シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。
9. ルシアの家庭での問題
私自身の家庭のもっとも深いところで、新しい苦しみが起こりました。このことの非難は、私に非難が飛んできました。
コヴァ・ダ・イリヤは私の両親の所有地でした。その一帯ではもっとも良く肥えた畑で、とうもろこし、野菜、馬鈴薯、エンドウがよくできました。傾斜面には、オリーブの木が生え、樫の木、トキワガシの木々が茂っていました。さて、群衆がそこに行って集まるようになってから、すっかり踏まれて荒らされ、何の収穫も得られないようになりました。大多数の人々が馬やろばに乗ってきたので、彼らの動物が見つけることができたものを全て食い荒らして全てを荒らしてしまいました。
母はこの損害を嘆き悲しんでこう言いました。
「さあ、おまえ、何か食べたい時には、例の貴婦人の所へ行ってもらいなさい!」
姉達までも「コヴァ・ダ・イリヤで育つものを、おまえは食べたらいいわ!」と言うのでした。
その言葉を聞いて、私は心を傷つけられ、一切れのパンさえ敢えて取って食べることができなくなりました。母の言う表現によれば、母が私に本当のことを言わせようと、とてもしばしば、箒の柄、あるいは、暖炉の側から一本の薪をとって私を強く打ちました。けれども、それにもかかわらず、母は母親だったので、私の弱った健康を再び回復させるように努めました。母は私の青白い痩せた姿を見て、私が病気にかかるのを注意深く心配しました。かわいそうなお母さん! 今、私は母の立場が一体どんなだったかを良く理解し、本当に母のことを気の毒に思います。母は、私がそのような大きな恵みを受けるに値しないものだと思い、私が嘘をついているのだ、と判断しましたが、母は正しかったのです。
主からの特別な恵みによって、私は、母が私に対するやり方に関して、恨みの考えや気持ちを起こすようなことは少しもありませんでした。天使が、天主は私に苦しみを送ってくださると予告したので、これらのすべてのことの中に、いつも天主の御手の働きを認めていました。それで、私は、あたかも最も可愛がられたかのように、母に対して私が抱くべき愛と尊敬と敬意は増えてゆきました。今、私はこのような母の厳しい態度で私を接してくれたことに対して、愛撫や優しさで私を取り巻き続けてくれたよりも、もっと感謝しています。
(続く)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。
第二の手記
II. 御出現
II. 御出現
9. ルシアの家庭での問題
私自身の家庭のもっとも深いところで、新しい苦しみが起こりました。このことの非難は、私に非難が飛んできました。
コヴァ・ダ・イリヤは私の両親の所有地でした。その一帯ではもっとも良く肥えた畑で、とうもろこし、野菜、馬鈴薯、エンドウがよくできました。傾斜面には、オリーブの木が生え、樫の木、トキワガシの木々が茂っていました。さて、群衆がそこに行って集まるようになってから、すっかり踏まれて荒らされ、何の収穫も得られないようになりました。大多数の人々が馬やろばに乗ってきたので、彼らの動物が見つけることができたものを全て食い荒らして全てを荒らしてしまいました。
母はこの損害を嘆き悲しんでこう言いました。
「さあ、おまえ、何か食べたい時には、例の貴婦人の所へ行ってもらいなさい!」
姉達までも「コヴァ・ダ・イリヤで育つものを、おまえは食べたらいいわ!」と言うのでした。
その言葉を聞いて、私は心を傷つけられ、一切れのパンさえ敢えて取って食べることができなくなりました。母の言う表現によれば、母が私に本当のことを言わせようと、とてもしばしば、箒の柄、あるいは、暖炉の側から一本の薪をとって私を強く打ちました。けれども、それにもかかわらず、母は母親だったので、私の弱った健康を再び回復させるように努めました。母は私の青白い痩せた姿を見て、私が病気にかかるのを注意深く心配しました。かわいそうなお母さん! 今、私は母の立場が一体どんなだったかを良く理解し、本当に母のことを気の毒に思います。母は、私がそのような大きな恵みを受けるに値しないものだと思い、私が嘘をついているのだ、と判断しましたが、母は正しかったのです。
主からの特別な恵みによって、私は、母が私に対するやり方に関して、恨みの考えや気持ちを起こすようなことは少しもありませんでした。天使が、天主は私に苦しみを送ってくださると予告したので、これらのすべてのことの中に、いつも天主の御手の働きを認めていました。それで、私は、あたかも最も可愛がられたかのように、母に対して私が抱くべき愛と尊敬と敬意は増えてゆきました。今、私はこのような母の厳しい態度で私を接してくれたことに対して、愛撫や優しさで私を取り巻き続けてくれたよりも、もっと感謝しています。
(続く)