今年度最後の論語と詩吟はじめの一歩
4月に初めて始まったはじめの一歩は、のんびりゆっくり声を出すこと、真似をすることから始まって、三つめの漢詩「富士山」に、至りました。
富士山は少し難しいと、思った通りの反応が返ってきました。
ひたすら真似をする方法、白板に線を引いて、音の上がり下がりを目で見えるように示したりしました。
どちらの方法も、得意な人と不得意な人がいて、これという練習方法は、定まりませんが、4月からは、また、心機一転で、始めることにいたしましょう。
思いがけず人数が増えて、うれしいのです。
関吟では、少人数で練習をしていたので、10人を超えることになると、基本的な考え方は同じでも、方法を工夫する必要があります。
須藤先生の論語も、4月からは新越谷の教室が新たに加わりました。
まず三字経からお教えいただくのですが、その先の長恨歌には、楽しい企画があり、吟詠をさせていただく機会があります。
先生の講座に手助けになれこそ、お邪魔にならないようにしたいと。
そして、吟詠の機会を頂いたことで、詩吟に目覚める人が居るかもしれないと思えることが、楽しみの一つでもあります。
これは、私が気づく前から、須藤先生の心づもりの中にあったようで、何時の時も、ご自分のことだけでなく、私や私からつながる詩吟のことにも思いを頂いていることに驚きを感じます。
4月に初めて始まったはじめの一歩は、のんびりゆっくり声を出すこと、真似をすることから始まって、三つめの漢詩「富士山」に、至りました。
富士山は少し難しいと、思った通りの反応が返ってきました。
ひたすら真似をする方法、白板に線を引いて、音の上がり下がりを目で見えるように示したりしました。
どちらの方法も、得意な人と不得意な人がいて、これという練習方法は、定まりませんが、4月からは、また、心機一転で、始めることにいたしましょう。
思いがけず人数が増えて、うれしいのです。
関吟では、少人数で練習をしていたので、10人を超えることになると、基本的な考え方は同じでも、方法を工夫する必要があります。
須藤先生の論語も、4月からは新越谷の教室が新たに加わりました。
まず三字経からお教えいただくのですが、その先の長恨歌には、楽しい企画があり、吟詠をさせていただく機会があります。
先生の講座に手助けになれこそ、お邪魔にならないようにしたいと。
そして、吟詠の機会を頂いたことで、詩吟に目覚める人が居るかもしれないと思えることが、楽しみの一つでもあります。
これは、私が気づく前から、須藤先生の心づもりの中にあったようで、何時の時も、ご自分のことだけでなく、私や私からつながる詩吟のことにも思いを頂いていることに驚きを感じます。