50歳を過ぎて、生きることだけでなく死ぬことも考えるようになりました。少し早いと言われますが、祖父と父が53歳で亡くなっているのもあるのでしょうか、特に気落ちした時にそのような事を考えてしまうようです。
死は目を背けたくなる事ではありますので、自ずと考えないようにしているみたいです。だからこそと言いますか、たまにこのことについて考えている自分がいます。
では自分が死ぬとして何か行動を起こしているのかと言われれば、ただ心配をしているだけ、全く何もしていません。本当は「老い」に向けて生活を縮小するとか、やり残したことに挑戦しなくてはいけないところですが、そういうことからは目をそらしています。
老いると必要なものは少なくなるはずですし、知恵もつくから身軽にすることはできるはずです。必要以上に使えば他の生き物の生命を奪うことにも繋がるわけですし、そういう観点からも身の回りの縮小はやっていきたいところなのですが、捨てようとしても捨てられない自分がいます。
まだまだ色々と諦めきれない自分がいるみたいです。断捨離もはかどりませんし、ふと気づくと前よりも溜め込んでいたりします。
諦める手放すはまだまだ課題、思うように生きるのはなかなか難しいですね。
本当は捨てて困るものってそうそうないんだろうけど、なんなんでしょうか、この執着心は。
これからの課題まだまだいっぱいありますが、それも自分、ジタバタかっこ悪く生きる自分、そういうのもなかなかいい!と思いたい自分がいます。
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