骨董と偶像

好きなもの&気になるものリスト

受胎告知アラカルト

2007-04-11 00:00:38 | 絵画
レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」がやってきた。まだまだ混んでいそうで、なかなか美術館へ足を運べないが、むかしモナリザが来た頃の熱狂には及ばないだろうなあ。あの時にはあまりの小ささにビックリしたけど。当時の図録がまだ保管してあって、挨拶文は、総理大臣田中角栄。

それはそうと、受胎告知は興味深い主題である。「あんた、孕んだよ」と天使に言われて、ギョッとするマリア。泰然と手をあげて応えるマリア。逃げようとするマリア。戸惑うマリア。いろいろなマリアがいる。
多くの画家が挑んだ「受胎告知」の画像を集めた本がコレ。



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受胎告知

J・W・ウォーターハウスの妖しい世界

2006-12-18 22:14:35 | 絵画
ラファエル前派展やその画集はけっこうあるが、J・W・ウォーターハウスの企画展や画集は少ない。その作品の多くが個人蔵ということも、大がかりな企画展が開催されない理由のひとつであるかもしれない。
そこに登場したのが、この一冊。
英国が優雅に輝いたヴィクトリア時代の最高画家、J・W・ウォーターハウスの絵画的形象についての詳細な解釈と、ユニークで不朽の特質とを結びつける、時宜を得た再評価となる一冊。カラー図版も多数収録。
むかし、トレヴィルから出ていた画集を大切に持っているが、こっちのほうがボリュームがすごい!。
ラファエル前派ファンにおすすめ!

写真は、気が狂ったオフィーリア。

J・W・ウォーターハウス
ピーター・トリッピ〔著〕 / 〔曽根原 美保訳〕
ファイドン (2006.11)
ISBN : 4902593475
価格 : \6,804
通常24時間以内に発送します。


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ユトリロ≒パタリロ

2005-09-25 01:00:24 | 絵画
「美の巨人たち」(モーリス・ユトリロ「ラパン・アジル」)を見たが、正直、ユトリロよりも母ちゃんのほうに興味が行った。ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンって、とんでもねえかあちゃんだなあ。若い頃はきれいで名だたる画家ルノワール、ロートレック、ドガらと交わり、そのモデルになり、画家たちに絵を教わっていつの間にかモデルから画家に転身(画像は18歳の時の自画像)し、その間、別の絵筆のほうも握っていたためシュザンヌに言わせると「誰の作品かわからないわ」というユトリロが誕生することになる。母のシュザンヌは18歳だった。ヴァラドン自身も私生児だったから、誰の子かわからないことぐらい、大したことではなかったのではないか。

ユトリロが17歳でアルコール依存症で入院したということを聞いて、ふと、わが国で未成年がお酒を飲んじゃいけなくなったのはいつか?と気になった。

先日も上戸彩がはたちになって都合よく?誕生日にいろんな酒を飲んで、「少しもかわらなかった」発言をして、ほんとに今まで飲んでなかった?とツッコミいれたくなったのはかんりにんだけではないだろうし、夏には今や女子中学生たちを敵にまわしてしまった菊間アナによる未成年タレント(グループ、名前忘れた。かんりにんにとってはどうでもいいの)に飲酒させた(あるいはそこに同席していた)事件もあった。どうみたって飲んでるでしょ、世のティーンたちは(笑)。

いや、一滴たりとも飲んではいけないよと言うつもりはない。むしろ、はたちになった途端に飲んだら体が吃驚するんじゃないだろうか。どんどん飲めとは言えないが、何事も「慣れ」というか「準備体操」は必要かと思う。いっそ、義務教育が終わったら、父親か母親が正しい酒とはこういうものだ、ぐらいは教えてはどうだろう。

さて、いつから日本では20歳にならないとお酒が飲めなくなったのか、に話を戻す。
該当する法律は「未成年者飲酒禁止法」。その第一条で「満20年ニ至ラサル者ハ酒類ヲ飲用スルコトヲ得ス」と規定されている。第二項で監督者の管理責任を説き(「未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者若ハ親権者ニ代リテ之ヲ監督スル者未成年者ノ飲酒ヲ知リタルトキハ之ヲ制止スヘシ」)、第三項・四項で飲食店等の業者の責任を説く(「営業者ニシテ其ノ業態上酒類ヲ販売又ハ供与スル者ハ満20年ニ至ラサル者ノ飲用ニ供スルコトヲ知リテ酒類ヲ販売又ハ供与スルコトヲ得ス」「営業者ニシテ其ノ業態上酒類ヲ販売又ハ供与スル者ハ満20年ニ至ラザル者ノ飲酒ノ防止ニ資スル為年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置ヲ講ズルモノトス」)。

違反者は罰金50万円以下である。

この「未成年者飲酒禁止法」が施行されたのが大正11年(1922)3月30日。

ユトリロの作品名「ラパン・アジル」とはフランス・パリ、モンマルトルのサン・ヴァンサン通りとソール通りの角にある酒場のこと。
美の巨人たち

絵画史上の美女ベスト10・「美の巨人たち」250回記念

2005-07-02 22:16:04 | 絵画
グイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチ」ブレイクか。1位は真珠の耳飾りの少女でありながら、番組の真の主人公はベアトリーチェだった。よほど放送直後の反響が大きかったのだろう。

1.ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
2.レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」
3.グイド・レーニ「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」
4.ラファエロ「小椅子の聖母」
5.ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
6.アングル「泉」
7.ミレイ「オフィーリア」
8.モネ「日傘をさす女」
9.ラファエロ「ラ・ヴェラータ」
10.ラトゥール「ポンパドゥール夫人」

7位に「オフィーリア」が入ったのも興味深い。ラファエル前派、好きだからね、日本人。

デルヴォー「ジュール・ヴェルヌへのオマージュ」

2005-03-18 19:43:19 | 絵画
所用で行った福島県立図書館の隣の美術館で偶然、ポール・デルヴォー展を開催中だった。
かんりにんにとっては、思いがけない特典だ。
図書館の用事を速攻で済ませ、美術館へ移動。

夜景に白く浮き上がる女性たち。走り去っていく鉄道。コートを着たあやしげな男たち。骨格。
観るたびにこちらの気持ちを落ち着かない気分にさせてくれる画家だ。

大作は「ジュール・ベルヌへのオマージュ」「噂」「魔女たちの夜宴」「フルート奏者」「海辺の夜」「青い長椅子」「見捨てられて」「砂の町」「テラス」「ディオスキュール」など。

その中から1971年の作品「ジュール・ヴェルヌへのオマージュ」をとりあげてみたい。
ジュール・ヴェルヌは言わずと知れたフランスのSF作家。作品はどれも古典となって、あの岩波文庫に入った時にはさすがに驚いた。ヴェルヌにじゃなく、岩波に。

絵のかたわらにデルヴォーのコメントが。
「私は突然、ジュール・ヴェルヌの世界を復活させてみようと思い立った。オットー・リーデンブロックやパルミラン・ロセットや船や蒸気機関車を登場させて。一番主要な人物にスポットライト(両方の意味で)があたるようにした。彼女と赤い帽子がなければ、この作品は成り立たない。右端には学者の姿で自画像を描き入れた」

ジュール・ヴェルヌの諸作品

ヴェルヌはいいなあ。ウェルズよりも好きかもしれない。日本人はひょっとしたらウェルズよりもヴェルヌを好む傾向が強いんじゃないかな。『海底二万哩』はアニメ『不思議の海のナディア』に、『十五少年漂流記』はアニメ『銀河漂流バイファム』として翻案されたし。
うまく言えないけれど、「ウェルズではなくヴェルヌ」って点で、デルヴォーの作品は日本人にも人気があるんじゃなかろうか。

数年前に東京でデルヴォー展やった際にも観にいった。その時の目玉は「クリジス」だったっけ。あと、題名は忘れたけど筒井康隆の長編小説『パプリカ』のタイトル絵に使用された作品もあった気がする。けれどいちばん印象に残ったのは二人の女性(もちろん裸)が抱き合っている「女ともだち」という絵を見た同行者が「どういう友達なんだよ!」と叫んだこと。
地方でもけっこうやってるのな、デルヴォー展。

それにしても、出せばそこそこ売れると思うのに、手頃な画集もあまり見かけないのは残念だ。
図録もいいのだが、「『アッピア街道』がないよ」とか「『月の位相』や『隠棲の館』も入ってればなあ」とか小うるさい注文もカバーできるような決定版の画集をひそかに期待しているのだけれど。

歴史バカを食いものにする商売

2005-01-12 19:55:37 | 絵画
昨年12月28日の主な新聞に、ここに掲げたような写真の陶版を頒布する広告が掲載されているのをみて、たいていの歴史ファンは「ようやるのー」とか「なんてあこぎな」とかいろいろな感慨をもたれたことであろう。
主要五大紙に大きく掲載し、価格も10万円を超えている。宣伝文句も衝撃の文字が躍る。

素人だって好きな道を何年も続けていれば、いろいろな情報に接し、そのうちに情報の選り分けがきちんとできるように洗練されていくもので、ほとんどの健全なる歴史ファンにとっては、この写真が、広告が主張する坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎、高杉晋作ら幕末維新期の超有名スターたちの集合写真ではないことは自明のことなのである。(本当はフルベッキとその弟子たち)
ジャロものだよ、これは(笑)。

この写真もいろいろなバージョンがあって、ご丁寧にひとりひとり矢印でコイツは誰々と書き込みがなされているものもある。古写真であれば史料的価値はそれなりにあるから、フルベッキとかその周辺とか、あるいは写真史そのものの研究上、所持することは一向に構わんのだが、それは正しくその史料性を理解した場合の話。竜馬や晋作が写っていると思って所有するのは、失笑を買うのを通り越して、「罪」でさえあると思う。

でも、買っちゃう人とか、いるんだろうねえ。どんな人が購入するのか想像してみよう。

【ケース1】
高額な価格設定からして、高齢の方だろう。
自称「歴史通」だが、そっち方面のキャリアは大河ドラマと司馬・童門らの小説、およびP○Pの歴史雑誌などから仕入れたものがほとんど。他人の批判は一切聞かず、大河ドラマの内容が原作となった小説と違っていると文句を言いたがるが、本人は歴史を解釈しているつもり。
そして、自宅には、陶版をディスプレイするのに手頃な和風の小部屋がちょうどあいている。
こんなところか。

今からでも遅くはない。返却しなさい。そのお金は災害募金に回したほうがいい。

【ケース2】
ハコモノ整えたけど、陳列品がなくて困っている地方の資料館。そりゃ、哀しすぎるよ。
いや、シャレだと割り切っているのならばいいけど。

グイド・レーニ「ベアトリーチェ・チェンチ」

2004-12-19 00:01:47 | 絵画
この哀しげな少女の肖像画も、忌まわしいエピソードつき。澁澤龍彦の河出文庫版の著作で知った。
日本で言えば、戦国時代末期。1577年、ローマの名家チェンチ家に生まれた少女、ベアトリーチェ。長じてその美貌が残忍好色な父の目にとまることになる。それまでサディスティックな振る舞いにとどまっていたものが、とうとう性欲の捌け口にされたのだ。
ベアトリーチェは耐え切れずに、ついに父親殺しに踏み切る。家長殺害は重罪だった。ベアトリーチェはついに断頭台の露と消える。その領地を狙うバチカンの企図によって、チェンチ家は全員処刑された。

今回の「美の巨人たち」では、レーニの構図がフェルメールの「真珠の首飾りの少女」にそっくりであることが指摘される。成立はレーニ作品のほうが早い。何せ、レーニは牢獄のベアトリーチェに面会してこの絵を描いたとされているのだから。同時代のポートレートだからこそ、この絵には価値があるのだ。画家の想像の産物であれば、ベアトリーチェ・チェンチを描いた他の絵画と同列と見なされていたことだろう。

フェルメールはイタリアのチェンチ家の悲劇や、レーニの作品を見たのかもしれない。

でも、美術学校が元チェンチ家の所有地だったからといって、ベアトリーチェの幽霊話ってほんとにあるの?
これって、イタリア版「学校の怪談」?

1987年には、時代や舞台を置き換え、ジュリー・デルピー主演で映画化(『パッション・ベアトリス』)。


古賀春江「海」

2004-12-05 11:55:53 | 絵画
美術品の取り上げ方や劇中劇(?)が面白くて、「美の巨人たち」はときどき見るが、今回は古賀春江の「海」だと知って、さっそく新聞テレビ覧に赤丸をつけた。

古賀春江は名前が女っぽいが、男性である。
「海」は昭和4年の作品。
空にはカモメと飛行船、そしてドイツの飛行船ツェッペリン号。海中の潜水艦、手を挙げる水着を着た謎の外国人美女。そして、水平線に浮かぶ帆船(映画『太陽がいっぱい』を思い出した)。
いわく、日本初のシュール・レアリズム。

モンタージュということは何かで読んだ記憶があるが、番組では絵のパーツのそれぞれの出所を明らかにする。水着の西洋美人はカード数枚がセットになった「原色写真新刊西洋美人スタイル第九集」(ワァオ♪)から採られた。
ちなみにこいつを古書店で探したら、売ってた!絵葉書8枚入り、一万五千円(爆)
第9集かどうかはしらんけど。

今回のキーワードはブルドッグか。

CMもスポンサーはエプソンだけなので、落ち着いて見られるし、同社のCMも番組に合わせたようにビジュアルに凝ったりしているのでうるさくない。少し前のプリンタのCM(軒先で男女が相合傘になったり、諍いしている男女が口づけのシーンに変わったり)はよかった。

18日放送予定の「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」も楽しみだ。

タマラんぞ、レンピッカ(2)

2004-11-06 00:41:40 | 絵画
広島の企画展で、いちばんエロいと思った一枚。
タイトルは「病みあがり」(笑)。ちっともそれらしくない!病は病でも恋の病だったり?

やつれた女性の場合、スッと長い髪が一条、顔にかかっているようなイメージにドキドキすることはあるだろう。ここで、ふと思い出したのが高橋葉介が朝日新聞に掲載したイラスト「闘病文学青年」。これは男(お決まりのこけた頬に、前髪パラリ)がベッドの上でむずかしい顔をして本(純文学の本か雑誌だろう、当然)を読んでいるのだが、目をひくのは向こう側に立つ看護婦。心なしか顔を赤らめながら(彼にホの字?)手に持っているのは尿瓶(笑)。
たぶん、この尿瓶を手にした看護婦が描かれていなかったら、記憶にすら残らなかっただろう。
それにしても、よく載せたな、朝日新聞が。


タマラの絵に戻ろう。

「スッピンは見せられない」と言う女性は多いかもしれないが、病みあがりの時はたいていスッピン。でも、通常の時にくらべてやっぱり「艶」を感じちゃうことってあるのだろうか。
病みあがりの女性にムラムラくることはない・・・・・・と思うのだが、この肩から落ちた(わざとはずしたのか)ストラップに手をかけようとしている、その奥で乳首が露出してしまっている。

これから注射うたれるのかなあ。肌さらしていいのかよ、と思いつつ、こんなふうに迎えてくれたら、毎日見舞いに行っちゃうよ、と旅先で思った一枚。

あ、「闘病文学青年」もみたい。いつ頃だったっけか。時期が判れば、図書館の縮刷版で探せるのだが。