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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

新越谷論語素読の会

2015年09月28日 | 論語と
須藤先生の「長恨歌」三回目。今日で終了です。

始めて参加した方たちのために、最初から7段まで復習。
そして、8段と9段の解説をして頂きました。


この回も、先生から吟詠をと所望されていました。尺八と朗読も入って4人構成です。



合いかたさんの、真摯な思いと確実な練習は、拍手喝さいを頂きました。
私の吟詠は、拍手の無さが示していました。大反省。

合い方さんのひそかなファンも増えつつあり、さすがに、論語を学ぶ人たちだけあって、見抜いておられます。
また、尺八伴奏の先生のファンも居て、それぞれの立場を、論語の同級生としてだけ遇するのについては、思い切った割り切りが要求されます。



今日のテーマの八段と九段のみ吟詠の披露をさせていただきました。八段をあいかたさんの吟詠で、九段の前半を朗読そして最後を私の吟詠と組み合わせました。


ところが、須藤先生は、全段の吟詠を朗読も交えて望まれていたのに今朝になってわかったのです。
二人ではこの長い吟を吟じきることができません。私の力不足です。時間も足りません。

そのためだったら、別の機会をとまで考えていらっしゃるのが、言葉の端に見えましたが、この長い吟詠をみなさんにご披露するとしたら、長い準備期間を要します。
その前に、全段をまず吟じこまねば。

先生から、資料を頂きましたので、いろんな知恵を集めながら、育てていく宿題とさせていただきます。ありがとうございました。


かくして、「長恨歌」三回シリーズの読みときの会は終わりました。



ランチは、別の席になったので、先生の感想をお聞きしていませんが、先生の期待に沿えなかったのは、確実。そうだとしても、先生は、何もおっしゃらないでしょうね。
もちろん喝さいを頂いた合いかたさんは褒めてあげてください。



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市民講座その2

2015年09月16日 | 論語と
今日の市民講座は、西東京市。

足利学校編「論語抄」と須藤明実著 「史跡足利学校『論語抄』を読む資料」

全員で素読をして、先生の解説。

素直に心にしみこんでくる言葉は、何かの時々に、あ、これかもしれないと思うことがある。


孔子は、生まれたままの素直な心で生きることを説いてきた。
そして、弟子によって、内容を変えて変幻自在に教えを授ける。

教えはそれぞれの個性に合わせてするものだ。

整体の先生も、そうおっしゃる。

一つの理論をもって振りかざすのではなく、その人の特性を良く見て、この人には右と言い、あの人には、上と言う。

相手の心に寄り添わねば、繰り出せない言葉。


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足利論語と薪能の夕べ

2015年09月12日 | 論語と
須藤先生主宰の足利論語と薪能の夕べがいよいよやってきました。

台風接近のため、地方では、長雨と河川の氾濫で大きな被害がでていて、心配な毎日を送っていました。
そして、前日には、越谷、せんげん台あたりにも、水が出て、東武線の運行も怪しくなったり、心配が山ほどありました。

運よく、当日は雨も上がり、東武線の運行は平常通りになり、予定通り最寄り駅を出発し、待ち合わせのみなさんと無事会うことができました。

渡良瀬川の河川敷にも、かなり水が上がってきたようですが、足利市駅から鑁阿寺へと向かう道すがらや橋の上からの眺望には、さほど変わったところは、見えませんでした。

まちなか遊学館で、お昼を頂き、先生の講義、そして、漢詩二題の吟詠と予定通り、進みました。

薪能だけを見に来てくれた友人は、一人で、JR足利からやってきて、ちょうど講座が終わるころに間に合いました。

鑁阿寺の薪能は、国内の様々な場所での薪能の中でもピカイチの条件の良いところです。
町のざわめきの届かない静かな環境で、能舞台の松は、描いたものではなく、境内に植えられた能舞台用に枝ぶりを整えられている松です。

演目は、狂言は「鐘の音」 能は「通い小町」
山場に差し鰍ゥったとき、何かが訪れたかのように、風が吹いて、私たちの上に覆いかぶさるように茂っている枝が、さわさわとなりだしたのは、神がかっているような、幽玄の世界をより近くに感じる様な瞬間でした。


いつものホテルで、おいしい心づくしの夕食を頂き、早々と部屋に帰って、のんびりとした時間を過ごしました。

このビジネスホテルは、渡良瀬川のほとりに建ち、閑かで、空気がよく、水は柔らかいので、居心地良くお気に入りです。
何より、おかみさんが優しくて気づかいの行き届いたお方です。


翌朝は、6時に河川敷で素読です。
全日本素読の会のメンバーと、昨日の狂言師さんも参加してのにぎやかな顔ぶれで、論語の素読が続きます。

熟練者から初めての人まで、足利学校発行の論語抄を最初から最後まで、一人が一つの章句を先導し唱和します。

はじめの一歩で数か月詩吟を練習した方と最近論語の講座を受けて今日初めて、詩吟を聞くという方も、ご一緒でした。
朝食後の詩吟の時間も、特別心地の良い部屋を提供していただいて、二時間練習しました。

先生と私との縁を取り持ったキューピットさん〈と先生は言う)の想い出話の中で、早雲美術館も出てきました。
先生と李白の詩「山中問答」を書いた大きな掛け軸と縁がわでのとりとめのない話で縁が深まったエピソードは、皆の興味を引き付けたため、練習後の観光の目的地は、早雲美術館に決まりました。

とても小さな心地の良い早雲という人そのもののような場所は、先生も私も好きなところだけれど、どうやら、万人向けではなかったようで、あまりに私が熱く語るものだから、興味だけを引き起こしたようでした。
「これだけ?」というのが、感想になるほどの小さな美術館ですから。

美術館といえば、歩き疲れるくらいたくさんの展示があって当たり前なんだなぁ。。。

今度は、一人で来ることにしましょう。

さて、お昼前に足利市駅について、帰途につきました。

必ず座れるので、2回の乗り換えのたびに自然と隣り合わせたご一緒メンバーの誰かとおしゃべりが続く、のんびりとした2時間弱の旅は、親交を深める役にも立っていました。

最初から最後まで、楽しくて、面白くて、おだやかで、有意義な旅でした。

須藤先生、ありがとうございました。

これから先、論語の学びを深め、詩吟に親しむこの学びピアの教室は、これからも末永く続くでことを願っています。

詩吟の魅力を発見した人、課題を見つけた人、なによりも、私自身の多いなる学びがあり、先生の講義の、家の中がおさまってこそ、国が繁栄するのだという言葉は、私の詩吟の基礎を大事にして、いたいという思いにも通じる気がします。


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市民自主講座

2015年09月11日 | 論語と
東久留米市在住の須藤先生のお弟子さんのグループの運営する市民自主講座
「今こそ道徳の教えを孔子に学ぶ」に講師として須藤先生が招かれました。

お弟子さんとは、学びピアにも学びにいらっしゃっている方たちで、私にとっては大先輩の方たちです。

というわけで、三回シリーズの第一回しか参加できませんが、それでも良いですよとのことで、少しでも多く先生のお話を聞きたく、行ってきました。

どこに行っても、穏やかで、ちっとも偉そうにしないそのようなところが、受講生に親しみを持って迎えられ、穏やかな雰囲気で、学びが進みます。

終わった後では、リーダーが、顔見知りであるということから、私のことも紹介してくださり、詩吟をと所望されました。

弟子ともいえないほどの未熟者の私を紹介し詩吟に時間をとるよりは、先生のお話を少しでも長く聞いたり、質疑などにあてていただいた方がよほど、参加者のためになったのにと思うのですが、固辞するのもみっともないので、ほんの少し。

私の隣の席で、とても素晴らしい響きで、素読をなさる女性は、現代浄瑠璃に取り組んでいらっしゃる方でした。
おかげで、その方と知り合いになり、これからの、展開が楽しみになったのですが、それはそれとして、やはり、乞われてやすやすと詩吟をしてしまったことに大いなる後悔があります。

詩吟では、一応先生と呼ばれてはいますが、論語では末席に位置する若輩者なのですから、立場をわきまえて、断るべきは断らねばねぇ。




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足立『論語』

2015年09月03日 | 論語と
孔子が生まれてからの歴史を紐解きながら、その時々の弟子とのかかわり、そして、孔子が弟子たちに語った言葉を、素読していきました。

論語の一つの章句として、学び、先生の解説を聞いているのとはまた別の生きた言葉が、目の前に展開されました。

時系列、歴史などということにとても弱い私でも、今までのちょっとした積み重ねがあって、今日のような、解説の仕方をしていただくと、活字が、言葉として起き上がってきます。

先生からいただいた2枚のレジメは、一つは、「私のメモ」としてびっしりとA4の用紙に肉筆でかきこまれたものと、そのメモを、清書して、ワープロで簡潔に整えられたもの。

ごちゃっとしていても、先生の肉筆のものが、読んでいて、理解が届きます。


さて、今日は、授業が終わった後で、学びピアでは無い会場を先生と見に行きました。
第三木曜日の、詩吟対応の部屋探しです。
大きな声を出しても構わない部屋であれば、細かいことは問わないと、先生はおっしゃいます。

先生の授業のためではなく、詩吟のために先生にご足労願うのは、申し訳ないのですが、同じ生徒さんが参加している教室の1時間目と2時間目ですから、同期して動かねばなりません。

3か月前に場所取りをするのは、どこの会場も同じですから、条件としては、変わりません。
3か月前のその日から取れるのと、三か月前のついたちというのとの違いです。
学びピアが取れなければ、そちらに取りに行くというタイミングでも、十分取れるので、ちょっと気が楽です。

それにしても、詩吟と言うと、場所取りが、これほど困難になるとは、思っていませんでした。
いつも、場所取りをしてくださっている方がたのご苦労を、思います。

さて、第三木曜日の、菜根譚とはじめの一歩の授業は、これからどうなるのでしょう。
主となる須藤先生の活動しやすい場所であれば、問題ないのですが、場所が変わることで、参加困難になる方が出るのは、申し訳ないけれど、仕方がないことです。


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新越谷 論語素読の会

2015年08月24日 | 論語と
今日は、長恨歌二回目。
4段までの復習ののち、尺八の伴奏付きで、3段と4段を吟じさせていただきました。
5段からの解説の後、5段も吟詠して、漢詩と吟詠の2時間でした。

来月は、いよいよ、長恨歌最後の日。

8段と9段を朗読の方と三者で、コラボします。
尺八の伴奏もついて、お聞きいただく方に、どのような反応がありや、なしや。

さて、「七月七日長生殿・・・天にありては、願わくは 比翼の鳥となり 地にありては 願わくは 連理の枝と為らんと・・・」
思いを込めて、吟じることができるだろうか。

頑張りすぎて、声が固くなったりしないだろうか。
伸びやかに、しなやかには、私の永遠の宿題。特にそれが望まれる長恨歌なのだからねぇ。
もう一人の吟者と尺八は問題ないのだけれど、、、

須藤先生のもとに、集まった方たちに対して、漢文を理解するうえで、手助けになりたいと、吟詠のお手伝いが、足を引っ張ることにならねば良いがと、思います。


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菜根譚 はじめの一歩

2015年08月20日 | 論語と
暑いさなか、高校野球の決勝戦の最中、菜根譚の講義が始まりました。

思いのほか、出席がいつもの通りと、先生は喜びました。


菜根譚 その十九 前集
『世に処しては、必ずしも功を徼(もと)めざれ。
過ち無きは便ち是れ功。
徳に感ずることを求めざれ。
怨み無きは便ち是れ徳。』


先生の解説
過失なく一生を終えたならば、それは立派な功である。
対人関係に於いて、強いて徳を施して感謝されるように努めることはない。
人から、怨みを受けずにすめば、それこそ、人に感謝されることなのだ。


「立派な功績を挙げようと努めることはない」
「なるほど、それでいいのね、」と、思いつつ、もしかして私は怠惰に流れているのではないかとの、懼れとの間を、メトロノームのように、行きつ、もどりつ。。。



はじめの一歩
「絶句」 杜甫作  の練習の二回目。

此の処二度ほど、少し声が大きいとの指摘が隣の教室の方から事務所を通して届きました。
先生との素読の段階では、問題ないのですが、詩吟の声が、隣への影響を及ぼしてきました。
昨年の一年間は、何事もなかったのですが、今年になって、急に問題浮上してきたのは、みなさんの声が出るようになって、全員合吟の時は、特に、良いエネルギーを発してきました。お隣への影響が強くなったのです。
詩吟の好きな人にとっては、壁越しに届く声は、女性でも低めの音で出しているので、耳に触る音では決してなくて、心穏やかになるはずと思うのですが、とにかく声が聞こえてくる、詩吟と言うものが嫌いな方にとっては、騒音なのですねぇ。

内部的には、みなさんの声が出てきたのだからと、喜んで良いことなのですが、クレームとしてあがってこないうちに善処せねばなりません。
そのために、今日は、今まで使ったことのなかった、一番端っこの部屋を、事務の方と相談の上、お借りしました。
さて、どんな反応が返ってくるのやら。

もし、場所を変えねばならないとしたら、例えば、「先生のお近くの新越谷に会場変更になったとしたら」どうですかと、先生がおたずねしたら、「遠くなるなら、行けません。」との返事が帰ってきました。
その答えは、特に、詩吟に熱心な方だったので、3月までの、ワンクールが終わるまでは、このままで、事務の方の援護射撃を頂きながら、続けることになります。

さて、4月からのことは、しっかりと考えねばなりません。


お稽古のほうは、スムーズに進んでいます。
先輩がたの、模範吟詠を今日は、尺八伴奏で、いつもより多くの先輩の吟をお聞きいただきました。
そして、それぞれの紹介をし、お名前についての説明をいたしました。
野田 芦孝先生率いる「東京芦孝会」のメンバーは、参段を頂くと「芦」の字を頂くこと。
そして、それぞれに付いた漢字は、先生の選んでくださったもの、自分でさがしてきたもの、親がつけてくれた名前のもの、などと、それぞれが自由に選択できること。

特に芦孝会は、先生が命名するものとは、決まっていないのです。

その自由な考えのおかげで、私は、初めに佐藤鷺照先生にいただいた「照」の付いた名前のままで、芦孝会に所属していられるのです。

雑談になりましたが、詩吟を好きになって、詩吟のことや芦孝会のことも少しずつ知っていただきたく、お話させていただきました。


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足立論語の会

2015年08月06日 | 論語と
7月、足立区民大学塾主催の「初めての論語、わかる論語、楽しむ論語」が3回シリーズで開催され、受講を終えて、更に学びたい方たちが、9人も今日の、第一木曜日の、足立論語の会に参加なさいました。

あっというまに、教室の定員を超えそうな勢いで、受講者が増えました。
須藤先生への、人気、信頼感は、いや増しております。

教科書の素読は、会を重ねて、少しずつ私の中にも、定着しつつあり、先生の言葉に、だんだんと彩がつけられて、私にとって意味のあるものとして、収まってきています。

学ぶということは、こういうことなのね。言葉のられつや丸暗記ではないということが、実感してきます。

帰りには、久し振りにお茶をしました。
久し振りの間に、いろいろと話題がたまっていて、あれやこれやと、会話が弾みました。

この2週間、夏風邪状態で、頭痛に喉痛に、悩まされていて、体操と、足湯と、温度に注意しながら、冷房を入れたりして、薬を飲まないで、回復に努めていました。
ちょうどしつこい咳から解放されたばかりでしたから、おしゃべりも弾み、ドリンクバーのおかげで、お変わりを自由にして、水分補給も余念がありません。

熱中症の連呼のおかげで、水分はたっぷりとって、おかげで、いつもは、ぱりぱりと音のしそうなお肌もちょっとは潤っています。
面白いものです。





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新越谷 論語素読の会

2015年07月27日 | 論語と
月に1回第4月曜日に、新越谷で始まった論語素読の会は、今月で4回目を迎えました。
三字経が終わって次は、「長恨歌」の読み解きが始まります。
須藤先生のもとで、論語を学ぶSさんの朗読と、吟詠をTさんと私がお手伝いすることで、始まりました。

この会は、時々に先生の選んだテーマで、勉強が進んでいきます。
長年、「長恨歌」の鑑賞をしたいと思ってこられたそうで、良き機会を得て、私たちもお手伝いができることを喜んでいます。

Sさんの朗読は、飾らないところがステキです。
淡々と語りながら、しっとりとしてやさしい、賢いお母さんが、子供に読み聞かせる風景だけれど、決して、目線を子供用に落とすことはしない。

吟詠は、声が大きいというだけで、押しつけがましく聞こえてしまう帰来がありますが、このような吟詠ができると良いなぁと、思いました。


先生から、長恨歌を解説するにあたって、吟詠をと所望されたとき、「長恨歌」は関吟ではテキストがありませんでした。
関吟のHPには、ちょうど、何かの大会で、青年部が構成吟を発表しており、映像がアップされていました。

その、あまり鮮明ではない音源から、譜を写し取りましたが、はっきりしないところ、音がない処など、完全なものは、とれませんでした。

それで、自分なりに、譜を付けて準備をしていました。

きちんと先生の解説をお聞きしたら、印象が変わって、違うように吟じたくなるかもしれません。
その時は、ちょいとメモを足して、吟詠をすることにしようと思っていました。

準備期間は、十分すぎるほどありましたが、詩吟のほうの大きなイベントや、練習日、Tさんは、コンクール出場などがあって、二人で打ち合わせをする時間をとることは、できませんでした。

いずれにしても、高さが違っているので、合吟をすることはなく、それぞれが担当の部分を独吟をするのですから、打ち合わせの要は、無いともいえます。

そんなこんなで、気が付いたら、今日を迎えていました。

まず、須藤先生の訳したものを全文、Sさんが読み、全員で素読をしながら、須藤先生が解説をしてくださいました。

そして、最後に、一段と二段をそれぞれ、独吟をさせていただきました。

心地よい環境で、丁寧に読みといていただき、その上での吟詠は、最高の設定でしたから、いやがおうにも吟詠への興味が湧き上がります。
おかげ様で、二人の吟詠はとても好評でした。

今日の講義は、尺八の先生も参加なさいました。
ランチの時に、何もほかの音のない吟詠も素晴らしかったとのおほめを頂きました。
ご自身、尺八も詩吟もなさる先生にとっては、吟詠には、尺八を付けたかったことでしょう。
その言葉の後ろに、尺八が付けばさらに素晴らしいはずと、おっしゃりたかったのかもしれません。


和気あいあいと、ランチが進み、サラダバーとドリンクバーまでついている会場のサンシティ内のレストランは、お得感満載でした。

いつもは、せっかく詩吟仲間も集まるので、カラオケ詩吟に向かうのですが、土曜日はコンクール、日曜日は大阪受験と、過酷な二日間を過ぎしてきた、Tさんは、さすがにまっすぐ帰りたかったようです。
それとも、私への配慮だったのか。
西新井にて、三人と私は、お別れです。

詩吟の日は、こってりと詩吟と語らい満載の日を過ごしますから、なんだか、忘れ物をしたようでしたが、今日で、三日間、お留守番の鼓太郎のことを思うと、先が急がれます。

まだ、この暑さにばてもせず、私の帰りを、目を”キラン”として、迎えてくれました。





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菜根譚 

2015年07月16日 | 論語と
菜根譚を読む その二十三 前集

事窮まり 勢い(ちぢ)まるの人は、当に其の初心を原(たず)ぬべし。
功成り行い満つるの士は、其の末路を観んことを要す。

須藤先生の私感 「初心にかえろう」

     ことに行き詰ったら初心にかえろう。
     功を成し遂げだ人を見て羨ましがらない心を持とう。

世阿弥は「初心忘るべからず 時々初心忘るべからず 老後初心忘るべからず」


華雋先生の講話の中にも、物事はらせんを描くとおっしゃった。一回りして、同じところに帰って来た時、初心を思いだし、今の自分の位置を知ると。


物事、右肩上がりの直線で進んでいくと思っていたけれど、確かに、螺旋だと思い、物事が進まなくなったとき、必ず、物事を始めた時のことを思い、そのころの懸命さを思い、謙虚であったことを思い、今後の螺旋を歩き続ける道筋を考える。と。







      
 


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