ネットに解はあるのだろうか。その前に相手は実際に存在しているのだろうか。女性だけど男性になりすましていたり、大人なのに高校生のふりをしていないだろうか。目の前にいる相手にも油断しないようにしているのに、ましてや見えない相手に心を許すなんてできるわけがない。だから私は慎重にあれこれ想定しつつネットを眺めるようにしている。
もちろんその便利さは捨てがたい。最近だとロープワークや英語の発音、長距離の走り方も検索した。今まで使えていたのに急に接続できなくなったコピー機とパソコンの再設定も調べたし、昼ごはんをどこで食べるか、近場の公園で懸垂ができるところを探しもした。
そんなこんなで大変お世話になっているネットだが、健康情報に育児に子育て、出産についてもそう、経験や印象が先んじてしまいがちな話は参考程度に留めている。最近だと麻酔を使う出産を選ぶか使わない出産を選ぶかが思い浮かぶ。このような選択を余儀なくされるようなものをネットで調べるのなら、双方の意見をしっかり読んだ方がいい。東京だと最近は無痛分娩一択みたいなところがある。ラジオの相談番組でさえもそれを推奨しているかの話に終始していたので、そちらへの誘われるのは仕方のないとは思う。そしてそれに異を唱えようものなら、四面楚歌に集中攻撃、麻酔を使わない出産は旧態依然の野蛮なもの、とまでは言わないまでも「抜歯するときに麻酔を絶対にかけるでしょ」といった話を織り込みつつ、無痛分娩こそが正解だと認識させたがる輩が多数出現する。もちろん無痛分娩を毛嫌いするわけではなく、逆に「無痛分娩だなんてもってのほか、普通に産んでこそ赤ちゃんへの愛情がわくものよ」と言った話がネット上で隆盛すれば、それに異を唱えていたかと思う。とにかく病院の得意不得意もあるのでそちらにお任せでいいのではないかと思うのだが、ネットの意見にそそのかされて、無痛分娩にすべく出産予定病院を週数高くして変更をした方がおられたので、改めてネットの力を思い出した次第だ。
相談なんて、あなたを知っている人に聞くべきなのだが、なぜだかこそこそと見ず知らずの人に意見を求め、承認欲求を満たす行動に出る。奇抜な意見でも賛同する人が数人でもいれば正しいと思い始める。「骨盤がゆがんでいる」とかもそう、人の骨や構造なんて人それぞれで、それに加えてその仕事に特化した姿勢になっているわけだ、歪んで見えるのは当然だ。それでも骨盤のゆがみをネット上で幾度となく見るにつけ、まことしやかに信じてしまう。そんな人からのセカンドオピニオン的相談に「そうですね」と聞き流す自分もどうかと思う思うのだが、それはともかく、そうやって来院回数を増やす治療院もあるから、とりあえずは疑問を持ちつつネットサーフィンをしてもらったらいいかな、と思っている。
嘘かまことか分からないだけでなく、ネガティブな感情がうずまくネット社会、そこに集まる人の攻撃性、私は恐怖しか感じない。会社にあんなことをされた、公園に苦情が出て閉鎖された、保育園の先生が子どもを怒った、会社が悪い、社会が悪い、教育が悪い、その呟きにそうだそうだとけしかける輩。仕事場での不満を呟けば、同意する人の言葉に安心する。
まぁ、不平不満たらたらの人の周りにはそういう人が集まっている。ネットを見たら明らかだと思う。子育てを楽しむ人の周りにはそういう人が集まるし、にこにこしている人の周りにはそういう人が集まる。まぁそういうものだ、誰を選択するかはすなわち誰かに選択されることだから、選択する相手を間違わないように気をつけなければいけないと思った先ほどだった。
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