先日、仕事で柏崎に行った。
当地で今何が有名かと言えば、東京電力による刈羽原発における再三にわたっての安全データ改竄だろうが、そうしたこととはまったく関係ない話。
世界史上最大の作戦、トロイの木馬が柏崎にあったという話。
これは何も知らずに見つけると、びっくりする存在である。
海辺の国道8号線沿いに不意に出てくるのだ。10メートルを超える高さのこの木馬がである。
実はこの奥手には、ノアの箱舟まである。
神話の世界が柏崎に実在しているのだ。
ここまででピンと来た人は、かなりのトルコ通、柏崎政策通だろう。
ちょっと以下の文章を読まれよ。
□■
――人間らしさを取り戻す。心からの感動を味わう。
本物の休日は、本物のトルコとの出会いから。
柏崎トルコ文化村。
世界初のトルコ文化のテーマパーク。人間らしさと異文化の出会いの中に、ほん とうのやすらぎが生まれます 。
金角湾をはさみ、ボスポラス海峡に面して市街が発展するイスタンブールは、日 本海、佐渡ガ島を眺む柏崎の風景と共通するものがあります。
ここ柏崎トルコ文化村は、トルコと日本の心からの交流と、心と身体に根ざした 楽しさと喜びがあるヒューマンテーマパーク。
ここには、トルコの出島として、その文化の枠が集まり、見る、聞く、味わう、 思う、学ぶを通じて、異文化との出会いと理解を深めると同時に、より確かな休 日の思い出をつくることができるでしょう。
バザールは、トルコ語で日曜日という意味。柏崎トルコ文化村でのエキゾチック なひとときは、私たち日本人が忘れた何かを呼び起こし、新たな刺激と活力を生 み出してくれることと思います――。
□■
多額の資金が注がれ、世界的にも珍しい規模で建設され、民間と行政、そしてトルコ大使館、全国の親トルコ政治家を巻き込んだあげく、経営破綻し、2004年に閉鎖された柏崎トルコ文化村のことなのである。
経営は紆余曲折し、挽回を期した拡張まで含め70億円以上の資金が注がれ、最終的には1億余りで譲渡されて無料公開まで踏み切ったものの、客足が伸びず閉鎖に追い込まれたという。在日トルコ商工会議所が再建の意思があったところ柏崎市にないがしろにされるという経緯もあって、それが政治問題化した経緯もある。
拡張した後、入場料は1300円まで値上げされたようだが、上の宣伝文句を読むと、飲食しながらベリーダンスを観ることも出来たというし、写真のトロイの木馬、また敷地内には宮殿らしき建物もしっかりした造りで、かなり稀少な空間であったことは間違いない。
しかし、人は1300円払って足を運ばなかった。そして、無料でも来なかった。
市民公園としても受け容れられなかった事実は、造りがしっかりしているだけに痛々しい。
ボスポラス海峡と日本海の共通性をアピールする感覚は頂けないが。
柏崎は、知る人は知っているが、実はコレクションの町でもある。
個人的な収集品を公開している小さな施設が多い。
珍品の類からウルトラマンなどのおもちゃ、書票まで。
国道8号線は、コレクション街道という別名まであるようだ。
しかし、人が集まらない。次々に閉鎖されている。
鮮魚を売るフィッシャーマンズケーフという一角もあるが、すでにバス路線も途絶えていて、活気に乏しい。
「すべてを一箇所に集めれば、また違うだろうが」という地元の人の声も耳にしたが、トルコ村の破綻は、地方が変わった切り口で対外的に存在をアピールしようとする際のむずかしさを象徴している。
長崎・ハウステンボス、岡山(倉敷)チボリ公園、志摩スペイン村、冨士山麓のガリバー王国など、行政も深く関わって潰せない規模のものから、見切られて閉鎖したものまで、全国各地に様々なテーマパークはあるが、成功しているとはっきり言えるのはディズニーランドくらいだろう。これはアメリカ村だ。
同じ新潟県では、ロシア村が2003年に閉鎖されている。
成功のためには、リピーターと範囲の広い集客力が必要だが、思うに地方ではサイズの問題があるように思う。過大な投資をすると入場料を高く設定しなければならず地元のリピーターが育たない。
グローバルにつながろうとするのではなく、文化から食べ物までローカルとの融合、「きょうの夕飯はトルコレストランで」というレベルまで持って行かないと根付くのはむずかしい。
そして、それこそが本当にむずかしい。
立ち上げのコンセプトはどうとでもでっち上げられる。
高率で失敗しているにも関わらず、全国で似た趣旨のテーマパークが建設されたのは、計画に伴ってカネが流れるシステムだけが「本物」の推進力だからだろう。 夕張も、遊園地の建設が破綻の引き金を引いたとされるが、そうした一例かもしれない。そこで一時的にカネが流れればツケは後回しにして動き出す。
都会と地方の格差とよく言われるが、成熟社会における地方の在り方とは何だろうか。こうした残骸を斜陽の中で眺めるだけなのだろうか。
地方都市では、映画のロケ地を誘致・支援するフィルムコミッションが盛んだが、それが残骸の陳列で終わらせないためにはどうすればいいのだろう。
トロイの木馬は、未来の地方を打開する作戦の起爆剤となるのか、朽ち果てる象徴となるのか。
当地で今何が有名かと言えば、東京電力による刈羽原発における再三にわたっての安全データ改竄だろうが、そうしたこととはまったく関係ない話。
世界史上最大の作戦、トロイの木馬が柏崎にあったという話。
これは何も知らずに見つけると、びっくりする存在である。
海辺の国道8号線沿いに不意に出てくるのだ。10メートルを超える高さのこの木馬がである。
実はこの奥手には、ノアの箱舟まである。
神話の世界が柏崎に実在しているのだ。
ここまででピンと来た人は、かなりのトルコ通、柏崎政策通だろう。
ちょっと以下の文章を読まれよ。
□■
――人間らしさを取り戻す。心からの感動を味わう。
本物の休日は、本物のトルコとの出会いから。
柏崎トルコ文化村。
世界初のトルコ文化のテーマパーク。人間らしさと異文化の出会いの中に、ほん とうのやすらぎが生まれます 。
金角湾をはさみ、ボスポラス海峡に面して市街が発展するイスタンブールは、日 本海、佐渡ガ島を眺む柏崎の風景と共通するものがあります。
ここ柏崎トルコ文化村は、トルコと日本の心からの交流と、心と身体に根ざした 楽しさと喜びがあるヒューマンテーマパーク。
ここには、トルコの出島として、その文化の枠が集まり、見る、聞く、味わう、 思う、学ぶを通じて、異文化との出会いと理解を深めると同時に、より確かな休 日の思い出をつくることができるでしょう。
バザールは、トルコ語で日曜日という意味。柏崎トルコ文化村でのエキゾチック なひとときは、私たち日本人が忘れた何かを呼び起こし、新たな刺激と活力を生 み出してくれることと思います――。
□■
多額の資金が注がれ、世界的にも珍しい規模で建設され、民間と行政、そしてトルコ大使館、全国の親トルコ政治家を巻き込んだあげく、経営破綻し、2004年に閉鎖された柏崎トルコ文化村のことなのである。
経営は紆余曲折し、挽回を期した拡張まで含め70億円以上の資金が注がれ、最終的には1億余りで譲渡されて無料公開まで踏み切ったものの、客足が伸びず閉鎖に追い込まれたという。在日トルコ商工会議所が再建の意思があったところ柏崎市にないがしろにされるという経緯もあって、それが政治問題化した経緯もある。
拡張した後、入場料は1300円まで値上げされたようだが、上の宣伝文句を読むと、飲食しながらベリーダンスを観ることも出来たというし、写真のトロイの木馬、また敷地内には宮殿らしき建物もしっかりした造りで、かなり稀少な空間であったことは間違いない。
しかし、人は1300円払って足を運ばなかった。そして、無料でも来なかった。
市民公園としても受け容れられなかった事実は、造りがしっかりしているだけに痛々しい。
ボスポラス海峡と日本海の共通性をアピールする感覚は頂けないが。
柏崎は、知る人は知っているが、実はコレクションの町でもある。
個人的な収集品を公開している小さな施設が多い。
珍品の類からウルトラマンなどのおもちゃ、書票まで。
国道8号線は、コレクション街道という別名まであるようだ。
しかし、人が集まらない。次々に閉鎖されている。
鮮魚を売るフィッシャーマンズケーフという一角もあるが、すでにバス路線も途絶えていて、活気に乏しい。
「すべてを一箇所に集めれば、また違うだろうが」という地元の人の声も耳にしたが、トルコ村の破綻は、地方が変わった切り口で対外的に存在をアピールしようとする際のむずかしさを象徴している。
長崎・ハウステンボス、岡山(倉敷)チボリ公園、志摩スペイン村、冨士山麓のガリバー王国など、行政も深く関わって潰せない規模のものから、見切られて閉鎖したものまで、全国各地に様々なテーマパークはあるが、成功しているとはっきり言えるのはディズニーランドくらいだろう。これはアメリカ村だ。
同じ新潟県では、ロシア村が2003年に閉鎖されている。
成功のためには、リピーターと範囲の広い集客力が必要だが、思うに地方ではサイズの問題があるように思う。過大な投資をすると入場料を高く設定しなければならず地元のリピーターが育たない。
グローバルにつながろうとするのではなく、文化から食べ物までローカルとの融合、「きょうの夕飯はトルコレストランで」というレベルまで持って行かないと根付くのはむずかしい。
そして、それこそが本当にむずかしい。
立ち上げのコンセプトはどうとでもでっち上げられる。
高率で失敗しているにも関わらず、全国で似た趣旨のテーマパークが建設されたのは、計画に伴ってカネが流れるシステムだけが「本物」の推進力だからだろう。 夕張も、遊園地の建設が破綻の引き金を引いたとされるが、そうした一例かもしれない。そこで一時的にカネが流れればツケは後回しにして動き出す。
都会と地方の格差とよく言われるが、成熟社会における地方の在り方とは何だろうか。こうした残骸を斜陽の中で眺めるだけなのだろうか。
地方都市では、映画のロケ地を誘致・支援するフィルムコミッションが盛んだが、それが残骸の陳列で終わらせないためにはどうすればいいのだろう。
トロイの木馬は、未来の地方を打開する作戦の起爆剤となるのか、朽ち果てる象徴となるのか。