【あれから1年】
自分が就職活動をしてたころから1年、当然今は後輩たちが同じように就職活動をしている。男が多かった自分たちの代に比べ、今回の代はほとんどが女。その影響もあってか、就職活動に対する考え方というのが我々のときよりも心なしか切羽詰った感がある。
【真剣なのはいいが】
物事真剣に取り組むのはいいことだが、思考が硬直してしまうほど傾倒するのは考え物だ。あの会社に行きたい、あの職種につきたい、と考えてそれに対して真摯に挑むのはすばらしいことだ。だが、単純に点数を何点以上取れば受かる、とかいう類の試験ではないだけに、努力がそのまま結果に反映されるとは限らないのも就職試験である。というかむしろ、そういう結果になることのほうが圧倒的に多い。
【そのときに】
最初から希望を限定するよりもある程度の流動性を持っていたほうがいろいろうまくいく。「就職したい」のなら中途半端なこだわりなんてじゃまなだけである。入るまでのイメージだけである会社にこだわるなんてのは可能性も本質も見失う。自分が何をできるかは自分がチャレンジし続ける気概さえあれば環境はある程度の制限要因にしかならず、逆に「ここじゃなきゃいや!」という閉塞した発想では仮にそこに行ったところで大して面白い仕事はできないだろうと個人的には思うのだ。
自分が就職活動をしてたころから1年、当然今は後輩たちが同じように就職活動をしている。男が多かった自分たちの代に比べ、今回の代はほとんどが女。その影響もあってか、就職活動に対する考え方というのが我々のときよりも心なしか切羽詰った感がある。
【真剣なのはいいが】
物事真剣に取り組むのはいいことだが、思考が硬直してしまうほど傾倒するのは考え物だ。あの会社に行きたい、あの職種につきたい、と考えてそれに対して真摯に挑むのはすばらしいことだ。だが、単純に点数を何点以上取れば受かる、とかいう類の試験ではないだけに、努力がそのまま結果に反映されるとは限らないのも就職試験である。というかむしろ、そういう結果になることのほうが圧倒的に多い。
【そのときに】
最初から希望を限定するよりもある程度の流動性を持っていたほうがいろいろうまくいく。「就職したい」のなら中途半端なこだわりなんてじゃまなだけである。入るまでのイメージだけである会社にこだわるなんてのは可能性も本質も見失う。自分が何をできるかは自分がチャレンジし続ける気概さえあれば環境はある程度の制限要因にしかならず、逆に「ここじゃなきゃいや!」という閉塞した発想では仮にそこに行ったところで大して面白い仕事はできないだろうと個人的には思うのだ。
生物有機の主、いや、蟲のsuwatuneです。
後輩と企業の話をする、仕事観の話をするにつけ、覚悟しているのか疑問を感じることがあります。
私見ですが、20数年生きてきた人生の棚卸をした結果として、就職という道があるのではないでしょうか?
なんで就職なのか?そこにヒントがあると考えます。