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知識の取得におけるもう一つの側面

2021-05-27 06:28:21 | 日記
御霊によって知識を求める
マティアス・ヘルド長老
七十人
わたしたちは,論理的な解釈だけでなく,御霊の静かな細い声を通して真実を識別できるようにならなければなりません。
愛する兄弟姉妹の皆さん,「研究によって,また信仰によって学問を求め〔る〕」ようにと主は繰り返し告げておられます。わたしたちは論理的考察のみならず,聖霊の導きと霊感により光と理解を受けることができます。

この知識の源を,わたしは常に得てきたわけではありません。

愛する妻のアイリーンとわたしが教会に入ったのは,31年前,新婚だったときのことです。二人ともコロンビアで育ちましたが,結婚して数か月後,わたしの仕事のためにドイツに移り住みました。わたしたちはとても若く,大きな希望と期待を抱いていました。興奮に満ちた幸せな時期でした。



わたしが仕事に集中する一方で,アイリーンは,いつ,どのようにかは分からないものの,わたしたちのもとに天から何らかのメッセージが届くと感じていました。そこで,その特別なメッセージを常に待ち望みながら,百科事典,掃除機,料理本,台所用品などの,ありとあらゆる訪問販売員を家に迎え入れるようになりました。


ある晩,妻はわたしに,黒っぽいスーツを着た二人の青年が玄関をノックしたこと,二人を迎え入れるべきだと,とても明瞭ではっきりとした印象を受けたことを話してくれました。彼らは,神について話したいが,わたしも家にいるときにまた戻って来たいと言ったそうです。これが待ち設けていたメッセージなのでしょうか。

宣教師による訪問が始まり,彼らの導きの下,わたしたちは聖文を読み,イエス・キリストがわたしたちの救い主,贖い主としてきわめて重要な御方であられることを理解するようになりました。わたしたちはすぐに,小さな赤ん坊のときにバプテスマを受けていたことを残念に思いました。その聖約は知らずに交わしたものでした。それでも,再びバプテスマを受けることは,この新たに出会った教会の会員になることも意味するので,まずこの教会について,理解する必要がありました。

しかしモルモン書,ジョセフ・スミス,救いの計画について宣教師の言っていることが実際にすべて真実かどうか,どのようにして分かるのでしょうか。わたしたちは主の言葉から,「その実によって彼らを見分け〔られ〕る」ことを理解していました。そこで,とても体系的な方法で教会について調べ始め,非常に論理的な目でその実を探し始めました。何が見えたか御紹介しましょう。
ただ苦しみや不幸だけでなく,喜びを感じるためにこの世にいることを理解している,友好的で幸せそうな人たちやすばらしい家族。
有給の聖職者がおらず,会員自身が割り当てや責任を引き受けている教会。
イエス・キリストと家族をすべての事柄の中心とし,会員たちは月に1度断食して貧しい人や助けの必要な人を助けるために献金し,健康的な習慣が勧められ,有害な物質を避けるように教えている教会。
さらに,個人の成長,教育,勤勉と自立が強調されているところにも,好感を持てた。
優れた人道支援プログラムについても知れた。
すばらしい音楽と深遠で霊的な原則が分かち合われる総大会に感動した。
このすべてを見て,教会に非難すべき点は見つかりませんでした。それどころか,見たことはどれも,とても気に入りました。それでも,先にすべてのことを知っておきたかったので,依然としてバプテスマを受ける決意はできませんでした。

しかし躊躇している間でさえ,主は忍耐強くわたしたちを備え,論理的な思考を通してだけではなく,特にわたしたちの心に語りかける,御霊のとても静かな細い声を通して,真理を見極めることを学ぶべきであると気づけるように助けてくださっていました。

その声と,感覚を経験したのは,福音を学び始めて10か月がたったある晩,モーサヤ書第18章を読んだときのことでした。「あなたがたは……互いに重荷を負い合うことを望み,……慰めの要る者を慰めることを望み,……あなたがたが心からこれを望んでいるのであれば,……主の御名によってバプテスマを受けるのに何の差し支えがあろうか。

モルモン書のこの聖句がわたしたちの心と霊に入り込んできて,その瞬間,バプテスマを受けない理由は何もないと感じ,知ることができました。この聖句で述べられている望みは自分たちの心の望みでもあり,これらの事柄こそほんとうに重要であると悟ったのです。それは,すべてを理解することよりも大切でした。わたしたちはもう十分に知っていたからです。わたしたちは,愛にあふれた天の御父の導きの御手に絶えず頼ってきましたし,御父がこれからも導いてくださるという確信がありました。

そういうわけで,その日,わたしたちはバプテスマを受ける日を計画し,程なくして,ついにバプテスマを受けたのです。



その経験から,わたしたちは何を学んだのでしょうか。

第1に,愛にあふれた天の御父を完全に信頼することができることを学びました。御父はわたしたちがどのような人物になれるか御存じであり,そうなれるよう常に助けようとしてくださっています。わたしたちは,主が語られた次の言葉が深遠な真理であることを確認しました。「わたしはここにも少し,そこにも少しと,教えに教え,訓戒に訓戒を加えて,それを人の子らに与えよう。わたしの訓戒を聴〔く〕……者は,知恵を得るので幸いである。わたしは受け入れる者にさらに多く与え〔る〕。

そして第2に,わたしたちの論理的な思考に加えて,知識の取得におけるもう一つの側面を通して導きや理解が与えられることを学びました。わたしたちの心と,またわたしたちの思いに語りかける主の聖なる御霊の静かで柔らかな声です。

この原則を,わたしたちの物を見る能力にたとえようと思います。天の御父は,わたしたちに肉体の目を一つだけではなく,二つ与えてくださっています。一つの目だけでも十分に見えますが,もう一つの目が別の視点を与えてくれます。両方の視点が脳内で一つに合わさると,周囲のものが立体的に見えます。

同じように,わたしたちには二つの情報源が与えられていて,肉体的な能力と霊的な能力を通して知識を得ることができます。肉体の感覚を通して,また論理的な思考を通して,わたしたちの思いは一つの物の視点を作り出します。しかし聖霊の賜物を通して,御父はわたしたちにもう一つの視点を与えてくださっています。それは御父から直接もたらされるものなので,実に最も大切で偽りのない視点です。ただし,御霊のささやきは,たいていとてもかすかであるため,多くの人は,このもう一つの源に気づいていません。

この二つの視点がわたしたちの中で組み合わさるとき,一つの全体像が真実をありのままに示してくれます。実際,人が頭の中で思い描いた「真実」が聖霊から得る別の視点を通して,欺きや明らかな誤りであると露呈されることがあります。次のモロナイの言葉を覚えていてください。「聖霊の力によって,あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。

教会員として31年過ごしてきた中で,わたしが何度も経験によって学んできたのは,もし自分の論理的な思考だけに頼り,聖霊のささやきや印象を通して得られる霊的な理解を否定したりないがしろにしたりするなら,それはあたかも,一つの目だけで人生を歩んでいるようなものであるということです。比喩的に言えば,わたしたちは「二つの目」が与えられています。両方の見方を組み合わせて初めて,すべての真理と,わたしたちが人生で経験するすべてのことについて真の全体像が見え,生ける天の御父の子供としてのわたしたちの存在や目的について,深く完全に理解することができるのです。

1年前にネルソン大管長が教えてくれたことを思い出します。大管長は次のように言いました。「導き,指示し,慰める,変わることのない聖霊の影響力がなければ,これから先,霊的に生き残ることはできなくなるでしょう。

わたしは次のことを確かに知るようになりました。
わたしたちには愛にあふれた天の御父がおられて,わたしたちは皆,神の計画の一部としてこの地上に来ることに同意しました。
イエスはキリストであり,生きておられ,わたしの救い主,贖い主であられます。
わたしは貧しい農家の少年であったジョセフが召され,偉大な預言者となって,神の聖なる神権のすべての鍵と力と権能をもって,この時満ちる神権時代が始まったことを知っています。
モルモン書がイエス・キリストについての第二の証であり,家族が永遠にともにいるように意図されていることを知っています。
そしてわたしたちの主イエス・キリストがこの回復された主の教会を,今日,生ける預言者ラッセル・M・ネルソン大管長を通して導いておられることを知っています。
これらの真理やそのほかの多くの貴い真理は,神の助けを通してわたし自らを形成する霊的な要素となってきました。わたしは,主がわたしたちに,このすばらしい人生を歩む中で「研究によって,また信仰によって」得るよう望んでおられるさらなる新しい教えを心待ちにしています。

わたしはこれらのことが真実であると知っており,イエス・キリストの御名により証します,アーメン。

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※このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2019年4月の総大会での説教のひとつです。

※赤字、青字、下線は追加しています。

※①論理的な思考と理解力の視点と、更に②祈ることで得る霊的視点が、脳内で立体的に組合わさり、真理が明らかになる。

うまく真理を表している表現です。

※今日も、お読みいただいてありがとうざいます。神さまは、みんなを愛しておられます。神さまの愛を感じる1日でありますように。

2021年5月27日

「敵を征服して,物や富を積み上げても, 何の益があるのだろうか。 自己に打ち勝つまでは, ]

2021-05-26 05:25:30 | 日記
福音に従い,自分を制するときに,わたしたちは喜びと平安を受ける

真理の敵がこの世で自由に支配力を行使するかぎり,わたしたちは攻撃を受けます。それらの攻撃に対抗する唯一の方法は,福音に従って生活することです。

この福音は,この世界にあってその誘惑を克服して生活する機会 と,自制と克己を通して霊において生きる機会を与えてくれます。

それがこの世においても次の世においてもあるべきまことの生き方なのです。

個人の欲求を制御することこそ,キリスト教とすべての宗教の真髄であることをわたしたちがかつてないほどよく認識できるように願っています。


人は生来利己的で,そのときの衝動に従う傾向があります。生まれながらの人が持つ利己的な欲求を克服するには,宗教あるいは,個人や個人の集まりである社会よりも高度なものが必要となります。……自制心は,さほど重要でないものについて無欲になることから生まれます。このことをキリストは次のようなひときわ優れた言葉でおっしゃいました。

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失うは,それを見いだすであろう。」(マタイ16:25)


自分を忘れて,他人のために,自分より高く優れたもののために努力するとき,あなたは霊の高みへ上るのです。口論しているとき,他人のあら探しをする誘惑に駆られているとき,自分が属している
教会のため,社会のため,特にイエス・キリストの福音の発展のために自己中心的な自我を捨てるならば,わたしたちは霊的な祝福を受け,幸福を報いとして受けることでしょう。


「敵を征服して,物や富を積み上げても,
何の益があるのだろうか。
自己に打ち勝つまでは,
まことに貧しい征服者にすぎない。J
〔作者不詳]

人前であろうとなかろうと思うままに自分の欲求を満たそうとする人は,激情に駆られそうになったときに助けとなる人格を備えてはいません。

機会が訪れたり,圧力を受けたりすると,人は普段考えているように行動するものです。欲望や衝動がわいてくるときにどのような対応をするかによって,その人の人格が分かります。その人に自己
を治める力があるか,あるいは屈して束縛されるかがこうした反応に反映されます。

神の律法や自然の法則と調和した行動は幸福をもたらし,神聖な真理に反する行動は不幸をもたらします。人はすべての行いだけでなく,愚かな言葉や思いに対しても責任を問われるのです。

救い主はこう言われました。
「審判の日には,人はその語る無益な言葉に対して,言い開きをしなければならないであろう。」(マタイ12:36)


善いことをするには必ず努力を必要とします。価値のあるものを手に入れるには体力,知力,霊の力が要求されます。

「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであ
ろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう。」(マタイ7:7)


けれどもあなたが求め,あなたがたたかなければならないのです。


これに対して罪は罪そのものを無理やりに押しつけてきます。罪はあなたに付きまとい,誘惑し,そそのかし,引きつけます。


あなたは何も努力をする必要がありません。・・・…それは酒を飲み,たばこを吸うようそそのかす広告板のようなものです。それはテレビやラジオを通じてあらゆる家庭に入り込んでくるコマーシャルのようなものです。……悪魔はあなたを求めています。それに対抗するには努力と不屈の精神力が必要です。しかし,真理と知恵を得るには,求め,祈り,努力しなければなりません。


人生はおおむね,わたしたちが作るものであり,人類の救い主は 喜びと平和を得る方法を簡潔明瞭に示しておられることを忘れてはなりません。それはイエス・キリストの福音であって,それに従う
ことです。


わたしたちが神の王国をさらに確立することを求めるときに,若人とあらゆる地に住む教会員に対して,体を弱め,霊を滅ぼす誘惑を退けるように教えることができますように。また,バプテスマの
水に入ったときのように心から悔い改めて,言葉どおりの意味で更新され,新しく生まれるように,わたしたちの心が聖なる御霊の光に浴し,地上における使命を果たすまでイエス・キリストの教会の
真の会員として前進できますように,神の祝福を願っています。

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※このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会 歴代大管長の教え デビッド・O・マッケイ P.86~88から、引用しています。

※今日も、お読みいただいてありがとうざいます。

自分の人格を、少しでも向上できるように、優しい言葉と愛ある行いができますように。

2021年5月26日


自然界の目覚めと復活

2021-05-25 05:21:06 | 日記

キリストの復活は神の全能と人の不死不滅を確認する

4,000年以上にわたって人は墓をのぞき込む度に,命の終わりしか見ることができませんでした。墓に入った大勢の人々の中でだれ一人として,復活した不死不滅の存在として戻って来た人はいませんでした。

「全地のどこにも,なきがらのない墓はなかった。そのような墓があると信じた人はおらず,宣言した人はいなかった。人の大いなる敵である死よりも強い力を持つ勝利者が略奪した墓はなかった。」

したがって,イエスの葬られていた墓に,イエスを慕って恐る恐る近づいた女たちに天使が告げたのは,新しくまた輝かしいメッセージでした。

「あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが,イエスはよみがえって,ここにはおられない。ごらんなさい,ここがお納めした場所である。」(マルコ16:6)


もし奇跡が人の限りある知恵を超えた力によって引き起こされる超自然的な出来事だとすれば,イエス・キリストの復活は,いまだかつて例のないほど偉大な奇跡です。この出来事は神が全能であら
れ,人が不死不滅であることを明らかにしています。

しかしながら,復活は人の知識と理解を超えているという意味において奇跡であるにすぎません。それを事実として受け入れる人にとっては,生命の不変の律法を明示するものにすぎません。人は律法を理解していないために,それを奇跡と呼ぶのです。


復活というと春を連想し、明るい気持ちになります。自然界には復活とまったく同じものはありませんが,「目覚め」を思わせるようなものはたくさんあります。

死の静けさのように長い冬はすべての植物の命をしっかりと捕らえて放しません。けれども,春が近づくと.優しい命を与える熱と光の力が,捕らえていた冬の力を弱めます・そして,死んでいたように思われるものが新しい命を得て,生気と活気を取り戻し,安らかな眠りから目覚めて力を得るのです。


人もこれと同じです。わたしたちが死と呼んでいるものをイエスは眠りと呼ばれました。主は弟子たちに「ラザロが眠っている」と言われました〔ヨハネll:ll参照〕。

幼い娘を亡くして,悲しみに暮れる親に言われた「子供は・・・眠っているだけである」という言葉は慰めを与えるものでした〔マルコ5:39参照〕。

実に,世の救い主にとって死などというものは存在しません。あるのは命,永遠の命だけです。そのため主はこのように言われたのです。「わたしはよみがえりであり,命である。わたしを信じる者は,たとい死んでも生きる。」〔ヨハネ11:25]


この確信を持っているならば,永遠の律法に従うことは重荷ではなく,喜びとなります。なぜなら命は喜びであり,命は愛だからです。……キリストとキリストの律法に従うことは命をもたらします。


毎年復活祭を迎える度にこの真理を強調し,キリストはまことによみがえられ,キリストを通して人の不死不滅が確かなものとされたという聖なる確信で心が満たされるよう願っています。

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※このお話しは、歴代大管長の教え デビッド・O・マッケイ P.66~67から、引用しました。

※命は喜びであり、命は愛です。今日も、愛ある行いができますように。

2021年5月25日


希望と励ましと豊かな生活への道

2021-05-24 04:40:56 | 日記

パスウェイコネクト






「パスウェイコネクトプログラムは学生たちを勇気づけ,信仰をもって前進し,職業的・学問的に関わらず人生の目標を達成する助けとなります。」(ラッセル・M・ネルソン大管長)

パスウェイコネクトとは,BYUパスウェイワールドワイド(BYU-PW)が提供する一年間のオンライン教育プログラムです。
学生はイエス・キリストの福音の枠組みの中でより良い教育を受け,ライフスキルや英語の能力を向上させることができます。

パスウェイコネクトは,インターネットを使ってオンラインで学びながら毎週木曜日の夜に行われるギャザリングへ参加し,インスティテュートを履修します。一年間を通して7単位のコース(ライフスキル・プロフェショナルスキル・ユニヴァーシティースキル)を修得します。これは1人で行うのではなく,パスウェイコネクト教会奉仕宣教師たちから励ましを受けたり,他の学生とともに話し合いと活動を行います。

修了後,条件を満たせばBYUアイダホ校が提供するオンラインプログラムを通して学士を修得することも可能です。

学生は低価格な授業料でありながら,しっかりとしたサポートを地元で受けることができます。
また,指導者になるための備えとして受講し,予算管理や,問題解決について学ぶこともできます。

お申し込み概要

パスウェイコネクトは下記の地区にて開催されます。
12名以上の生徒が集まることにより開催可能になります。
入学条件や学費など詳しくはPDFをご参照ください。

BYUーパスウェイ・ワールドワイドに関する最新のプレゼンテーション

開催地区

  • 関東地区:浦和ワード,渋谷ワード,(松戸ワード,横浜ステーク内,町田ステーク内が準備中)

  • 名古屋地区:名古屋インスティチュートハウス

  • 大阪・神戸地区:神戸ワード,(阿倍野ワードが準備中)

  • 沖縄地区:沖縄ワード

お申し込み期間

2020年 冬季学期 締切日:2019年12月17日(木)

2020年冬季学期のために申し込めるのは,浦和,横浜です。

お申し込み(英語)
byupathway.lds.org
(APPLYまたはAdmissionsをクリックして,PathwayConnectを選んでください)

お問い合わせ
E-mail kenji.sugahara@churchofjesuschrist.org

パスウェイコネクトについての紹介ビデオ

(字数が、オーバーするため、ビデオ貼り付けできませんでした。
こちらから、ご覧下さい。


紹介ビデオは、一番下にあります。

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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。

若い人々に、低廉な費用で、アメリカの大学でオンラインで、学ぶことのできるプログラムをご紹介しました。

英語は、難しいですが、教会では、平易な英語で、深い内容が話されます。こんな印象をいつも持っています。

また、教会の人々は、優しいです。
優しい多くの人々に出会うことができます。

勇気を持ってチャレンジしてください。

今日も、良い1日となりますように。

2021年5月24日




神は、求める人々に御自身を現してくださいます

2021-05-23 07:04:05 | 日記
キリストは隣人の中にあって理想的な生活を送る方法を教え,その模範を示してくださった

あの忘れられない裏切りの夜の晩餐の後で,主と,ほかの使徒たちとともに卓に着いていたトマスがこう尋ねました。

「どうしてその道がわかるでしょう。」

キリストの聖なる答えはこうでした。「わたしは道であり,真理であり,命である。……」(ヨハネ14:5-6)

確かにそうです。主はわたしたちの慰めの源,生命の息吹,そして救い主であられます。神との関係を知りたいと願う人は,イエス・キリストのもとに行きます。人の霊と体の不滅について知りたいと望む人は,救い主の復活によってそれがどのようなものであるか知ることができます。

隣人の中にあって,送るべき理想的な人生とは何かを学びたいと願う人は,イエスの生涯にその完全な模範を見いだすことができます。わたしたちの希望がいかに高尚なものであれ,望みがいかに気
高いものであれ,理想がどのようなものであるにせよ,わたしたちはキリストに完全さを見いだすことができます。ですから,道義をわきまえた人間にとっての規範を探し求めるとき,わたしたちは,
かのナザレ人のもとに行くだけでよいのです。その御方は人を完全な者とするすべての徳を備えておられるからです。

真理,正義,知恵,博愛,自制という徳が一体となって,このような完全な人格が作り上げられました。救い主のあらゆる思い,言葉,行いは神の律法と一致していたため,うそ偽りのないものでした。救い主と御父の間で意思を通わせる道は常に開かれていました。したがっ
て啓示によって下される真理は,常に救い主に知らされていました。

末日聖徒イエス・キリスト教会は「わたしがきたのは,羊に命を得させ,豊かに得させるためである」と語られたイエスの言葉が文字どおり真実であると考えています(ヨハネ10:10)。しかし,この豊かな命は,霊的に高められることによってだけでなく,イエスが教えられた原則を日々の生活の中で応用することによって得られると,わたしたちは信じています。


これらの原則は数少なく,単純なもので,望めばだれでも実践することができます。この中で第1の原則であり,真のキリスト教社会が築かれる基礎となるのは,「心をつくし,精神をつくし,思い
をつくし,力をつくして,主なるあなたの神を愛」することです(マルコ12:30)。

これは,生きておられ,子供たちを愛しておられる至高者を信じる信仰であり,人に力と活力を与えてくれる信仰です。

神はわたしたちが導きを求めて御前に行くことのできる御方であって,求める人々に御自身を現してくださるという確信です。

第2の原則は,命は神の賜物であり,それゆえ神聖なものであるという真理を受け入れることです。この賜物を正しく使うことによって,人は自然の奴隷ではなく,主人になることができます。肉体
的・精神的な欲求は,よくコントロールして,健康と長生きという恵みを受けるために利用すべきものです。また,熱情はほかの人々の幸福と祝福のために,人類を永続させるために従わせ,抑制する
必要があります。


第3の原則は個人の誠実さです。その意味は明白です。仲間からの信頼を得るほどに,日々正直にまじめに生活し,ほかの人の権利を尊重することです。この認識は個人と同様,国家にも当てはまります。個人が隣人から盗み,隣人を殺すのが間違っているのと同様,強大だからといって,国家が他国から盗み,抑圧することは間違っているのです


第4の原則は社会に対する意識です。個人は世界の一員であるため,より良い世界を築くのは個人の義務であることに目覚める必要があります。

救い主の生涯は,・・・・個人の清さと奉仕という原則に導かれていました。救い主御自身は世の汚れにまったく染まらずに,人々への思いやりと人類の救いのために生涯をささげられました。救い主は虐げられている者を世話し,病人を慰め、障害を持つ人を癒し,世のために御自分の命を与えられました。

人への接し方を大きく変える必要があります。世界の歴史を通じて,改善の必要性がこれほど強く求められた時代はありませんでした。キリストの教えを拒んだために,繰り返し災いを招き,休息と
平和と進歩の時期はいっときしか続きません。

物事の道理から考えれば明白であるのに,人々はなぜ尊大な利己心をキリストの説かれた原則に,すなわち,兄弟愛,公平,人の命の価値と尊厳,赦しの 美徳,偽善と貪欲の罪に対する非難,愛の持つ救いの力に,置き換えようとしないのでしょうか。

キリストの教会の会員は,かつてこの地上を歩まれた唯一完全な御方,罪のない人の子イエスを理想とする義務があります。イエス・キリストは,気高さの最高の模範,神のような属性,完全な愛,
贖い主,救い主,永遠の御父の汚れなき御子,光であり,命であり,道である御方です。

イエス・キリストは人が達すべき完全さを体現された御方であると,わたしは信じています。

「 歴代大管長の教え デビッド・O・マッケイ p.3~5 」

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※復活後の状態について

アルマはまた、復活について「すべてのものが本来の完全な造りに回復される」と教えています(アルマ40:23)。
多くの生きた証人が、聖文中の復活の記述が文字どおり成就したことを証あかししています。わたしの親族を含む多くの人々が亡くなった家族を示現または直接の現れによって見て、彼らが「本来の完全な造り」で最も充実した時期の姿だったのを目撃しています。これがすでに復活した人の現れか、約束された復活を待つ義人の霊かを問わず、死人の復活の真実性と特徴は明らかです。生まれつきの障害を持った人や、生まれてからのけが、病気、加齢により困難を強いられている人が「本来の完全な造り」に復活できるとは、何という慰めでしょうか

(2000年4月末日聖徒イエス・キリスト教会総大会 ダリン・H・オークス

十二使徒定員会 「 復活」の説教から抜粋)

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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。

復活後の状態について、ご存じない方のために、ご紹介追加しました。

赤字は追加しています。

本日は、安息日です。神さまの栄光のために、力を尽くせますように。

神さまの栄光のために、働く人々に祝福がありますように。