近所の公園の花壇に向日葵の種が植えられて、その茎が日に日に高く太く逞しくなって行きます。ちょうど昨年の今頃、引っ越してしばらくの間、向日葵の成長を見るのが楽しみでした。
列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし
(寺山修司『われに五月を』)
寺山は19歳のとき、ネフローゼで長期入院を余儀なくされ、生死の境を彷徨いました。ようやく退院したあと、故郷青森に一時帰省したことがあり、その列車から見えた向日葵のことを詠んだとも言われています。
茎の丈も太さも驚くほどのスピードで成長し、ひたすら明るい花の顔を覗かせる向日葵は、少年の印象をそのまま表しています。その花が風に揺れて、帽子を振っているように寺山には見えました。少年の有り余るほどの生気が、みずからの再生を祝福してくれるもののように映ったのではないでしょうか。
寺山が詠んだ少年の歌と言えば、この歌を思い出します。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
(『空には本』)
海を知らない少女に、麦藁帽の少年が、海はこんなに大きいんだと両手を広げて説明している場面です。未来は無限の可能性を秘めているのだと、自分と少女の成長を祝福する姿にも映ります。先の歌の、列車から見えた向日葵にも通じるものがあります。
さて、歌の解釈にも無限の可能性があって、永田和宏は最初この歌をまったく違う意味に読みとったのだそうです。海を見たこともない田舎で育った少年と少女がいて、まだ見ぬ世界に憧れて外に出てゆこうとする少女を、少年は引き止めようとしたのではないかと。両手を広げて立ち塞がり、俺と一緒にずっとここに居ようと、少年はそう言ったのではないかと読んだのだそうです。『現代秀歌』(岩波新書)のなかで、いまでも最初に読んだときの、その解釈の方が好きだと述べています。
そのような目で最初の一首を読み直すと、向日葵の振る帽子は、これからの新たな可能性を祝福するものではなく、自分自身の少年の日の懐かしさや、その少年時代との決別を詠んだ歌のようにも見えてきます。
公園の花壇の向日葵は、昨日まで頼りない若芽に過ぎなかったのに、いまは太い茎に薄く剛毛さえ帯びています。畏れを抱かせるその成長ぶりは、こちらの思い入れとは無関係にひたすらに力強く、だからこそ祝福するもののようにも、遠ざかる存在のようにも映るのだと思います。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
歌人津田治子をモデルにした『忍びてゆかなー小説津田治子』(大原富枝著 講談社)を、何度も本を閉じては瞑目するようにして、ようやく読了しました。「私の忍びつづけて生きる世界がいかに人の世ならず無惨であろうとも、私は決して人間であることを諦めはしない。人間であることをやめはしない。その証しとして私は短歌を詠む」(158頁)
強い思いを胸に抱いていながら、それでも歌の数々はどこまでも端正です。
単行本、文庫本とも絶版ですが、Kindle版で読むことは可能です。ご興味のある方にお勧めします。