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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ありがとうを要求する心

2007年02月14日 | チンゲル亭裏日記


トゥールさんのSAVE THE CHILDRENへの付き添いはなくなりました。
それは先週からのことだったのですが、迂闊にも1回限りだと思ったのです。彼女は、毎週と言ったというのですが、今更水鰍ッ論です。

私の授業に付き合うのは、彼女にとって出る幕がほとんど無い為、居なくてもよい存在であると思ったようです。
その上、彼女は先週、施設の先生たちにトゥールさんが居なくても、私たちは十分会話を楽しんだとからかわれた事にもプライドが傷ついたようでした。
その一言の、通訳でどれだけ助かるか分からないこともあるのに。
それが、伝わらなかった。

お手伝いをしてくれている代わりに、彼女が始めた日本語の授業のための手助けを惜しみなくしていることも、卒論のために2冊の辞書を贈ったこともすっかり忘れていると言うより、なぜ贈られたか、いろいろしてあげているのかわかっていなかったようです。

出来るからする。してもらったことに始めは、ありがたく思っても、次の日になるともう、それが当たり前、さらにさらにと駄目もとで要求や欲望が増えていく。
それが、私にはあわよくばと映るのです。

わざわざ彼女のために出かけて行って本を借りてあげると言うことも、彼女にとって、できるからしてくれるのであって、出来なければ断られてもいい、それはそれで仕方が無い、一つの行動が次への何のつながりも無く、その場限りでおしまい。
実にさっぱりとしています。
あれで、これが、こうなってと複雑に物事を絡ませて考える私は、馬鹿みたい。
駄目なことは断ればよい、昨日はやってあげても今日は気分次第で断ったとしても何の恨みも無いと、あまりにさばさばしている考えに、唖然とするが、そこにこだわって、「してあげている」と言い張る私は、小さな人間なのだなぁ。

そうなれたら、ありがとうの一言だけがほしいとこだわっている私は居なくなって、とても楽になるだろう。
一回り大きい人間になれるだろうか。

小さいことにこだわらない夫も、別の件で今私の抱えている思いは共感してくれているから、やはりその出来事は特別なことと考えて良い事なのだろう。分かってくれている人が居るだけでよい。もう済んだこととして、さばさばと忘れてしまおう。

子供たちに「とってください」「ありがとう」を教えている私は、一体何?
空しくなってはいけない。がんばれすみこ!
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ビャンバジャルガル先生

2007年02月13日 | チンゲル亭裏日記

今日のオルティンドーの練習は、ことのほか気持ちよい出来でした。

先生からも、下で聞いている人たちが、すみこは最近モンゴル人の声になってきたと言っていると教えてくれました。

先生も上機嫌で、私も前回おなかに力が入らなかったのが、日曜日の乗馬で使った筋肉のおかげで、楽におなかに力が入るようでした。

先生の言うような声が出ると、ほんとに気持ちが良くて、快感。
聴いている人も同じような気持ちで居るらしいのです。

日本語は、喉から声を出すけれど、モンゴル語はハァーと言う息に乗せて出てくるもので、そのようにすると出だしの音が柔らかくそしてモンゴル語の発音になってくるのです。

今日は、エンヒメンディンバイルを久しぶりに歌いました。
やはり、ショロンカイがいまいちですが、前に練習したときとは、格段にそれらしくなってきました。

あの頃、どうして?と思うほど詩が出てこなくて、困ったのですが、今日は、滑らかに出てきて、いい調子。

シルシットは、目指していたところにずいぶん近づいた気がする。

思いのほか、早く、この日が来たと言う感じです。
今日、先払いのお金を支払って、サインを貰いました。
後、10回できるかなぁ。

先生には、十分眠ってないのではないかと言われました。
その通り、この3ヶ月と言うもの、寝つきが悪く熟睡したと言う感じがありません。

先生はなぜかと言うと、最初の音の取り方が悪く、探りながら音を出したり、音をはずしているのは、集中力に欠けているからだと思う。とおっしゃいました。

とてもそれは良く分かります。もともと、最初の正しい音を出すということになぜか、自信がなくて、ぽんと音が出せないのです。
ぽんと出せたらどんなにか気持ちの良いことか、もっと自信を持ちなさいと自分に言い聞かせて、10回に1回は出ているかなぁ。

それが治れば、言うことなし。先生も、ご自分の指導に納得されることでしょう。
何とか、3月終わりまでに、目標達成しよう。
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SAVE THE CHILDREN UK

2007年02月09日 | チンゲル亭裏日記

今日の出発は、いつも同乗のトゥールさんとニコが居ません。
トゥールさんは、授業があるので来られないが、ニコはくるということでした。
ドルジさんは、ニコは授業があると答えました。
お互い、単語での会話しか出来ないから、それ以上の満足のいく答えは望むべくも無いので、後は、黙って自分の思考に沈む。

そして、職員室では、今日、先生の感謝の会が3時からあると急に告げられました。
昨夜、あれほど、トゥールさんに確認すようにといっておいたのに、電話が来ないから、無いものと思って来たのに。

子供たちが先週から練習をしていたと聞いているので、ぜひ参加したくて、そのまま残って時間まで待つことにしました。

ドルジさんには、トゥールさんが来たら電話をしますといって、このまま帰ってもらうことにしました。

ニコが居ないと、隣りの子供といたずらを始めないし、今日は11人だったので、とてもやりやすい授業でした。
トプシントルは、お兄さんぶって、ちょっと私語が入ると、しずかに!と注意を喚起してくれます。

おかげで、「とってください」が、スムーズに出来ました。
まず、お兄さんお姉さんの経験者に好きにやってもらいました。
興味深深で、目を皿のようにして、耳を傾けています。
小さい子供たちや日の浅い子供には、会話を少なくして、そばで耳打ちしながら猿さんと亀さんの会話をしてもらいます。

そのうち、お兄さんから、りんごをスイカに変えましょうと提案。
私の、気持ちを読んだかのような、反応に驚く。

折り紙は、黄色の折り紙で、猪を折りましたが、ちょっとてこずりました。
エルデントヤは、どうも折り紙は苦手です。
来週の課題です。

5分前になってもトゥールさんが来ないので、電話をしようとすると、ドヤーが鰍ッました。
あと1分で来ますと答えたそうです。
二人で、自然に窓にたって見ていると、塀の隙間からそれらしい姿が見えてきて、のんびり歩いている様子が見えました。

部屋に入ってきたのが、ちょうど2時。
平然とお茶を淹れて飲む様子なので、時間ですよ、日本人は5分前には着いていますといったら、隣にいた写真家のトヤさんは、私も10分前にそうしますといいました。
トゥールさんは、年上の彼女に対して、私に対するときには考えられないような、横柄な対応でした。

年長者を尊重するモンゴル民族の血は、どうなっているんだ?
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完治といいつつ

2007年02月07日 | チンゲル亭裏日記

30日ごろから「風邪完治」といいつつ、週末は、消極的に過ごし、少し引きずっているような気がします。

明日は、見学のお客さんを連れてオルティンドーの練習です。
午前中はいつもより丁寧に発声練習をして、お昼はしっかり食べて出かけねばなりません。

明日は、ちゃんと眼を覚まして起き上がらねばなりません。
しっかりと意識を高めて、お腹にしっかりと力を入れて、喉や胸からは力の抜いて、オルティンドーの声を出さねばなりません。

スーパーボールの選手たちが、気合を入れて試合に臨むように、私なりのやり方で、気合を入れるのです。
そうでないと、オルティンドーを歌う意味がありません。

練習の前は、目いっぱい力が入っていますが、いざ、練習が始まると、力を抜いて、しなやかに、柔らかに、おだやかになるのです。

先週木曜日の子供たちとの再会が、立ち直り第一弾とすれば、明日は第二弾、これで、しゃっきりしなければ、週末の乗馬はまたキャンセルです。
私の都合で、日曜日に変えてもらいましたから、なんとしてでも参加したい。
ここまでくると、気の持ちようですから、自分で自分にカツを入れなければ。

ぐっすり眠るために、ワインを飲んだら、ほんの少しで、まっかっかになった。
はぁー、もう少し長家に強いと面白いのに。
却って、動悸が打って、目が覚めそう。。。

どうきといえば、明日の夕方は、同期会。
二年前の4月6日に、ウランバートル入りした大事な仲間です。
4月5日に任期を終え、それぞれ都合の良い便で帰国します。
5日の北京経由で、6日の仁川経由で、7日の直行便で、それぞれが帰国です。

同期だけで、会うのは、これで最後となるでしょう。
ほんとは我が家での、ホームパーティーをしたかったのですが、私の気力がいまいちの時、近くのレストランのボラボラで、日本から招いたバーテンダーの入れるカクテルと生演奏の特別パーティーがこの4日間催されるというので、ちょうどそれに乗っかって、お誘いしたら、全部で16人の参加という大盛況になりそうです。

演奏は、馬頭琴、二胡、ジャズの三部構成だそうです。
ジャズもどんな演奏なのか楽しみです。

さて、ぐっすり眠らねば、明日の声に差し支えます。
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のんびり週末

2007年02月05日 | チンゲル亭裏日記

予定の無い週末を過ごしました。
出好きの私と、出不精の夫は、週末特に乗馬の予定が入り始めてからは、土曜日は、「女房元気で外が良い!」という日々を過ごしていました。

風邪のため大事をとって乗馬をしなかったものですから、二日間料理を作ったり聡怩オたり、買物にも出かけない玄関のドアを一度も開けない週末でした。

散歩にも出かけないで、よくもまあといわれるのですが、夫は、まったく平気なのです。
私も、無理に外に出ては、という気持ちがあるので、夫のペースに合わせた二日間でした。
静かな、静かな、平和な、時間が過ぎていく。
そして、気がついたら爆睡をしているのは、おそらくあと10%ほど体調が戻ってないのだと思うのです。
なんだか、老人夫婦の生活のようで、張り合いが無い。
ただ、最近、「おいしい」というのは、努力目標らしく、以前より耳にすることが多くなったような。。。

決して、腕が上がったわけではなく,食材が、年々豊富になり、冷凍魚が夫の目にかなうものが出回り、魚料理が家で食べられるようになったことも大きいようです。
最近は、肉はもう食べたくない状態で、極たまーに突然肉が食べたくなると、あれこれしないで、カレーです。
日本から持ってきたカレールーも、後1回分を残すだけ。
韓国製日本もどきカレールーはスーパーで、売っているので、この次からは、それを買うことになるでしょう。

そして、若いモンゴル人のお嬢さんが日本料理を習いにくるものですから、より、おいしく感じるもののようです。(笑)

そして、ブログの更新が出来ないので、過去のブログや、前回こちらに来たときの『チンゲル亭便り』を読み返してみたら、なんだか、私にしては上出来と思うのです。
自画自賛の客観性の無いものですが、一生懸命に物事を行っているときは、そのエネルギーに圧唐ウれ、引き込まれるものなんだと、われながら、自分がかわいいと思えるのでした。

ほんとに、良い記念になるものを作ったと思うのです。
これさえあれば、あれこれ、物を見つけなくても、十分という気がして、帰国直前の自分へのお土産選びは必要なくなりました。

よほどのことがないと、来ることの無いモンゴルですから、あれもこれもと買い集めたい気分になるはずだったのですが、帰国準備の始まった今、良いタイミングで、気がつきました。
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爆睡

2007年02月02日 | チンゲル亭裏日記

SAVE THE CHILDRENに3週間ぶりに行きました。
子供たちは相変わらず元気で、このところ毎回毎回新人さんが3人以上来るので、その子供の世話で、足踏み状態です。

それでも、飽くことなく毎週通ってきて、お姉さんぶり、お兄さん振りを発揮してくれている子供もいます。

とりわけ、サインザヤは、かなり話が出来るようになっていたのですが、このところ会話の前進が無くても、熱心に通ってきています。
欠席の日は、留守番が無くて、来られないのだそうです。

来週は、この子達のために何か工夫をしてあげなくてはと思う。
「とってください」を、新しい子供にも古い子供にも、満足できる会話にして見なくては。

今では、折り紙教室になってしまっているので、私としては、残りの少ない日々をもう少し会話の数を増やしたいと思っている。

このところの、ニコのトゥールさんへの甘えぶりは目に余るものがある。
2週間も私の代わりをしたこともあって、トゥールさんにも自信と言うものが出てきたのはいいけれど、指示したこと以外のことをしたり言ったりをしているし、ニコは隣の子供といたずらを始めるし。
日本人の黒子感覚はまったく無いので、そちらも気をつけねば。
人を使う経営者は、こんなところにも細かい配慮がいるのだなぁと妙に納得するのでした。

少し体力温存の方向で、ゆるりと授業をしたにもかかわらず、夕方気がついたら爆睡していました。
時間を聞いたら、7時というので、朝まで眠ってしまったのかと思うくらい充実した眠りでした。

             ☆

お昼に、夫と知り合いの新装開店のレストラン「Royal Family」に行きました。元、アンティーク パブの日本人コックさんが、オーナーシェフとして先週開店したのです。

今までの、メニューに寿司が加わっていました。
魚を食べると決めていったのですが、なぜか、和風ハンバーグを頼んでいました。
夫は、マグロ茶漬け、おいしそうなマグロが載っていました。
次は、寿司にしよう。
今日の、会計は1万2千500トグルクでした。
握りずしを頼むと一人がそのくらいの値段になります。

ハンバーグとは言え、日本の味を満腹するまで、食べたこともあって爆眠をしたのでしょう、風邪からの完全脱出ができたのかな?

これで、日本人に会う元気が出来た。
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ボランティア

2007年01月25日 | チンゲル亭裏日記
今頃、トゥールさんは、私の代わりの授業を終わっているころです。
今日の課題は、ベビーアパトサウルスの折り紙です。
「高井くんのおりがみ教室」http://www.asahi-net.or.jp/~uz4s-mrym/page/origami0.html で折り方を頂きました。
昨日、家に来て折り方を練習して帰りました。
特別難しい折方はないと思ったのですが、、、折り紙に親しんできてないと折る回数が多いと難しいと感じるようでした。
ちょっと課題選びを失敗したかなと今、心配しているところです。
トゥールさんのことだから、きっと、うまく切り抜けるでしょう。

そして2時からは、自分の授業です。
それに対する準備は、質問されない限り触れないことにしています。

モンゴル日本センターで本を借りるのも、モンゴル人は日本語を教えていることが条件です。
これまで3度、代わりに本を借りてあげましたが、彼女のために毎週モンゴルセンターに出かけるのはだんだん億劫になってきていました。

3冊しか借りられないので、私の借りたい本はあきらめるしか有りません。
それに、こんなに、まじめに日本語に取り組んでいるのに、誰かに肩代わりして本を借りてもらわねばならない理不尽さに、腹が立ってきました。

昨日は、トゥールさんに提案しました。
SAVE THE CHILDRENの職員の方に、日本語を教えていると言う証明を書いてもらって、それで、本を借りられるようにお願いしてみたらどうでしょうと。

それが、うまくいけば、彼女は私とスケジュールを合わせながら、本を借りたり返したりする必要がなくなりもっと身軽になります。
首尾よく行きますように。

さて、二度も続けてお休みした教室ですが、来週子供たちはどんな顔して待っていてくれることやら。。。

3月いっぱいで終わりになるこの教室の、望ましい締めと言うのはなんだろうと考えています。
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九州弁の文章?

2007年01月24日 | チンゲル亭裏日記
夫が報告書の末ハ訳さんに頼みました。
ざっと読んで分かりますかの問いに、「ハイ、ハイ」との二つ返事。
(その文章は、たとえ日本人の私が読んでも半分理解すればよいくらいの専門分野の報告書です。)

しばらくして、彼女の言うことには、「あなたの文章は、九州弁だから末ナきません」と。
どこが引っかかったのか、調べてみると「とりわけ」「おいて」などの言葉でした。

「わからない」という言葉を発せられないらしいのは、いままでの通訳さんに共通することですが、いろいろとその人によって、表現が違うものだと、感心するしかない、ようです。(夫よ頑張れ!)

夫が「九州弁」という言い方を否定しなかったら、何度も使って夫の文章が悪いという。
末ヘ、正しくても間違っていてもその通りに末キるのが、通訳の仕事だよということが、まだ、よく分かっていないようです。

それでも「九州弁・・・」というので、とうとう夫が上記のカッコ内のことを告げると、ようやく、安心して黙って辞書を引きはじめた、と。

ただ、この通訳さんは、お客さんが来るとすっと立って行き、手早くお茶を入れる礼儀正しい楚々としたところが有って良い、と。
ゲレル教授が、質問に来て話し込んでから帰るとき、普通モンゴル人の偉い人はしないらしいのですが、「お茶をありがとう」と言って帰って行ったそうです。
それに気をよくした彼女は、今のところ日本語の仕事以外では,なかなか点を稼いでいるようです。

ただ、私が感じるのに、夫が偉ぶらないので、彼女は夫をかなり侮り始めているようです。
控えめ、謙遜の通用しないモンゴルでは、能有る鷹は爪を隠す方式は、物事がスムーズに運ばないのでした。

前の通訳の大学院生もたまたま部屋にいて、上のゲレル教授(ドガラ教授より格上)が部屋で夫と友達のように話しているのを目を丸くしてみていたようです。
「今頃、尊敬のまなざしをして夫のことを観ても遅いのだよ!」と私が叫んでも否定をしなかったところを見ると、図星のようでした。

そういう夫の態度、あるいは年よりも若く見えるところが、ジワリと首を絞めているのではないかと、取り越し苦労をするのは私だけのようです。

そういえば、助教授も自分より夫が年上ということを知ってから、質問が増えたとか。
年下、格下には教わりたくないという思いも強烈のようです。

あと少し!
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介護の番組をみて

2007年01月23日 | チンゲル亭裏日記
昨日のテレビで、デイケアの施設の2階が、介護者のためのサークル活動の部屋になっているのを見ました。

同じ建物の中で、家族がデイケア・サービスで見てもらい、自分は同じ介護仲間と好きな絵やお花や歌などを楽しむ。
何があってもすぐに駆けつけられる、何より、大事な家族をどこかに置き去りにしている後ろめたさがない。
同じ立場の分かり合える人たちとの安心した時間が過ごせて、愚痴を聞いたり、知恵を貰ったり、介護者にとってもいいことずくめの方法を実施していると言うものでした。

私の、介護時代は、デイケアの施設の介護者教室と言うのがあって、そこでプロの話を参考にさせてもらいましたが、楽しむと言うことはまだまだ、考えられていませんでした。

そのころ、私には、デイケアに母を送り出すことに、テレビに出ていた人や、知人のように罪悪感はちっともありませんでした。
母の、体調がよかったせいも有りますが、具合の悪い人をプロの手にゆだねて、何が悪いの?と言うくらいの思いでした。
母を出迎えの車に乗せると、さっさと自分のボランティアや楽しみに向かっていました。

テレビに出て取材されたり画面に出てくるくらいの方たちだから、男性など特に、自分が一人で頑張る!と、体全体で言い張っていました。
それが、子育てのように、有る決められた期間を経過すれば終わると言うものでないだけに、あなたが、ャLンと折れたら、残された人は誰にゆだねるのですかと問いたい気持ちでした。

ひとたび病人となると、「わがまま」と言う言葉がなくなってしまうくらい頑張りすぎるのは、まじめすぎて、見ていて苦しくなります。

私の介護の身上は、見送った後も健康で、楽しい生活が送れるゆとりを残すことでした。

根性無しだったおかげで、母の介護に早めにサービスの恩恵を受け、見送りました。
今は夫の健康を支え、多少は田舎の義母に寂しい思いにさせていますが、一人で暮らせなかった夫の健康には代えられないものがあると感じてます。

どこまで、気楽に出来ている私だことと、テレビを見ながら思ったことでした。

介護で悩んでいる時は、これしかないと頑張り過ぎるものです。
ちょっと環境を変えると、「目からうろこ」も有るかもしれません。
プロの助言を入れて、少し体だけでも楽になりましょうよ。
ねぇ!日本で介護している○○さん!
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学生のための部屋が?

2007年01月23日 | チンゲル亭裏日記
今日、夫が出勤したら、教授が珍しく怒っていたので隣の教室を覗いてみて唖然としたそうです。
まるで、予想しなかった改造が行われていました。

その部屋は学生の教室と助手の控え室があるのですが、学生に使いにくく狭いので、今あるスペースを少しでも広げたいと、教授が先週金曜日に職人を呼び、指示を与えました。
壁を取り払い、無駄なスペースになっているところを教室の部分に取り込むことで、少しでも学生に心地よくと配慮したものでした。

ところが、今朝行ってみると、土、日の作業で無駄なスペースはそのまま残り、立派な助手の控え室が出来上がっていたそうです。
残った教室のスペースは、前より狭くなりとても使いにくい細長い形になっていたそうです。

土・日の作業中彼女たちが鍵を開け職人さんを入れる手はずにはなっていました。
助手の控え室を大きく取ってしまうなどと考えれられない仕上がりになっているとは!
教授と、主人が狭い部屋で我慢して、通訳に便利ですか?などと質問されるような状態と言うのに。
学生のための教室を広くするための工事だったのに!

夫の話に一人で怒っている私でした。

教授の出した指示が臨時の助手に完全に無視されるなど、考えも及ばないことです。
変な形の部屋を作って、職人としてのプライドは無いのか。教授がお休みしている日の、職人さんと助手との話はどのようなものがなされたのか?

どうやら、学部長がなぜか教授ではなく、助手にお金を渡したそうです。
お金を握った人が強いと言うのは聞いていますが、それにしても、お金はまだ支払われてなく、助手の手にあるのです。

そして、そのお金。
今日も、いろいろと物を動かすのに、人が出入りする中で、助手の机の上にむき出して置きっぱなしにしていたそうです。

大学と言えども机の上など目に付くところに有る貴重品、珍品はまずなくなるのですから、考えられない行動です。
想像するにその助手の「私がお金をまかされた」という示威行動だったのではないかと言うことです。
なくなっても自分のお金ではないからねぇ、そんな危険を冒しても、誇示したかったのでしょうか。

民主主義、お金主義、社会主義の入り混じったUBの人たち。

それでも穏やかな教授、ゾルゴの強さ、ゾルゴのおかみさんの控えめな強さと優しさ。
古きよき時代を受け継いでいる人たちが余計に好ましく思えます。 
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