠いようなのです。
先生は、「遠い」などという言葉を決して使うことは無いのですが、私は、少し井本整体のメカニズムがわかってきたので、自分の性格とを照らしてみると、自分で勝手にそう思うのです。

ところが、熱タオルを実践している方が、するりとその「胸を開いた」発声をして、私はうなってしまいました。

もともと、伸びやかな声を出される方でしたから、胸のあたりへの熱タオルは、あっという間に効果をあげたのだと思います。


信じる力があるということは、素敵なことです。


他人も自分も自分の体も信じて、実践。まじめに実践。
それが、思いのほか早い効果をあげたのでしょう!

このこと、山田先生にお知らせしたら、どんな風に喜ぶか、次回の整体の施術の日が楽しみです。

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イメージをもつこと

2020年11月26日 | 徒然に日々のことを
「物事」よりも、明確なイメージを持つことが大事と、分かる。

夢組と呼ばれる二つの教室は、物事を始めたという感じ。

今進行中の教室は、イメージを持って進行している。
多くを伝えようとする言葉よりも、私の持つイメージの中にいる人たちが、それぞれに私の思う方向へと自分の意志で、自由に進んでいっている。

私の操作で行動しているわけではない。
私の言葉が先行しているわけでもない。

最初の二教室は、ビジョンもなく、ただただ、「練習をしたい」が先行していただけなのに、よくぞ、二つとも、ここまで、来たものだ。


この、教室運営の経験が、決して広くはない私の世界の中で、一歩引いて、イメージを膨らませることができるようになりました。

今までより広い視野を持つことによって、ゆとりが生まれ、待つことができるようになる。

すると、ゆったりとできる。

本当は、このイメージを持つことができて初めて、人様のお世話をしてよいというものだ。
なのに、夢中で始めてしまったら、何とかなってしまいました。

良い仲間に支えられてきたから、続いたきたのです。

そして、それが詩吟だったから。  

緊張すると、すっかり大事なことが抜け落ちる私のことだから、いつまで、このゆとりを持っていられることやら。

お隣さんとおそばさん(そばにいてくださる方)とに、「今後ともよろしくお願いいたします」と、申し上げます。


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間違い、勘違い

2020年11月23日 | 徒然に日々のことを
一つの情報源が、最近変わったので、不具合を感じつつ、今までお世話になってきた情報源を、どのように使ってきたのかが、分かる出来事がありました。

図書館の検索機能を使って、読みたい本の検索をしたら、最寄りの図書館に在架となっていたので、喜び勇んで出かけました。
もう一冊は、別の図書館にあるので、今日は、読めないなぁと思っていたら、貸出禁止の本となっていました。
それがあらかじめわかっていたら、そのつもりで、出かけたのになぁ。

この件は、私の検索技術が足りない以前の、そそっかしさから起こった「残念」で、検索機能のせいではありませんでした。


うちに帰って、ゆっくりと検索をやり直してみたら、望みの情報が確かにありました。
当たり前にあることを、無いという私に、司書さんは、私の質問にどう対処していよいかわからなかったのでしょうね。
そして、礼儀正しいがゆえに、「違います」という言葉を使えなかったのでしょう。


ネットの情報をうまく使っているつもりだったのは、大きな勘違いだったと気づきました。

 殊勝にも、これに懲りたら、勿体ないという思いがむくむくとわいてきて、やり直し。

好きなことにかかわるためであれば、あきらめてしまわないものですねぇ。そして、知りたい思いが今までより強くなっているように思います。

今は、たくさんの時間と、心身のゆとりがあるおかげかと思います。

自分のペースを今のうちに、我がものにしておきましょうか。


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母と義母と

2020年11月18日 | 徒然に日々のことを
母を見送って、17年。
義母は、私が介護をしていたころの母とよく似た状況で、義妹が看てくれています。

かなり、元気がないというので、昨日、夫と顔を見せに行ってきました。

母の介護中は、介護仲間のHPで、励まされ、いろんな情報を得ていました。
そのころは、まだ、ケアマネという業務も成熟していなくて、もっぱら同じような状況にいる先輩から教えられることが多かった。

そして、私は、家族は遠方で、姉たちもそれぞれ介護中であったり病弱であったりしたので、あてにするつもりもなかった。
始まったばかりの福祉サービスを受けて、一人で頑張ると決めたから、介護を卒業した時は、やり切ったと、不遜にも思っていました。

義母は、思いのほか元気で、「あら、元気じゃない」と思わず出そうになる言葉を飲みこむ。
介護仲間は、よく言っていたから。
それは、「お見舞いの人が来ると、昨日までの今にもおしまいという様子が嘘のようになくなって元気になる」と。
そして、介護者は大げさだと、言われてしまうと。

だから、夫にも、くぎを刺しておいたのです。
夫は、義母の顔を見て、安堵の表情がありありと、浮かんだけれど、その先の不用意な言葉は、出なかった。
珍しく私の助言を聞いてくれたのだけれど、後になって考えてみたら、義妹は、最愛の兄ちゃんからだと、「元気」という言葉を聞いて、安心したのかもしれなかったなぁと、思う。


そして、10日ばかり前のこと、義妹への電話を切ったあとで、そのにぃちゃんは、「○○子は、夜、ろくに寝られなくて、かわいそうなんだよなぁ」と言う。

「あぁいいなぁ、頼りになる、優しい言葉がけのできる兄ちゃんがそばにいてくれるなんて」と、思ったら、ャ鴻鰍ニ涙がこぼれた。

介護で、泣いたことはなかったのに、鎧っていたんだなぁと、思う。

17年目にして、その、鎧を脱いだのかなぁ。もし20年前、優しい言葉をかけられていたら、ぐずぐずになって、厳しい介護を乗り切れなかった気がする。
ボンドでがちがちに固めた気持ちが、この年月を経ることによって、ほぐされたかなぁ。

自分の母親の介護ができたのだから、何の不足もなかったけれど、義母と義妹と義妹の夫と私の夫の前で、つい言葉が出てしまった。

「母は、『長男に嫁いだ末娘に、面唐ゥさせる私は、世界で一番不幸だ。』と事あるごとに言てったのよね。」
 すかさず、義妹の夫が「お姉さん、お母さんは、幸せだったと思いますよ。申し訳ないという気持ちをその言葉を言うことで、バランスを取っていたんですよ。」と。

私に取って一番つらかったこの言葉が、そういうことだったのかと、鎧を脱いだおかげで、義弟の言葉を、素直に聞くことが出来たようです。

ありがとう。


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宮下奈都

2020年11月17日 | 徒然に日々のことを
「羊と高フ森」が映画化される時、作者は、その撮影現場に立ち会いました。
その時、息子さんのことと重なって、その思いをエッセイに書いています。

私の書いたものでありながら一度手を離れたらもう私のものではないように、子供というものも、この世に生まれてしまえばもう私のものではない。
 
 小説が愛されて映画として新しく歩き始めるように、息子も新しく歩き始めようとしている。

 もし途中でつまずくことがあっても、振り返ったときに安心できるように、愛されているとわかるように、私はここにいてそっと手を振っていようと思う。
「福井新聞」つらつら紡ぐ 2017年3月22日付



そして、また別の章に、子供の頃の思い出を書いている。
 「大事に育てられた子ども。彼が神々しく見えた。子どもの愛らしさには、その子がそれまでに受けてきた愛情が映し出されているのだと思った。
子どもたちは愛されるために生まれてくる。あのときの子供が大人になって、そう、今度は大人になった私たちが愛する番なのだ。」
        「 緑の庭で寝ころんで」宮下奈都




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口角を上げて

2020年11月12日 | 徒然に日々のことを
夢松風の練習も、会議室を二室を借りて、広い空間で行うこと、窓を広く開けて、換気をすること、マスク着用し、前後のアルコール消毒。

それらが手際よく行われています。

幹事さんの頑張りで、月に2回の練習は、二部屋の予約にもかかわらず、欠かさず部屋が取れているのも、不思議に思いながら、有りがたいことと思います。

大きな緊張から解き放たれて、きのうの、夢松風のお稽古は、少しゆったりと行われました。

あれしなくちゃ、これがまだだったと、無いものを探さないで、今の私の心が許容することをやりましょうよと、気が付かせてくださったのは、前回のお稽古の時の幹事さんの言葉からでした。

大きな行事の締め切りというものがなくなったのに、その時の名残で、あたふたとしていたみたい。

だから、深い息ができなかったんだねぇ。 さぁ、切り替えて、深呼吸。

辛いときには、指先で、口角を持ちあげて、笑顔の形を作るんだよ。

だから、深呼吸をする。
お腹を意識して、しっかりと支えながら、
あばら骨を意識しながら、腕の付け根にも、
背中の後ろにも、息が回って入っていくように。

ほら、いら立った気持ちが、収まってきたねぇ。

20年以上も前に、教わった『口角を持ちあげてみる』は、笑顔ではないところにも、有効だねぇ。



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五似ん会その後

2020年11月03日 | 徒然に日々のことを
五似ん会のラインに、1日の食事会の余韻が、ぽつり、ャcリと入る。

羨ましく、読むだけで、仲間に入れない。

おいしいお土産もらったの? 「さすが、京都はお茶だね」なんてね。

来年の行く先も決まったので、散々羨ましがらせて、欠席しないようにとの、励ましと、指切りげんまんみたいなものだね。

私たちの顔ぶれだと、そういう意味のそれ以上でも以下でもない。

ウフフ、と笑って、「悔しがっているぞ」とメッセージを送るとしよう。

11月1日の今盛り上がっている最中と思える時間には、さすがに気が咎めているらしい夫は、あっちとこっちの私たちのある行動を見て、「親友だね」と、ャcリと言った。


いままでに、「親友」という言葉をお互いに出したことはないけれど、これまでのこと、そして、きょうのことをよそながらに見ていた夫にもそう見えるのだね。

「来年はいきますよ」の宣言に、「どうぞ、どうぞ」と二つ重ねた返事が返ってきました。


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一夜あけて

2020年11月02日 | 徒然に日々のことを
スマホの画面から、痕跡が消え、衝撃を受けて、一夜明けました。

こんなにすっかり、痕跡が消えるとは心の準備のないままに、グループの公式連絡網からは、速やかに去ることのみを考えてしたことだったけれど、そこにあったものが、跡形もなく消えるという事実に、うろたえました。

ご挨拶と、退出のメッセージは、さいごのメッセージとして残したものの、それまでも消えてしまったのか、メンバーのスマホには、履歴は残っているのかいないのかも皆目わからないので、あたふたと、個人ラインに退出のメッセージを送りました。

相変わらず「最後の詰めの甘い」ことでした。

一連の考えられる処理をして、一息ついて、考えてみると、10年間の大事な軌跡を記したものは、パソコンの中にファイルが残っているし、そのプリントは、幹事さんに「必要と思うものだけ残してね」の言葉を添えてお渡ししました。

何も残っていないのではなく、確かに残っています。ラインを始めたのは、2017年、この三年間と言えば、独立に向けて、いろんなことを自立してもらわねばと、細かい指示をするメッセージが多かったはずです。

しかし、何かを残したかったのかなぁ...せっかくさばさばとしていたのに、昨日の衝撃たるや、その大きさに、自分でも驚いた。

しかし、退出について書いた個人ラインから戻ってくる優しいメッセージを読んだり、思いつくままのことがらを反芻していると、気持ちが静まってきました。
そこから、いろんな方向に、思いを飛ばして、自分なりの感情を整理して見ると、その衝撃は去りました。

「あぁ、ちゃんと終わって、ひきついだなぁ」と、実感。

平静と言いつつ、特殊な高揚感の中にいたなぁ。
冷静に事を進めたはずが、そうではなかったねぇ。

あれは、余韻を断ち切るための衝撃であったな。
     届いたばかりの柿を眺めて、思うことしきり。


今は、取り繕うことも、鎮めなくても良い状況です。
自分だけの感情にゆだね、ゆれるままに、たまに起こる心のざわめきのままにして置けるので、カチンコチンの、体が、ほぐれてきます。

娘の言葉は、「え、はやい!」そう、今日は、月曜日。




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五似ん会

2020年11月01日 | 徒然に日々のことを
倉敷の某所にて、五似ん会開催中。

しかし、コロナの影響で、私は、家族よりの強い足止めにあって、参加叶わず。

3人で、夕食を囲み、一人は、顔見世に参加したそうです。

最近では特に写真も撮らなくなっていましたが、今日は、特別に寂しがっている私のために、送ってくれました。

元気そうでなによりです。五似ん会は五人でなくちゃね!
                       来年は必ず!

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