まったく何の用もなく、途上の街角に佇む。
そんな行為を昔から続けてきた。
思いつきで駅を降りる、通りがかりのバス停でたまたま来たバスに乗り込む。
見知らぬ街に自分を投擲してしまうわけではなく、結果的に刹那的なものなのだが、自分では放浪者の視線に近いものを自覚する。
旅とは、そこで暮らす人々を見に行くことだ、という言葉に触れたことがある。
写真は、六甲山麓の町で本項前回で少し記した。
そこには生活がある。
生まれ、食べ、働き、笑い、怒り、泣き、セックスをし、眠り、死んでいく時空間が横たわっている。
何かとても憧れ、そして寂しい。
自分にも帰る場所はあるが、儚さに回帰する彼我の往還。
ちょっとしたきっかけで根無し草になる気もする自分。
いつか、どこかでひたすら安堵する日々が訪れるのを待ちながら、一生を終えるのだろうか。
そんな行為を昔から続けてきた。
思いつきで駅を降りる、通りがかりのバス停でたまたま来たバスに乗り込む。
見知らぬ街に自分を投擲してしまうわけではなく、結果的に刹那的なものなのだが、自分では放浪者の視線に近いものを自覚する。
旅とは、そこで暮らす人々を見に行くことだ、という言葉に触れたことがある。
写真は、六甲山麓の町で本項前回で少し記した。
そこには生活がある。
生まれ、食べ、働き、笑い、怒り、泣き、セックスをし、眠り、死んでいく時空間が横たわっている。
何かとても憧れ、そして寂しい。
自分にも帰る場所はあるが、儚さに回帰する彼我の往還。
ちょっとしたきっかけで根無し草になる気もする自分。
いつか、どこかでひたすら安堵する日々が訪れるのを待ちながら、一生を終えるのだろうか。