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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

須藤先生展覧会告知

2015年06月04日 | 論語と
                告知


   太田天籟・須藤明実 展

2015年7月2日(木)~7月7日(火)
11:00~6:00(初日2:00より 最終日4:00まで)

太田天籟 ㈶美術院国宝修理所、錦戸新親氏に師事
     野田市金乗院境内守撲庵釈迦如来立像安置
     松伏町宝珠院、不動明王立像安置

須藤明実 ギャラリー歩知主宰、
     漢文学窓『里仁』主宰
     全日本家族論語の会主宰


場所   ギャラリー恵風
       〒343?845 再為券越谷市南越谷4≠P5≠P3
       Tel・Fax 048-989-1899
           JR 武蔵野線 南越谷駅 徒歩3分
           東武スカイツリーライン 新越谷駅 徒歩3分 
































会期中に須藤先生の講話があります。

7月4日『論語』
7月5日『菜根譚』  各回 10:00~11:00   会費1,000円

  ※ 菜根譚は資料の準備の都合で、事前申し込みをお願いしたいそうです。




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菜根譚・はじめの一歩

2015年05月21日 | 論語と
肝病を受くれば 
則ち 目視ること能わず。
腎病を受くれば
則ち 耳聴くこと能わず。

病は人の見ざる所に受けて、
必ず人のともに見る所に発す。
故に 君子 罪を昭昭に
得る無からんことを欲せば、
先ず、 罪を冥冥に得ること無かれ。


整体の山田先生に、最近の耳の聞こえに問題が・・・と打ち明けた時、私には、西洋医学的な問題はなくても整体的に弱点を抱えていると説明されたのがつい最近のこと。

それで、数ある体操の中から私に今必要な体操を教えてもらっています。
病気を治すのではなく、病気にならないための体操をして、元気でいられる方法を模索ちゅうです。

古の人々は、体の目に見えない部分からの影響も十分わかって対処していたのだ。

そして、菜根譚では、見えないところにおいて深く慎むべきであると書いてある。

「昭昭としたところで恥をさらしたくなければ、冥冥とした人の目の届かぬところで過ちを犯さぬことが、君子の心得だ。」と、須藤先生は説かれた。


後日整体の先生とお話をしたとき、すべては繋がっているのです。と、おっしゃった。



二限目は詩吟の会。
前回に続いて、春暁  孟浩然作

ゆったりと、時が過ぎて、少しずつ声が出るようになっています。
芦孝会からの先輩たちは、須藤先生の講義の奥深さに動かされて生徒となり、先生と私の思いに賛同してくださって、ご自身の詩吟の練達には、目に見えたものはなくても、はじめの一歩に参加してくださっています。
その先輩が他のサメ[トが、はじめの一歩で初めて詩吟を習い始めた後輩さんたちにどれだけ力になっているか、本当にありがたく思います。

そして、ご自身たちは、どんなところにも学びがあると言って、嬉々として参加下さっています。
二年目に入っても、変わらず、続いています。

次回の吟題は「絶句」杜甫作
その解説もしていただいて、至れり尽くせりの、詩吟の会です。


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足立論語

2015年05月07日 | 論語と
今日のこの会は、何というタイトルなんだろうなぁ。
呼び名が二転三転したので、ついうっかりする。
第一木曜日が足立論語 第三木曜日は、菜根譚と詩吟の会だったよね。

ぼんやりしている私は、その場所にその時間に須藤先生のお話が聞けるんだ、楽しいなぁ。
と、出かけるのである。

名前とかタイトルとか、あまり気にしていないので、説明する時にいつも困ることがある。
それでも、何とかやってきたけど、今の立場になると困ることが増えてくるのは、やはり、伝えるためのツールとして、呼び名は、大事なのだねぇ。

母の晩年を思う。母は何もかもなくしたのではなく、その呼び名を忘れたから、意思の伝達ができなくなっただけだったのだ。
その、思いや一番大事な心は、みずみずしく感受性豊かであったのではないかと、今にして気づく。

以心伝心を超えたテレパシーとか超能力的な心を読む能力があったら、よかったなぁ。。。





今日の先生の警告  
「論語」を万能の薬だと安易に解釈せず、その言葉、その一文字が示す教えの真意を、自ら熟慮することで、よろしく活用頂きたいと

さて、私は、その熟慮するところまで到達していないから、ただただ、先生の言葉を正しく受け取ることに心がけよう。

五月のテーマは,泰伯第八を読む(論語185)
泰伯は孔子の言う究極、理想の徳を備えた人だった。
孔子の言う至徳とは。

私にはとても及びの付かないことだ、だって、ちょっと頑張っただけのことでも、みんなとは言わないまでも、ャCントの人には知ってほしいとあからさまするのだから。

しかし、なぜ泰伯は父の意を汲み弟に王位を譲ったのか。そしてその善行が人目につかないようにあえて、王位継承の資格なしとまで言われる形に動けたのか。

その表の形よりも、泰伯の真意は?
   それはね、「徳を超越した至徳」ですよ。
              う~~ん、至徳

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論語素読の会

2015年04月27日 | 論語と
須藤先生の新しい講座が新越谷のサンシティを会場に始まりました。
今日のテーマは、「三字経」
三字を一句として、叙述した子供向けの教科書です。
来月も、今日の続きを習います。

この次のページには、孟母三遷の教えがでてきます。
親は、子を養うだけでなく教え育てなければならないと。
そして、「教不厳 師之惰(おしえてげんならざるは しのおこたりなり)」と。



須藤先生の教科書は、書家による毛筆で書かれてあります。
そして、おくりがなが左にあるのは、大いに意味があると思いました。
本当は先生にお聞きしなければなりませんが、私がこの教科書を素読するとき、左に送り仮名があると、なるべく漢字を読もうとする力が働くということでした。

須藤先生も、漢字をなるべく読みましょうとおっしゃいます。
右にルビがあったら、躊躇なくひらがなのほうを読んでしいます。




いつもながら、先生の教科書は、心のこもった丁寧な作りです。
先生のお人柄が、強力な助っ人を吸寄せるのだなぁと、いつも感じ入っています。




今日は、会場にほど近くのところに住んでいる友人をお誘いしました。
須藤先生の論語に親しんで人柄に触れてもらいたいとの思いが最初にあったのです。
数年ぶりに会うので、ただ、ランチだけでは心もとなかったのです。
その友人は、つい最近まで、バリバリに仕事をしていた人で、定年なのでしょうか、お仕事を辞めたばかりでした。

きっと、論語の講座にお呼びして、そこに参加する詩吟仲間とのランチを画策したのは、「あなたが仕事をしていた間には、私は仕事をしなかったけれど、こんなに詩吟教室で頑張っていたの」と、知らせたい、あるいは、張り合いたい気持ちがあったからかもしれません。




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菜根譚 はじめの一歩

2015年04月16日 | 論語と
新しい年度に入りました。
そして、第一と第三のカリキュラムが、変わりました。
第一木曜日は、二コマとも論語の日です。
そして、第三木曜日は、菜根譚を新しくはじめ、二コマ目は、引き続き吟詠指導「はじめの一歩」です。


「冷眼 冷耳 冷情 冷心」について。
文字のみを見たときは、冷たい心と感じましたが、「冷」とは「冷静」ということでした。

冷静な眼で人を観察し、冷静な耳で人の言うことを聞き、冷静な感情で人の心を動かすものに対処し、冷静な心で道理を考える。

私には、「冷」という冷静なものには無縁で、すべて、「ホット」なんだなぁと思う。
冷たくなくて、冷静に、冷静を過ぎると冷たくなる境を超えないで、温かい心をもって、物事に対処できるようになると、私の、詩吟人生は変わるだろうか。


冷静に波立たない心は、面白いものではないと思っていたが、、、、、



さて、二年目に入った詩吟の会。
尺八の伴奏での模範吟は、もはや日常となりました。
助っ人さんのおかげで、模範吟も吟詠上級者三人に手助けしてもらえて、大助かりです。
吟詠指導したうえで、模範吟をするのは、とても面はゆいものです。

今月から、青葉からお二人が、菜根譚の講義にはるばる参加してくださるようになり、受付会計の仕事も手伝ってくださり、ありがたい限りです。

今日の、漢詩は、「春暁」ゆったりと吟詠しました。
漢詩の選択は、須藤先生のお考えで、「論語 唐詩への誘い」≪足利学校編≫の本を使うことになりました。
その中で、唐詩名編10の第一番は時期を得た「春暁」です。

二年目ともなると、先導した一節を繰り返すのも、なめらかです。
かくして、二年目も滑らかに、滑り出しました。

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論語とはじめの一歩

2015年03月19日 | 論語と
今年度最後の論語と詩吟はじめの一歩

4月に初めて始まったはじめの一歩は、のんびりゆっくり声を出すこと、真似をすることから始まって、三つめの漢詩「富士山」に、至りました。

富士山は少し難しいと、思った通りの反応が返ってきました。

ひたすら真似をする方法、白板に線を引いて、音の上がり下がりを目で見えるように示したりしました。

どちらの方法も、得意な人と不得意な人がいて、これという練習方法は、定まりませんが、4月からは、また、心機一転で、始めることにいたしましょう。

思いがけず人数が増えて、うれしいのです。

関吟では、少人数で練習をしていたので、10人を超えることになると、基本的な考え方は同じでも、方法を工夫する必要があります。


須藤先生の論語も、4月からは新越谷の教室が新たに加わりました。
まず三字経からお教えいただくのですが、その先の長恨歌には、楽しい企画があり、吟詠をさせていただく機会があります。
先生の講座に手助けになれこそ、お邪魔にならないようにしたいと。
そして、吟詠の機会を頂いたことで、詩吟に目覚める人が居るかもしれないと思えることが、楽しみの一つでもあります。
これは、私が気づく前から、須藤先生の心づもりの中にあったようで、何時の時も、ご自分のことだけでなく、私や私からつながる詩吟のことにも思いを頂いていることに驚きを感じます。






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知の会 仁の会

2015年03月06日 | 論語と
今日のお話


仁の会の資料は、史跡足利学校「論語抄」と須藤先生著≪史跡足利学校『論語抄』を読む資料≫
この絵も先生ご自身が描いたものです。              

          ☆告知☆






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勇の会 

2015年02月19日 | 論語と
「里仁第四」

曰く、仁に里(お)るを美と為す。選びて仁に処(お)らずんば、いずくんぞ知たるを得ん(1≠U7)

ある本では、「土地を選ぶときは、仁に満ちているところを選びなさい」

須藤先生の論語の教科書には、
仁という徳に、心を置いて生きること、その生き方は、美しい。
仁を心のよりどころとするか、しないかは選べるのに、選ばないのは、知恵あるものとは、決していえない。


とある。

まるで逆方向からのアプローチで、物事が解釈されている。

はぁー、心が温まる。穏やかになる。


私も、須藤先生のように解釈し、人を愛し、すべてを受け入れ、否定せず、やさしくいられるようになりたい。


子曰く、惟だ仁者のみ能く人を好(よみ)し、能く人を悪(にく)む。(3≠U9)

「仁者は、」という言葉を脇に置き忘れて、「よく人を悪(にく)む」という言葉に反応している私を、困ったちゃんだなぁと、思う。

先生の解説は、こうだ。「人類愛に溢れた人は、厳しい姿勢を持ち、心から人を憎むことを恐れない。言うべきことを言う。」と。

はぁー、言葉が、足りない、理解が足りない。
でもね、須藤先生のそばに居て、言葉を聞いていたら、少しずつ少しずつ、近づいていくはず。
そのことを思うと、ワクワクする。



詩吟でも、そうだと思うから、少しでも胸を打つことの多い場所を選んで、そのぬくもりや、厳しさを肌で感じようとする。あがいて、楽しむ。

物事、矛盾に満ちていて、戸惑う、あがく、理解、落ち着く、すとんと抜ける。

物事、大変だぁと騒ぎながらも、とりあえず離れないで、辞めないでいるのは、大きな喜びが一瞬でもあるから。

一瞬で長続きしない喜びだから、また、求めて、今度はもう少し長く大きくとのぞんで、止まないのだねぇ。


感覚人間の陥りやすいところは、何だろう?
簡単に転写できるから、瞬間に判断して、行動し、それからゆっくり考えるところだろうか。
良し悪し、その逆も良し悪し。

絶対こっちが良いってのは、無いよね。


さて、私は、今、何を考えているのかなぁ・・・・・









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論語知の会 仁の会

2015年02月05日 | 論語と
みぞれ交じりの寒い今日、さすがに、雪になるのを懸念してか、出席数が少なかった。
仕方がないよね。
さくらレストランへ、早めに行ってみると、可愛い男子中学生が二人、実地体験で、ウエイターをしていました。

須藤先生はすでにランチを終えて、本を読んで勉強をしていらっしゃいました。
4月誕生予定の新越谷の講座で取り上げる「三字経」と「長恨歌」の資料を見せていただきました。
自分の好きなことをわがままに取り上げるとおっしゃる先生は、うれしそうで、笑顔がステキで、ワクワク感が伝わってきます。

4月から第4月曜日 新越谷サンシティにて、10時受付開始です。
楽しみです。ことに、長恨歌は、以前に先生から近々取り上げたいとお聞きしていました。
その時は、長恨歌は関吟のテキストにありませんでした。
先日関吟HPを閲覧すると、昨年10月に青年部が演じた構成吟「長恨歌」がアップされていました。
さっそく、詩をコピーして、音源から譜を書き込んで、もし、先生に吟詠をと所望されたら、大丈夫なように、準備を始めていたところ。
これから、募集をして、詩吟仲間がどのくらい参加されるかによって、吟詠のかかわりが変わってくることでしょう。

吟詠が解釈の手助けをし、より深く詩の内容を理解することができたら、吟詠もさらに深みを増すことだろうと期待する。


さて、今日のテーマは、「一以って貫く」

下村湖人のこの部分について書いた文章に、弟子が言うのに
「僕はこのごろ先生の前に出ると、妙にしっとりとした気分になるね。」
「そりゃどういうきぶんだい」
「どういう気分って、別にそれ以上説明のしようがないんだが、とにかくしみじみと嬉しくなるね。」

先ごろ届いた井本整体http://www.imoto-seitai.com/の機関紙にも、それと同じような世界が展開されていました。

孔子が、誠と思いやりをもって弟子に接したように、井本整体先生も真摯に弟子と接し、目を見てまっすぐに問いかけてくる生徒には、経験年数にかかわらず、誠と思いやりをもって応えていらっしゃる。

自ずとそこに良い「気」が流れるものらしい。

論語と整体。心地よいと感じるからだと感性を授かりつつある。
詩吟は?心地よい空間を作ってあげてないねぇ。
辛辣なことばかり言ってるからねぇ。

貫くってつらいことがあるよねぇ。       
本当は貫けずに、ふらふらするから、辛いのよねぇ。
でも、わかってくれている人が居るんだろうな。






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論語勇の会 はじめの一歩

2015年01月15日 | 論語と
勇の会でも、まず「あらたしき」の吟詠から。

須藤先生の論語の教室も、会を重ねて、生徒さんも少しずつ増えてきました。
いつも、生徒さんのことを考え、一番良い方法を模索していらっしゃいます。

今日は、昨日から泊まっていた娘を伴って、いつもランチをしているはずの展望レストラン「さくら」へ行ってみました。

あ、いました、いました。すでに、食事が始まっていました。
席に侵入して一緒にランチです。
娘を伴ったことをとても喜んでくださって、話が弾みました。

そして、来年度の4こまの教室のについて、予定を教えていただきました。
第三木曜日の、基礎論語に勇の会では、菜根譚を始めて教授なさる予定のようです。
そして、第一木曜日に、論語の基礎クラスを移転することになるそうです。

菜根譚は、NHKでも100分で名著でとりあげられたり、巷では、再認識されてきたこともあって、かねてからの先生の望みが叶ったということです。

娘にも、漢詩の中にある彩や、身に引き寄せて感じることなどを押しつけがましくなく語ってくださって、良い時間を過ごせました。

今日の授業は、これも思想家として、「楊子」を取り上げられました。

たとえ髪の毛一本たりとも抜かぬ。それが天下が救えるとしても。
つまらない欲望を捨てて、本当の生き方楽しみ方ができたらいいと言う。

さて、この「本当の生き方」とは。
 




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