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骨董と偶像

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ギュスターヴ・モロー「出現」およびサロメ連作

2004-08-24 13:34:22 | 絵画
はじめて目にしたのは、朝日新聞日曜版である。世界名画の旅という連載で、各地の名品とそれにまつわるエピソードや画家の生涯を追いかけるものだ。現在、単行本数冊にまとめられているはずである。

世界中あまねく取り上げて、毎週記事にするのだから、当然ながら取材には複数の記者があたったのだろう。ところが、どういうわけか、血生臭い絵がしばしば出てくる。不思議なもので、そういう絵ほど印象に残っている。ギュスターブ・モローの「出現」もそのひとつだ。

モローはおかしな画家で、その作品はいかにも「途中で制作するのを投げ出してしまった」ようなものが多い。明らかに習作とされるものもあるが、「ユピテルとセメレ」を「晩年最大の完成作」(国立西洋美術館ギュスターブ・モロー展図録)という見方もある。習作とは明らかに異なる。

「出現」に代表されるサロメ連作にも習作が多く遺されており、いったい自分がどれを実見したのかわからなくなることがある。

「出現」は、聖書の中の挿話に材を採った、ヘロデ王の娘サロメの話を描いたものだ。もっとも、聖書にはサロメの名は出てこない。
サロメは七つのベールの踊りを父王に見せるかわりに、褒美として牢に囚われているヨカナーンの首を要求する。その行為はやがてサロメの身にはねかえってくるのだが、この悲劇はオスカー・ワイルド、ビアズリー、リヒャルト・シュトラウス、ケン・ラッセルなどさまざまな分野の芸術家の心をとらえたのだった。

サロメは父王ヘロデに殺される運命にある。モローが描くヘロデは次第に背景に溶け込んでいき、顔ものっぺらぼうのようになる。埴谷雄高は言っている、
「《のっぺらぼう》は、文学的思考法によってのみようやくひそかに暗示し得るところの、一種の暗いヴィジョンにつつまれた何者かなのである。(中略)彼(ドストエフスキイ)は、生涯、神の問題で苦しんだ、と自ら公言するが、彼が苦しんだ最大の理由は、彼のかいま見た神の顔が《のっぺらぼう》であることが彼を納得せしめないことを、彼自身理解しなかったことに由来する」(「存在と非在とのっぺらぼう」)

つまり、のっぺらぼうとは、神になることだ。
サロメは神によって殺されるのである。

ギュスターヴ・モロー(「知の再発見」双書 77)
ジュヌヴィエーヴ・ラカンブル著・南条郁子訳
出版社 創元社
発売日 1998.06
価格  ¥ 1,470(¥ 1,400)
ISBN  4422211374
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2 コメント

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TBさせていただきました。 (lapis)
2005-03-05 01:04:59
framyさん、はじめまして。

私も、最近同じ題材で記事を書いたので、TBさせていただきました。埴谷雄高に関する記述はとても興味深く読ませていただきました。よろしくお願いいたします。
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ご訪問ありがとうございます (かんりにん)
2005-03-05 21:11:18
こちらからもTBさせていただきました。

埴谷雄高の論考との関係は『死霊』で扱われている「のっぺらぼう」について考えていた時に、ちょうどモローにもハマっていた時でした。

もし、ドストエフスキーもモローも埴谷も同じことを考えていたら面白いなと思いました。

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