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裁判官、法務大臣、殺人犯は同じ穴のムジナ

2014年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

去年、千葉地裁での裁判員裁判で、現金を奪った後に被害者女性を殺して放火した、樫山被告に対して
「犯行は冷酷で更生の可能性は乏しい」として、検察の求刑通り「死刑」の判決を言い渡しました。
ところが上訴審の東京高裁の村瀬均裁判長は「殺害された被害者は1人だ」という理由だけで「死刑破棄」の判決を言い渡しました。(村瀬均裁判長の子供が殺されても被害者は1人だから死刑はあり得ないと言い、妻と親も殺されて被害者が3人になれば、そろそろ死刑を検討すると言うのか)
村瀬均裁判長は別の事件での裁判員裁判の死刑判決も破棄しています。
なぜ裁判官は殺人犯への死刑判決を嫌うのでしょうか。
人間としての本質的性格が裁判官と殺人犯は同じだからだと思われます。(一般国民は「虫けら」だと考えて、1人ぐらい殺してもいいじゃないかと考えているのです)
死刑囚は133人もいて、我々の税金で3食の食事を取り、ひねもすのたりのたりかなと、のんびり暮らしています。
法務大臣は死刑判決確定後6か月以内に死刑執行の署名する義務がありますが、どの法務大臣もこの法律を無視し死刑囚を80歳を過ぎるまで長生きさせます。
なぜ法務大臣はいつまでも死刑執行の署名をしないのでしょうか。
人間としての本質的性格が法務大臣と死刑囚は同じだからだと思われます。(「虫けら」を殺しても別にいいんじゃないのと考えている)
裁判員になる一般庶民は、私立中学受験で失敗したり、高校受験でも失敗したり、大学受験でも失敗し、
行きたくもない学部に入学し、行きたくもない会社に入社したりする事がよくあります。
若くて多感な時期に多くの挫折を味わい、努力して立ち上がる事が人間として大人になれるのです。
大人とは、他人の苦しみをその人の立場に立って考え、理解出来る事です。
一方、裁判官や法務大臣はどうでしょうか。
小学校では学年1番の成績で神童と呼ばれ、有名進学校の中学校、高校に合格し成績はやはり1番で、
大学も国立大学に現役合格し、在学中に司法試験に合格するという順風満帆の人生を歩んできたのです。
若くて多感な時期に全く挫折を味あう事はなく、不合格になった他人の苦しみを理解出来ず、気にも留めず、ただ見下すだけの人生を送ってきたので、殺された被害者の苦しみや無念さを理解出来ないのです。
裁判員になる一般庶民は多くの挫折を味わい、敗北者の気持ちを良く理解出来ます。
よって被害者の立場に立って判決を決めます。
一方、裁判官や法務大臣は挫折を味わった事がなく、敗北者の気持ちを理解出来ず、死んだ被害者はただの物体であって人権は存在しないとして、殺人犯の立場で判決を決めます。
殺人犯は被害者を尊敬していれば殺せません。
被害者を見下しているから包丁で刺し続ける事が出来るのです。(虫けらだと思っているから殺せるのです)
裁判官や法務大臣にとって、殺された被害者の苦しみや無念は全く理解できないが、殺人犯が被害者を見下し包丁で刺し続ける事はとても良く理解出来るのです。
裁判官は難関の司法試験に受かっています。
司法試験に受かってない人間の命の価値は、司法試験に受かった人間の命の3分の1の価値しかない「虫けら」だと多くの裁判官は考えています。
よって、「虫けら」が「虫けら」を1人殺しても死刑にはなりません。
「虫けら」が「虫けら」を3人殺してやっと死刑を検討しはじめるのです。
よって村瀬均裁判長の様に殺された友花里さんの苦しみや無念は無視し、樫山被告の犯行に共感し死刑を破棄したのです。
よって裁判官、法務大臣、殺人犯は同じ穴のムジナであって、同じ様な精神構造をしているのである。
裁判官、法務大臣の被害者に対する対応は「冷酷で更生の可能性は乏しい」のです。


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1 コメント

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全く同感です。 (通行人)
2014-08-01 17:14:45
全く同感です。
殺人者は死刑でいいのです。

無期、懲役の判決にすること自体
異常といえます。
犯罪者の再犯率はかなり高い。

裁判官が再犯罪を生む危険を
放置することになっている

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