創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

曾野綾子

2006-07-24 17:19:08 | 徒然に
曾野綾子が 藤原弘達氏の『創価学会を斬る』の言論出版妨害事件に対して 昭和43年に 以下の文章を発表した。

「ジュゲムジュゲム」
 「ついこの間まで、私の立っているささやかな立場からかなり暮らしいい、明るい国だと感じていたが、最近そうでもないある事件にぶつかった。私はその内容をここにコトコマカに書きたいのだが、それができないのである。それは、現代の日本に言論の統制があるということだ。

 かりにここに一冊の本があるとする。私はその本を信じているわけではない。しかしその本が、あるグループにとって具合いの悪いことがといろことになると、その本は広告も、配本もさまさまな形で拒否されるといわれ、そのことについて、がりに私が真相を知りたいと書こうとしただけで、その原稿にさえも、どこからともなく圧力がかかるということである。
 私はもう、大変ビックリしているのである。これは戦争中のあの暗い時代に体験したことと、似てきはじめた。そしてもし、これがどんどん続いていくなら、日本は再び不思議なことになるだろう。(中略)

 この文章を見て、何が何だかわからぬ、というかたもあろうが、私の責任ではない。(中略)
 私はわかるように書けないのである。わかるように書いたら、その文章は日の目を見ないからだ。これは歯に衣を着せた文章の典型である。」

昭和43(1968)年12月15日 『東京新聞』夕刊コラム『放射線』

注) 一番簡潔にまとめられているので 言論出版妨害事件 日本共産党

 創価学会系の出版物に 曾野綾子氏がたびたび 載せているのは 不可解な感想を持っていた。「曾野綾子ともあろう者が」と。

今回 曾野綾子の本を 数冊読む機会があって、こんな文章を もしも創価系書物で 発表しているのなら 創価盲信信者さんへの 緩和剤の役目を担っているかもと一人 ほくそ笑んでしまった。曾野綾子氏の「ジュゲムジュゲム」は 今も存在しているし、唯一残された ネットというツールで 批判活動をしている私たちも 「ネット規制」「人権擁護法」という形で 口を封じられる危険は 迫っていると感じる。


『自分をまげない 勇気と信念のことば』より

他人の価値観を鵜呑みにして
どうしておもしろい人生を送れるだろう

 人と同じことを言っていて
 どうして尊敬を得ることができるだろう

68.「ほどほどの悪」の自覚がある人が信用できる
 少し悪いことをしたという自覚のある人の方が、自然で、温かくて、人間的にふくよかなような気がする。私は決して悪いことはしません、と宣言できるような厳密な人はおっかなくて、どういう態度で接したらいいのか見当がつかない。

70.正義の名を借りて、私怨を晴らす人々とは
 しかし、正義という名を借りて、どれほどの人が私怨を晴らしているか解らないくらいです。もちろん晴らしていても一向に構わないのですが、 そのことを薄々わかってやっているのでないと、困るのですね。
 むしろほんとうの正義というものは、自分がそのために損をしたり、傷ついたり、ひどい時には命の危険に陥れられることまであるということを納得してすることであって、正義の遂行によって、俗世で得をしたり、名声を得たりすることとは、多くの場合ほとんど一致していません。

76.本当の平和主義者は、闘いに参加する覚悟を持つ
本当に心から日本国土の平和を望むという人は、いざ外敵が入って来たなら、自らも戦い子供も戦いに参加させる覚悟を持つ人だけである。税金さえ払っておけば、自衛隊の人がやってくれるでしょう。自衛隊に入るのは、そういう戦争の好きな人なのだからまかせておけばいいじゃありませんか、と言う婦人に会ったことがあるが、これも女の身勝手をよくあらわした理論なのである。