もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り1~大阪への視線

2006-03-26 09:01:53 | 街の縁取り
 仕事で、大阪に行った。
 独りの場合、夜昼に関わらず、知らない街角をぶらつくのが好きで、夜だと食い物屋、飲み屋を、自分の嗅覚を信じながら探して回る。
 その夜は、曽根崎でらーめんを食べた後、同じ界隈の表の雰囲気に魅かれ、あるショットバーに立ち寄った。店内はかなり混んでいてカウンターの隅に腰掛けた。
 カウンター越しにモルトウイスキーが数多く並んでいるのを見て、「当たりだろ」と独りごち、まずはラフロイグ10年をロックで頼んだ。
 店の収容人数は、30人程度。それでカウンターしか空いていない状況なのに、切り回しているのはマスターだけ。それでもバランスよく客に声をかけながら、自信に溢れた感じで捌いている。
 ふと見ると、壁際に賞状が飾ってあり、関西バーテンダー大会で総合優勝したとある。 しばらくして、若いサラリーマン2人が入ってきて、そこしか空いていない自分の隣に座った。一方が馴染みであるようで、マスターと「お久しぶりです」「すみません、なかなか来られなくて」といったやり取りをした後、それぞれ宮崎産というマンゴーのカクテルを注文した。飲み物が来ると、馴染みの方が壁際の賞状を話題にした。
 特別注意していたわけではないが、その男の独特の話しぶりが、少し耳に残った。
 帰り際になって、数年前、取材に同行してくれた企業の広報担当者であることに気付いた。

 書きたいのは店のことでも、彼のことでもない。
 大阪は都会だが、すでに日本でナンバー2の位置にはいない。平均的な通勤距離からしても都市機能からしても、東京の数分の1の規模だろう。それが良いとか悪いとかではなく。
 その時、瞬間的に感じたのは、脈絡ない行動原理の中で偶然顔見知りと出くわす確率から見た街の大きさのことだ。
 私は、瀬戸内海に面した人口数十万人の街で育った。進学に伴ってそこを離れたが、街の大きさとして、繁華街は限られ、出かける先も無数にあるわけではないから、顔見知りに出くわす確率はかなり高い。
 地方出身者にある種共通しているのかも知れないが、都会か田舎の区切りはこういうところにあると感覚的に思っている。
 その点、大阪は経済的に地盤沈下と言われながらも、いいバランスにあるのかも知れない。

 年に数回、大阪に行く。実は、この街には、音信不通になった幼馴染が住んでいるはずなのだ。何年も前、子供2人と借金を残して駆け落ちしたと聞いたが、十代から好んで大阪に住んでいたこともあり、今も居るような気がしてならない。
 流動性が異常に高い東京では確率が低いが、大阪のどこかで出くわすのではないかという思いが、大阪に来るたびに自分の中に湧く。
 互いに、育った街にいた時間より、そこを離れてからの方が長くなった。いつか、偶然寄った店で隣り合わせ、本当に旨いかどうかは分からないが酒を飲み交わすことが出来れば嬉しい。

 それぞれの大阪。都市への視線。私の場合。 

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