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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

五行詩

2020年09月18日 | 徒然に日々のことを
五行詩とは、

  五行詩は、題名を付けて五行で自由に書く詩である。
  短歌のように57577音の制約はなく、題名を付けて五行で
  書くという以外は規則がない。なお、五行詩を連ねて書く
  『五行連詩』と、散文と五行詩を組み合わせた『五行詩文』という
  ジャンルもある。            # ウィキペディア#

そして、その五行詩を詩吟で詠っている流派もありました。

流派の記念事業として、詩を集め、優秀者の作品は、おそらく流派のトップの指導者陣であろう実力者によって、吟詠されて、CDとなっているのをファイルで頂いて、今、聞き入っていました。

その詩の内容といい、吟詠といい、素晴らしい。

ここには、アップできないので、とても残念です。

機会があったら、お聞きくださいませ。




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田村仁美

2020年09月16日 | 徒然に日々のことを
そろそろ柿が、出回るね。

田村仁美さんのジークレーによる版画の絵、9月と10月のカレンダーがすでに、飾られて、柿の時になるまで待たなきゃいけないの?と、メジロがといかけてる?

はいはい、お待たせしました。9月になったのに、忘れてたのではないのです。




          2020年-煌めく四季-田村仁美から
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聴くこと

2020年09月15日 | 徒然に日々のことを
パソコン内のフォルダを整理中。
『聴くことを』という見出しのファイルに、その一つのことばだけ、入っていました。
それに関連する言葉などを、集めようとしたのか、それだけを大事に、目立つようにしたのでしょうが、すっかり、忘れています。

その言葉を、どうして、このタイミングで、目にすることになったのか。
わかるような気がする。

忘れていたものは、廃棄と、決めて、取り鰍ゥった作業ですが、これ(「聴く」)は、私の永遠の命題。

つまり、出来そうもないこと、憧れること、戒めても戒めても、出来ないこと。
できないから、やっきとなって、目に訴えようとする。
それでも、いつのまにか、埋もれてしまう。
きっとそれは、忘れることで、自分が壊れないように守っているのだなと思う。

そういえば、誰かに言われました。

それをするなと言われたら、「人間をやめなきゃいけません」と。
はじめは、脅し文句として、私の耳に入ってきました。
だから、憤慨しました。

背骨に沁みついてしまったことは、なかなか、紙に書いた言葉を目にするだけでは、拭い去れないものがあります。
やろうとしていても、出来ないんだからねぇ、治せるはずもなく。
人様から聞くと、却って、憤慨して、できるものか!と、拘りを強くする。

悪循環だ。

私は、まさに『聞くことをせず、語ることが多い』から、余計にかたくなにさせてしまっているのだろうなぁ。

それは、止めたい、でも、出来ない。
がっかりして、「四頭立ての馬車」を思う。

瞬間的に反応する機会を避けて、距離をとることで、解決するのがいいんじゃない?

自分のできることで、自分自身も無理をしないで、続けられることをする。

    聴くことを多くし、
   語ることを少なくし、
   行うところに力をそそぐべし。 
                成瀬 仁蔵



それができたら、信念徹底・自発創生・共同奉仕が、可能になるというもの。

順にたどって、「共同奉仕」に至るには、まず、言葉少なになのだね。


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画帖

2020年09月03日 | 徒然に日々のことを
芦紅さんから頂いて、事あるごとに、挿絵として使わせて頂いている三冊の画帖が手元にあります。

リング綴じのため、スキャンする時に、不具合が生じていて、リングから外したいと望みつつ、長い間ためらっていました。
すでに、全作品をスキャンして、パソコンのファイルに取りこんであるので、頂いたそのままで、保管しているつもりでしたのに。

画面で見る分には、何の問題もないのですが、印刷をすると、白くあるはずの背景が、ピンクに染まる難題を解決するためには、一枚ずつ外して、平らに置いてスキャンができるようにするしかありません。

一冊にまとまっているものを、ばらしてしまう侘びしさは、テキストでも味わっていますから、出来ることなら、やりたくない。
考えてみると、絵は、一枚ずつ見るものだから、大丈夫だね。

それでもやるしかない。
そして、もう一度、スキャンし直すのです。さぁ、決めようよ。



            B5とB6の2冊にファイルできました!
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マイクではなく拡声器

2020年08月28日 | 徒然に日々のことを
マイクではなく拡声器で、検索をしたら、格安で、目的のものがあった。

マイクとは、集音であったのだ。

見つけられるはずがなかった。

パソコンを始めたころは、検索ワードが適切ではないと、なかなか目的のものがさがせなかったものです。
お気に入りにいれることを忘れて、同じところに飛んでいこうとして、記憶では同じ言葉を入れたはずなのに、どうしてもたどり着かないことがあった。

最近は、いい加減にいれても、スペースで重ねて検索ワードが受け付けられるから、検索は、とても簡単になった。

それでも、マイクと拡声では、逆意味であたことが、探し物の失敗で、初めてわかる。
お笑い草だねぇ。
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大笑いで吹き飛ばす

2020年08月23日 | 徒然に日々のことを
少しずつ外出が増えて、それにつれて、家族の留守番が増えてきました。
初めて、夫の方が在宅時間数が長くなりました。
こんなことも起こり得るのだね。


さて、今日は、中央会の後、まっすぐ帰ったものだから、ゆっくりと食事をしながら、土産話を展開。

今までは、聴こうともしなかった芦孝会のあれこれを興味深く聴いてくれます。
そして、吟詠のいろはは、知らないものだから、本筋から離れた話の方に、傾いていきます。

今日は、昇段試験だったのだけれど、そんなことには、興味のない留守番の人だから、気のない返事が返ってきました。

それで、帰りのエレベーターに乗る時のエピソードを話すと、手をたたいて、
「そりゃあ、きらわれたもんだね!」と、大笑いされてしまった。

大笑いのおかげで、憮然としていた私も、つられて、笑ってしまいました。

今まで、運営面の話には、載ってきましたが、下世話話にも、耳を傾けるようになったね。

留守番が長いと、そうなるのかねぇ。

さぁ、リセット。

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心身と頭

2020年08月18日 | 徒然に日々のことを
阪井修一さん《歌人・情報科学者》の奥様は、不思議な直観力をお持ちだそうです。
(2020年8月2日(日)”うたごころは科学する” =日経新聞=コラムより

奥様は、まだ、それが定説ではなかった40年も前に、「鳥は恐竜の子孫」だとわかっていたそうです。
どうして?と尋ねても、「当たり前じゃない。みればわかるのよ」とこたえが帰って来たそうです。

片や、科学者の夫は、帰納と演繹を何度も繰り返して確認してからでないと、不安で前に進めないのだそうです。

これほどに、両極端の人がいても、家庭は成り立ち、世の中も成り立っているわけです。
だからこそ成り立っているともいえますね。

わけがわからなくても、心地よければ、直感で、「良し」とする私は、感覚のみで、選択して、果ては、「これいいよ」と人様に平気で勧めている。

それを長く信じて、破たんが無いということは、そんなにも前の選択が間違ってなかったってことよねぇ。

きっと、阪井さんタイプの方は、長い時間をかけて、帰納と演繹を重ね、繰り返し確認してから、「大丈夫かも」と、やっと、分かってくれるのだろう。

それを、遅いといったり、意外に早かったとか、判断をしてはいけないのだろう。


この記事を読んでから、確実に、「遅い、まだ?」と言う感覚薄れてきたように思う。

そのように、一歩も二歩も引いた立ち位置でいると、意外にも、向こうから、声がかかってくる。

それが、ちょっと、うがちすぎかもしれないが、らんらんと輝かせた眼からは、いったんは、逃れたいものだからね。

そして、この切り抜きの隣には、「猫を待つ」という東山彰良さんのエッセイがある。(2020年7月19日(日)日経新聞文化面)
これにも、「慌てず騒がず、風向きが変わるのを待つことだ」という記述がある。

今の、ゆっくり流れる時間の中に身を置いていたから、この二人の人の書いたものが、勝手に私の中で、繋がった様です。

せっかちな私にも、「ゆっくりと待つ」気になって、それによって、暖かさと、豊かさとを感じることができました。そうして得た繫がりは、ゆるぎないものとなるだろうということを。

心身という言葉があっても、体と頭、あるいは脳という言葉はあったかしら。

心と体は一体となることが出来るが、脳で帰納と演繹を繰り返したことがらについては、心身と書き表すように切り離せないものとは、成らないのだろうか。

理屈で、わかった事や証明できたことを体は、どのように受け止めて、反応するのだろうか。

突き詰めていくと、脳と心とは、一体化するのだろうか。

最後には、するのかもしれないねぇ。



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梅を干す

2020年08月09日 | 徒然に日々のことを
          梅干し日和を待ちかねて






生協さんのとっても良い梅のおかげで、
腕の足り無さ、手間の省略を補ってくれそうです。

あとは、お天道様頼み。  どうか、宜しくお願いします。

 水 + 梅干 = 熱中症対策ドリンク!



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7月は、まだかと

2020年07月20日 | 徒然に日々のことを
2020年 ー煌めく四季ー 田村仁美
 

「清香」ササユリ  エナガ

いつまでも雨が上がらなくて、「清香」とならないねぇ。


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木箱のバターケース

2020年07月08日 | 徒然に日々のことを
有るじゃない、そういう使い方!









浅草の箱長さんは、桐箱の調湿性、断熱性もきちんと説明してくれた。
それに、タンスつくりの方法で作られた箱は、きっちりと蓋が閉まるから、酸化が防げるはず。だから、バターナイフをセットにするための穴を開けない方が、バター保存の理にかなっているわけだ。

バターケースには、バターナイフをあのように穴を開けてセットするっていう常識を、脇に置けばよいのよ。

もっと、柔軟に事に当たっていれば、、、と思う。


それと、蜜蝋ねぇ!
娘の木のおもちゃには、ごま油を沁みこませたこともある。
柘植の櫛には、椿油を浸みこませて使っている。

桐の箱には、それをしては行けなかったのかな?

でも、バター入れにして使っていたら、だんだんに油がしみこんだよね。

蜜蝋処理って、自分でもできるかな?
蜜蝋製のクレヨンを塗るとか。

素材のまま受けとって、その素材を自分なりに育てるという発想があったら、低予算でも、それぞれの家で、それぞれの育て方をしてもらえば、付加価値がついて良かったんじゃない?
自然素材は、育てるという妙味があったよね。

はじめはそれも考えた。
絵を描く人は、絵を描いてください。書の好きな人は、お好きな文字を。と言う程度のこと。
その程度だから、却って、手間をかけさせるという方向に軸がずれてしまったのだ。
だから、抵抗があったのだ。

受け取ったそのままが、当たり前であるなら、時間を経ると、古びていくだけ。
魅力ある素材として、アピールができるなら、何倍もの価値を持つことになったのに。

その魅力を、アピールできなかったのだから、仕方ない。


生協の注文カタログに掲載された写真が、ちょうど1年前のじたばたと敗北を思いださせた。

プレゼンに至るまでの、思考錯誤は、死ぬほどしなくちゃ、相手を動かせないんだ。



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