Little by Little

慌てず騒がず

6月7日

2020年06月07日 | 日記
 「役作り」は、根元(役の心や思考など)から作っていけば、ゆっくりと答えが見えてくる。けれど、外側から役を作る俳優は、当てずっぽうでいち早く答えを出そうとする。だが、当たるわけがない。キャラクターは無限に近い。広大な海岸の砂の中から、特別な一粒の砂を見つけるようなものだ。またある俳優は、ワンパターンの陳腐な硬直した人物(例えば、お姫様はツンとして、悪者はダミ声でなどなど)を作って陳腐なドラマにしてしまう。
 それは、役作りなど念頭になく、ただ脚本のセリフを懸命に言っている俳優よりもタチが悪い。演出家は、「役作り」俳優が次から次へと繰り出してくる不正解を壊して、再構築しなけりゃならならなくなる。二重三重の手間をかけてくれちゃうのだ。
 役のセリフや動きは、俳優にとっては異物だ。その異物が異物でなくなるまで折り合いがつけられたら、つまり、脚本の意図やセリフや動きが俳優自身のものになった時、「役作り」は、ほぼ完結なのだ。しかし、その「折り合いをつける」のは、容易じゃない。脚本や役を分析したり、武士だったら武士の訓練をしなければならない。俳優には膨大な仕事が待っていると思った方がいい。

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