文や写真のブログ

思いつくまま書いた文やローカルな写真を載せています。

箴言集(ラ、ロシュフコー)

2013年04月26日 | 本と雑誌

1、人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない。
2、この世で最も仕合せな人は、わずかな物で満足出来る人だから、その意味では、幸福にするために無限の富の集積が必要な王侯や野心家は、最もみじめな人達である。
3、我々に起きる幸不幸は、それ自体の大きさによってではなく、我々の感受性に従って大きくも小さくも感じられる。
4、人間の幸不幸は、運命に左右されると共に、それに劣らずその人の気質に左右される。
5、我々は、どちらかといえば、幸福になるためよりも
幸福だと人に思わせるために、四苦八苦しているのである。
6、人それぞれの運命がどんなに違うように見えても、それでもやはり禍と福の相殺といったものが存在していて、それが全ての運命を平等にするのである。
7、幸福とか不幸とかは、たいてい、すでに最も幸福な、もしくは最も不幸な人のところばかり重ねて訪れるものである。
8、我々は皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている。
9、人は他人の欠点をすぐ非難するが、それを見て自分の欠点を直す事はめったにない。
10、自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である。
11、賢者は征服するよりも深入りしないことを得策とする。
12、葬式の盛大さは、死者の名誉よりも、生者の虚栄心の為のものである。
13、頭のいい馬鹿ほど、はた迷惑な馬鹿はいない。
14、頭がよくて馬鹿だ、ということは時々あるが、分別があって馬鹿だ、という事は絶えてない。
15、人生には時として、少々狂気にならなければ切り抜けられない事態が起る。
16、年とった気違いは、若い気違い以上に気違いだ。
17、我々は生涯のさまざまな年齢に全くの新参者としてたどり着く。
だから、多くの場合、いくら年をとっていても、その年齢においては経験不足なのである。
18、我々の自尊心にとっては、自分の意見をこきおろされるよりも、趣味をこきおろされる方がいちだんと
苛立たしく我慢出来ない。
19、慎ましさとは、妬みや軽蔑の的になる事への恐れである。
幸福に酔いしれれば必ずそういう目にあうからだ。
栄達を極めた人々の慎ましさは、その栄位をものともしないほど偉い人間に自分を見せようとする欲望なのである。
20、太陽も死もじっと見つめる事は出来ない。
21、小さな事に熱中し過ぎる人は、概して大きな事が出来なくなるものだ。
22、世間の付き合いでは、我々は長所よりも短所によって人の気に入られる事が多い。
23、よい結婚はあるが、楽しい結婚はない。
24、心中得意になる事が全くなければ、人にはほとんど何の楽しみもなくなるだろう。
25、我々が他人の美点を誉めそやすのは、その人の偉さに対する敬意よりも、むしろ自分自身の見識に対する得意からである。
だから他人に賛辞を呈している様に見える時でも、実は自分が賛辞を浴びたいと思っているのである。
26、人は普通、誉められる為にしか誉めない。
27、運命は理性の力では直せない数々の欠点を改めさせる。
28、優れた面を持ちながら、うとんじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人がいる。
29、短所でひき立つ人もいれば、長所で見劣りのする人もいる。
30、我々が自分の欠点を告白するのは、その欠点のせいで人から悪く思われた分を、率直さによって埋め合わせる為である。
31、誰からかいったん善いことをしてもらうと、その人に悪いことをされても甘受しなければならなくなる。
32、それ自体不可能な事はあまりない。
ただ我々には、ぜひとも成し遂げようという熱意が欠けているのである。
33、真の雄弁は、言うべき事は全て言い、かつ言うべき事しか言わないところにある。
34、憐みとは、多くの場合、他人の不幸の中に我々自身の不幸を感じる気持ちである。
それは、いつか自分が陥るかもしれない不幸に対する巧妙な備えである。
35、大多数の人の感謝は、もっと大きな恩恵を受けたいという密かな欲望に過ぎない。
36、謙虚は、誉め言葉を固辞する様に見えるが、実はもっと上手に誉めてもらいたいという欲望に過ぎない。
37、いったいどうして我々は、自分に起った事を細大もらさず覚えているだけの記憶力を持ちながら、同じ人にその話を何遍したかを思い出すだけの記憶力がないのだろう。
38、軽蔑すべき人間に限って軽蔑される事を恐れる。
39、我々は自分の実力以下の職に就けば大物に見える可能性があるが、分に過ぎた職に就くと、しばしば
小物に見える。
40、傑出した資質を持っているから、その人は偉いと考えてはならない。
彼がその資質をどう活かせるかを見るべきである。
41、友情においても恋においても、人は往々にして
知っている色々な事によってよりも、知らないでいる事のおかげで幸福になる。
42、我々の気分が穏やかであるか荒れるかは、生涯の重大事によってよりも、むしり毎日起きる細々とした事の運びが、思わしく行くか行かないかによって左右される。
43、若くても美しくなければ何にもならないし、美しくても若くなければ何にもならない。
44、女にとって地獄とは老いである。
45、中正穏健な裁判官における正義は、自己の栄達への執着心に過ぎない。
46、最も賢明な人々も、どうでもよい事においては
賢明だが、彼ら自身にとって最も深刻な事柄において賢明であるためしは、まずない。
47、自分は人に好感を与える、という自信は、えてして人を不愉快にする決め手になる。
48、真の苦行は全く人に知られる事のない苦行である。そうでないものは虚栄心によって楽になる。
49、賢者を幸福にするにはほとんど何も要らないが、愚者を満足させる事は何を以てしても出来ない。
ほとんど全ての人間がみじめなのはその為である。
50、国の中に贅沢にふけり過度の文明化があるのは亡国の確かな前兆である。
なぜなら全ての個人が自分自身の利益に汲々として、全体の幸福に背を向けるからである。

この箴言集は350年前、フランス人が書いたものですが、現在の日本人にも理解し納得できます。
350年の時を経ても、フランス人と日本人という人種が違っていても、人間の本質は何ら変わらない様です。
箴言640項目の内、短くて分かりやすい50項目を選んでみました。


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現代語裏辞典(筒井康隆)

2012年07月08日 | 本と雑誌

筒井康隆著「現代語裏辞典」より
1、愛妻という言葉はあるが、愛夫という言葉はない、すなわち妻を愛する夫はいるが、夫を愛する妻はいない。
2、アスレチック、クラブは金持ちのトレーニング施設。アスレチック、フィールドは貧乏人のトレーニング施設。
3、人類発生の地はアフリカである。よってアダムとイヴは当然、黒人であった。
4、葬儀の際に掲げられる遺影が、よく撮れているか、ピンボケかどうかで故人が家族に好かれていたかどうかが判断できる。
5、人生最後の復讐が遺書である。
6、豪勢にやる者ほど離婚率の高い儀式を結婚式と
言う。
7、ウエディング、ドレスを貸衣装でなく、自前で作った女性ほど何度も何度も再婚しドレスを役立たせる。
8、なぜか必ず以前の伴侶そっくりで、以前の伴侶よりレベルが低くなるのが、再婚である。
9、地位のみ上がって、地方に飛ばされる人に向かって「栄転」と言う。
10、左遷された者が、地元採用者にいじめられる所を「支局」と言う。
問題を起こしては地方の支局を転々とする記者を
「漂流」と言う。
11、仕事に不向きな3Kとは虚弱、虚栄、軽薄
仕事に使えない3Kとは気まぐれ、口答え、欠勤
12、ダイエー中内功は告げ口してきた者もクビにした。
13、「絵描き」の上、「画伯」の下を「画家」と言う。
14、キリスト教の敵は、ダーウィンとガリレオである。
15、権力、財力、腕力のない者の武器を「言論」と言う。ただしマスコミの言論のみは暴力になり得る。
16、わずかの事実に多くの誤りと推測を付加した自動的な報道文を「記事」と言う。
17、新聞における誤報の訂正記事は常に小さい。
18、期待されていた人の死にかたを「急死」と言い、
期待されていない人の死にかたを「頓死」と言う。
19、テレビに出られない芸能人を「芸人」と言い、
テレビに出る芸人を「芸能人」と言う。
20、有名になるとシリアスな作品に出たくなる人を
コメディアンと言う。
21、子役の将来は名優、政治家、犯罪者のいずれかになる。
22、古都、「奈良」を差別した呼称を「京阪神」と言う。
23、いざとなれば抜けるつもりで弱い者ばかりが身を寄せ合う事を「結束」と言い、いざとなれば抜けるつもりで悪人ばかりが身を寄せ合う事を「結託」と言う。
24、喧嘩する度胸がないので取り繕う仮面の人物を「好人物」と言う。
25、子供に嫌われてやっと可能になる心理を「子離れ」という。嫌われても子離れ出来ない馬鹿親もいる。
26、ナンセンスの域に達すれば許されるのが「誇大広告」  ナンセンスの域に達すれば入院させられるのが
「誇大妄想」
27、少数の自己主張者と大多数の追随者の集まりを「会議」と言う。会議よりも低次元の会合で、その場に居ない者の悪口に終始する集まりを「集会」と言う。
28、自分が死ぬ存在である事を忘れている状態を
「元気」と言う。
人生の空しさを忘れている瞬間を「充実」と言う。
死の接近を忘れるのに最適の状態を「熱中」と言う。
29、下品な癖を「舌鼓」と言って誤魔化す。
30、皆が許してくれるのが「失敗」
皆が許してくれないのが「犯罪」
31、新鮮な死者が「死人」古い死者は「故人」
32、「崩御」「逝去」「他界」「物故」などの最後にくる、グレードの低い死を「死亡」と言う。
33、女が化粧をしなくなる事を「自暴自棄」と言う。
34、会社の事業を賭博であると、見放した考え方による言葉を「社運」と言う。
35、新聞は、子供時代は漫画を読み、青年時代は
三面記事を読み、老年時代は死亡欄を読む。
36、偉そうに「市庁」「市庁舎」などと言い始める前の呼称を「市役所」と言う。
37、歩行者や乗用車よりも電車の方が偉い事を教える棹(さお)を「遮断機」と言う。
38、持ち逃げする誘惑も起こらぬ程の小銭を集めて回る事を「集金」と言う。
39、こちらの思い通りになってくれる、信念のない人の態度を褒めて「柔軟性がある」と言う。
40、心を鍛えれば軟弱となり、身体を鍛えればアホとなる。
41、「あの有名人に抱かれた」が主なテーマである文を「手記」と言う。
42、運命を切り開けなかった無能の言い訳に使う言葉が「宿命」
43、秀才は天才から見ればアホ
44、遺族が株式を売却しないように、または訴訟を起こさせない為に会社が行う儀式を「社葬」と言う。
45、これが社員全員の意見であると嘘をついている
記事を「社説」と言う。
46、うしろめたさを隠す為「社命」という言葉を使う。
47、恥じ入ってる事を、とても恥じ入ってる様には思えぬ程偉そうに言う時「忸怩(じくじ)たる思い」などと使う。
48、本当はお前より俺の方が上だと思っていなければとても出来ない行為を「胡麻すり」と言う。
49、夫や子供の事故死で泣いている女にマイクを向けて感想を聞く事を「極悪非道」と言う。
50、不幸の前ぶれを幸運と言う。
51、死ぬ時期にいる人の事を「健在」と言う。
52、役人の暴走にお墨付きを与える儀式を「閣議」と言う。
53、教育とは親が、自己の思いどおりの人間に育てる企み。
54、幸福な者は自覚せず、不幸な者が自覚したいと願う感情を生き甲斐と言う。

55、バラックとは荘厳さで区別される建築をゴシックと言う。
文化住宅と段ボール小屋の中間形態をバラックと言う。
56、松竹梅の上は橘(たちばな)最上位は菊である。(橘は文化勲章のデザインになっている)
57、食事が唯一の関心事となれば、人生の最後は近い。
58、つらい状況を粋がって試練と言う。身から出た錆とは絶対に思わない。
59、心音は 絶えて久しく なりぬれど 血こそ流れて 手足ヒクヒク(裏小倉)
60、人生の目標が立たず、とりあえず行く学校を進学校と言う。
61、人口の推移が文明度を示す数字。減少し続けている方が高い。
62、宣戦布告なしのテロ攻撃を受けた港を真珠湾と言う。
63、のっぽの差別語は半鐘泥棒。ちびの差別語は
地雷。
64、新聞は1週刊誌の広告2テレビ欄3マンガ4死亡記事の順によく読まれる。
65、唯一、同種で殺し合う哺乳類を人類と言う。
66、汗臭い肥満者へのあだ名を酢豚と言う。
67、少年期からずっと遊び続けている人をスポーツマンと言う。
68、相撲は以前ハワイの国技だったが、今ではモンゴルの国技になった。
69、会社が倒壊の危険に近づく事を成長と言う。
70、最も貧富教養の差がなく起こし得る犯罪が性犯罪である。
71、客に何となく刑務所の食堂にいる気にさせる制度をセルフサービスと言う。
72、スポーツ選手を囚人扱いする為、番号のゼッケンを付けさせる。
73、法律がまだ追いついていない脱税を節税と言う。
74、臆病さを弁護する表現に「節度」をつかう。
75、専業主婦をことさら馬鹿にしようとする人がいるのは、一番楽しくて楽な仕事だからである。
76、戦争中は英雄だが、戦後は戦犯になる。戦争は一種の人口調整法である。
77、実業家とサラリーマンとヤクザの制服が背広である。相似とはヤクザと刑事。
78、もらわなかった奴がちくるのが贈収賄。
79、厚化粧の女を笑わせた時の顔の状態を象皮病と言う。
80、二度と帰ってくるなと念を押す集まりを送別会と言う。
81、おだてて道を誤らせようする時、素質という言葉をつかう。
82、大便に似せて盛り付ける食べ物をソフトクリームと言う。
83、孫に「ジジ」と言われた男は喜ぶが、「ババ」と言われた女はむっとする。
84、遺族がほっとして漏らす一言が大往生
85、雑炊は本来、飯の水増しなので増水と書いた(これは本当)
86、他に褒めようが無い年寄りを達者と言って褒める。長生きも芸のうち。
87、名人と呼ぶ程ではない人を達人と言う。
88、技のなさを馬鹿力で押し切ることを力業(ちからわざ)という。
89、常識に欠ける連中を知識階級と言う。
90、今はもう食用犬とちゃう、ちゃう
91、なぜか都税が地方税
92、長寿を祝ってくれる者がいない社会を長寿社会と言う。
93、葬式に参列出来ぬ程、身分違いであり、多忙である事を教える事が弔電である。
94、それぞれの党にとって、差し障りのない事のみを議論する事を超党派と言う。
95、調和とは、この国民にこの政府。
96、握り寿司と散らし寿司との違いは、固形便と下痢便の違いに相似である。
97、赤ん坊の時おむつを替えてもらった母親のおむつを替える事を追体験と言う。

98、無料の貸金庫を定期預金と言う。
99、無神論者と知識階級の宗教が哲学。
100、偉い人や資産家がひどい目にあった時、庶民が天罰と言う。
101、幻滅の前段階を憧憬と言う。
102、内心の歓喜を同情と言う。
103、禿頭は富を得る体質。ホームレスや乞食には存在しない。
104、冗談が通じる所を都市と言う。
105、関東人はどらやきと言い、関西人は三笠と言う。
106、蝉の抜け殻みたいに亡骸(なきがら)と言うが、中身は詰まっている。
107、二次会に家庭が幸福な者は行かない。
108、デブを無理に褒める時に肉感的と言う。
109、そのまま死体として運搬しやすい寝具を寝袋と言う。
110、年賀状とは「私まだ生きています」
111、夫婦の一方から他方を、お役所的な冷たい目で見た呼称を配偶者と言う。
112、河川敷に並ぶホームレスのテントを背水の陣と言う。
113、自分には無関係な話だと悟るまでの態度を拝聴と言う。
114、役者をインテリと思わせる呼称を俳優と言う。

115、家事を知的に思わせる呼称をハウスキーパーと言う。
116、男女とも、異性にもてる事をあきらめた時期までを、働き盛りと言う。
117、弟子が師匠以上の腕と人気を誇った時の処置を、破門と言う。
118、流行が貧しい者にまで及ぶのは、病いのみ。
119、どの国が貧乏かよく分かる博覧会を万国博覧会と言う。
120、「一人前は食えない。半分でいい」と言いだしたら、先は短い。
121、「気をつけ」「休め」の象形文字をPR(ピーアール)と言う。
122、ドリフターズのコンサートの後座をつとめたグループをビートルズと言う。
123、悲運とは、他の全員の幸福。
124、お金を使って貯め、お金を使って減らすものを、皮下脂肪と言う。
125、ファッションモデルから見た一般の女達をピグミーと呼ぶ。
126、「売国奴」への出世まであと一歩の人を「非国民」と言う。
127、中国では常識の事は、世界では非常識。
128、不美人にはさまざまな顔があるが、美貌はみんな似たような顔。
129、死刑囚の百人一首をなぜやらぬ、傑作ぞろいになるであろうに。
130、美容、化粧は、美人には不要、醜女には無用。
白洲次郎遺言、戒名不要、葬式無用。
131、実際は雷を呼び寄せるのに、避雷針と言う。
132、昼休みに首を吊ることを「昼下がり」と言う。
首を吊りやすい空間を、吹き抜けと言う。
133、老年の一休さんを貧相と言う。
134、フィギュアとは浅田真央の人形。
135、人生と財産を巻き上げられた人達が、仲間を増やそうとする事を布教と言う。
136、日本政府が、税金の高さだけ見習おうとする国を、福祉国家と言う。
137、切腹開始から絶命までを、腹痛と言う。
138、何を見ても不思議と思わなくなったら、人間はおしまい。
139、家名、肩書き、土地などと結婚した女を夫人と言う。
140、娘には迷惑、息子には害毒を与えるのを父性愛と言う。
141、復活とは、トカゲの尻尾とキリスト。
142、仏教は勧誘に来ないのがいい。
143、厚化粧のまま寝てる嫁の顔を踏んづける事を、踏み絵と言う。
144、愉快そうなやつは不愉快。
145、地団駄踊りをフラメンコと言う。
146、文化とは、安物の住宅、包丁、鍋などの事。
147、戦争の準備をする期間を平和と言う。
148、NHKしか映らない所を僻地と言う。
149、銃での自殺に到る道をヘミングウェイと言う。
蠅の揚げ物をフライと言う。
ペルシャなんてイラン。
三月行進曲をマーチと言う。
藪の中で春に唱えるお経を法華経と言う。
老婆の休日は毎日。
犬の食器を椀と言う。
150、丸裸とは、男の場合は無一文。女は収入を得る。
151、漫画家は売れても地獄、売れなくても地獄。
152、1億円以下の物件をマンションと言う。
153、家から近い順に、小学校、中学校、高校、大学、結婚式場、葬儀場。
154、「明星」とは、昔「平凡」の敵、今「日清」の敵。
155、目標とは、近づくにつれ、自分で低くしてゆくもの。
156、持ち味とは、あまり上手でない人への褒め言葉。
157、大和魂とは絶滅危惧語。
158、憂鬱とは困苦とは無縁の、贅沢な感情。
159、優越感とは、コンプレックスの一種。
160、成功すれば勇敢、失敗すれば無謀。
161、勇者は平時には厄介者。
162、有閑階級とは、最上位と最下位。
163、有識者とは、常識が知識に駆逐された人。
164、ユーモアとは、幸福な人だけが笑うもの。
165、予期せぬ事は起こり、予期していた事は起こらない。
166、妖精とは悪魔になるまでの女性の一時期。
167、横取りとは、赤シャツがうらなりからマドンナを奪う行為。
168、ヨゼフとは、妻を神様に寝取られた大工。
169、「乱暴」、なぜ「強姦」と書かないんだ。
170、理性とは、殴られた途端に吹っ飛ぶもの。
171、リゾートとは、景気が悪くなると廃墟になる場所。
172、隷属とは、NOと言えない日本。
173、アラブのパイロットは航空中に操舵室の床で
メッカに向かって礼拝する。
174、例題とは、やさしい問題で安心させる陰謀。
175、劣情とは、我々が生まれた原因。
176、レディファーストとは、美女だけに向けられる
礼儀。
177、老境とは孫に痛みつけられて喜ぶ日々。
178、年老いて身にこたえるのは、何もなかった一生より、過去の栄光。
179、若者には戻りたいが苦労や貧乏がいや。
180、童が遊ぶのを見ているだけで、犯罪者扱いされる。
現代語裏辞典に載っている1万2千項目の中から、
上品で、人を傷つけず、差別用語のない項目180個を選んでみました。
この180項目以外にも、とても楽しくて面白い項目が多数ありましたが、あまりにもブラックユーモアである
内容の項目は省きました。
省いた項目に興味のある人は、定価2300円文芸春秋刊の「現代語裏辞典」を買ってください。

59、「心音は 絶えて久しく なりぬれど 血こそ流れて 手足ヒクヒク(裏小倉)」に感銘を受け、私もくだらない替え歌を作ってみました。
赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった。
赤い服 着いいてた 女の子 牡牛に 突かれて 死んじゃった。
赤い便 していた 女の子 大腸癌で あの世に 行っちゃった。
赤い便 していた 女の子 切れ痔で 命は 助かった。
赤い尿 していた 女の子 膀胱癌で あの世に 行っちゃった。
赤い尿 していた 女の子 尿路結石で 命は 助かった。
赤い顔で 飲んでた 女の子 肝硬変で あの世に 行っちゃった。




178、「年老いて身にこたえるのは、何もなかった一生よりも、過去の栄光」について述べたいと思います。
ノーベル文学賞を受賞した川端康成は72歳で、ガス自殺しましたし、ノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイも61歳で、ライフル銃自殺しました。
日本アカデミー賞など30以上の映画賞を受賞した
監督、伊丹十三は64歳で、飛び降り自殺しました。
世間から称賛された過去の栄光を持った人間が、年老いた為に思うように小説が書けなくなったり、思うように映画が作れなくなくなると身にこたえ自殺したのでしょう。
政府により平成25年4月から65歳までの雇用延長義務化が施行されます。 
言い換えれば65歳以上は前期高齢者であり、病気が多発し働くことは不可能なボケ老人あることを政府が認めたことになります。
非生産者であるうえに年金を受け取り、病気がちで
健康保険を多用する65歳以上は早く死んでほしいと
ひそかに政府は望んでいるのです。
また動物行動学の竹内久美子は「男は自分の子供が自立し、遺伝子のコピーが次の世代に乗り移ればこの世に存在価値はない。
女は男と違い孫の世話が上手だし、育児の知恵もあるから存在価値はある。
男は子供が自立し孫が出来る前に死なないと、新しい世代の食い扶持を奪うだけで邪魔者なだけだ」と述べています。

吉田兼好は徒然草第7段で、長生きをすると恥をかくことも多い、せいぜい40歳に足らぬくらいで死ぬのが見苦しくないと述べていますが、平均寿命を現在に置き換えれば65歳くらいで死ぬのが見苦しくないと述べているのです。
哲学者の須原一秀は精神的にも肉体的にも全く問題はありませんでしたが、人生の果実は十分に味わったと65歳で首つり自殺しました。
私は現在65歳ですが、ボケがひどく風呂の栓をせずにお湯を入れたり、汚れた手拭き用のタオルで顔を拭いたり、朝仕事場の玄関の鍵を開けるのを忘れたりするのです。
この様な事は過去一度もありませんでした。
また65歳になってから腰痛がひどくなり、25分座っていると激痛が走るのです。
65歳になってから坐骨神経痛になり100m歩くと左足がしびれ150m 歩くと激痛がはしります。
2か月前平泳ぎをしただけで膝を捻挫し、いまだに治りません。
病院で血圧計で血圧を測ろうとしたところ、エラーの
表示と不整脈の表示が出ました。
医者が診断を出す前に、血圧計が不整脈と診断したのです。
白内障の手術直前に看護師が私の手首に指をあてて脈を計ろうとしましたが「脈がない」と叫びました。
須原一秀は自殺する直前までジムに通い体を鍛えており健康そのものだったのです。
須原一秀は自殺前に死んですぐに検視を済ませ自分の心臓を他人に移植したいと友人の医者にたずねところ、65歳の心臓はほとんど使い物にならないと言われたそうです。
ジムで鍛えた体でも、賞味期限の切れた食べ物と一緒で65歳の肉体は何の価値もなく腐っていくだけなのです。
須原一秀以上に私は精神的にも肉体的にも病んでいるので特に存在価値はないのです。
世に結婚適齢期という言葉がありますが、私はまさに自殺適齢期なのです。
日本政府も竹内久美子も須原一秀も吉田兼好も私に対し早く自殺しろと言っている様な気がしています。
私が自殺すれば政府は私に年金を支払わなくてよいし、健康保険も使わないし、日本の食料も一人分いらないのです。
しかしながら40歳で死ぬのが見苦しくなくてよいと言った吉田兼好は68歳で亡くなっています。
その差28年を現在の自殺適齢期65歳に加えると91歳になります。
吉田兼好は40歳で自殺せず見苦しく、新しい世代の食い扶持を奪うだけの邪魔者として28年間生き続けたのです。
私も自分が見苦しく、新しい世代の食い扶持を奪うだけの邪魔者であり、存在価値がない人間にもかかわらず自殺出来ない臆病者である事を深く自覚して、この世の片隅でひっそりと生き、ひっそりと死んでいこうと思っています。
それにしても65歳で自殺した須原一秀は淡泊で潔い。
65歳までの人生で良かった事は、65歳以降には同様かそれ以下にしか良い事はないと言って自殺するのだから淡泊で潔い。(私の現在の楽しみは居酒屋で安酒を飲む事と、寝る前に東海林さだおの本を読む事ぐらいなのに自殺出来ません)
日本政府は須原氏に国民栄誉賞を与え、「自死と言う生き方」を最優良図書に指定し国民すべてが読むよう指導すべきでしょう。
この本により65歳の自殺者が増えれば、年金や健康保険にかかる予算が減額するし、食い扶持が減るので日本の食料自給率も高まるかもしれません。
しかしながらほとんどの国民は私と同じ様に65歳までの人生において川端康成やヘミングウェイや伊丹十三と異なり世間から称賛される栄光など何もなかったありふれた人生だったので、年老いても苦痛と感じないので自殺せず、何もないありふれた人生をずっと続けていく可能性もあります。

現在日本政府は65歳から75歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者としていますが、65歳から75歳までの男は前期自殺適齢者、75歳以上の男は後期自殺必要者と名称を変えるべきでしょう。


57、「食事が唯一の関心事となれば、人生の最後は近い」について述べたいと思います。
寝る前に読んでいた東海林さだおの本を全部読んでしまったので、最近は開高健の「オールウェイズ」を読んでいます。
その上巻405ページに「52年間この世にどうにかこうにか生きてきたが、いくらか学ぶところがあったとして、そのうち書物から学んだのと、生そのものから学んだものと、どちらが多いか。時々そうゆう事を考えてみる。
これは解答の出しようのない問いである」と書いてあります。
開高健は少年時代から読書好きで多くの本を読んでいました。
日本が敗戦した時、まだ学生で収入がなく常に飢餓状態で「明日、食べる者がない」という恐怖心で夜寝ていても、寝汗をかいて飛び起きた事が幾度となくあったそうです。
また従軍記者としてベトナム戦争の最前線に米軍と出て、べトコンに襲われ200人中183人が戦死し開高健を含む17人だけが生き残るという、九死に一生を得る体験をしました。
魚釣り以外にアラスカでのトナカイ猟や黒熊猟など
命がけの体験もありました。
その様な命がけの体験があっても、書物から学んだものと、生そのものから学んだのと、どちらが多いか分からないとの事なのです。
私も65年間どうにかこうにか生きてきたが、何から学んでここまで生きてきたかを考えてみました。
中学生の時、北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」を読んで大人はみんな真面目に働いて生きていると思っていたが、この本でのんびりと生きいる大人がいる事を知りました。
その後も北杜夫のどくとるマンボウシリーズや遠藤周作の狐狸庵シリーズやぐうたらシリーズを読み自分も
ぐうたらでのんびりしたな生き方に憧れました。
私は下町の公立の小学校、中学校に通っていた当時は成績は上位だったのですが、高校は進学校に合格した為成績はビリ近くになってしまいました。
15年間自分は頭が良いと思ってきましたが、本当はとんでもない馬鹿であるという事実は相当にこたえて深く落ち込んでいました。
その時ホルスト、ガイヤーの「馬鹿について」を読みました。
その本の中で「文字どおりの人類絶滅を企てるのは
賢人である。愚者には原子爆弾や火薬など造れるはずがない」とありました。
私は愚者なのだから、多くの人を傷つける事はない
人生をおくれるのだから、愚者でいいのだと納得し
深くは落ち込まなくなりました。
ラ、ロシュフコーの「箴言集」の中に「頭のいい馬鹿ほど はた迷惑な馬鹿はいない」とありますが、頭のいい馬鹿はサリンを造り人を殺し、頭のいい馬鹿社長は津波の危険性を充分に分かっていながら目先の利益の為に原発事故を起こし多くの人を傷つけ、頭のいい馬鹿裁判官は市長の命よりヤクザの命が大切だとの判決を下し遺族と市長を選んだ長崎市民の心を傷つけます。(民主主義国家アメリカでは警察官1人を殺しても死刑になります。日本では国民から選ばれた丸腰の
市長を背後からヤクザが拳銃で撃ち殺しても、知事を殺しても、総理大臣を殺しても死刑になりません。日本の最高裁裁判官は国民に選ばれた市長や知事や総理大臣の命よりやヤクザの命が大切だとの判決を下すのです。日本はいまだに民主主義国家ではないのです。
ラ、ロシュフコーの箴言集の中に「裁判官における正義は、自己の栄達への執心に過ぎない」とあります。裁判官の本質は335年経っても何ら変わらず、一般国民の考える正義とは全く異なる誤った考えを持つ人間、それが日本の頭のいい馬鹿裁判官なのです)
大学時代になると、大学を卒業したら何を目標に生きていくべきか悩んでいました。
私の友人の1人は「大学に残り研究を続け将来教授になり、出来ればノーベル賞をとって有名になる」と言いました。
もう1人の友人は「地元に帰り、同業者の中で1番の金持ちになる」と言いました。
当時私は登山に夢中になっており、穂高の滝谷の岩登り中、遭難死した人の遺体を見つけた直後に、自分自身が悪天候で遭難し遺書まで書いて死ぬ覚悟をしていましたが、九死に一生を得る体験をしました。
その時、たまたま井上靖の「化石」を読みました。
その本の中で末期癌の患者が「もし人生をやり直す事が出来たら本当の生き方をしたい。金、名声、幸福、みんなたいしたものじゃありませんよ。鳥の声を聞いて、ああ、鳥が鳴いていると思い、花が咲いてるのを見て、ああ、花が咲いていると思う、そんな生き方がいいですね」と書いてました。
私も穂高から運よく生還した時、大学に行く途中西宮北口で電車を乗り換える際、駅に植えている花の美しさと空の青さに感動し、到着した特急電車に乗らずいつまでも花と空を見ていたことがあります。
友人は大学を卒業したら大金や名声を目的に生きると言いましたが、私は大金も名声も得ようとはせず、趣味を楽しむ事を目的として、ただただのんびりと生きる事にしました。(この決心に従い25歳から現在の65歳までの40年間、1日6時間しか働かず、しかも1年の
半分は休日にして趣味をしたりして、ただただのんびりと生きてきました)
社会人になっても悩みは何度もありましたが、どうゆう訳かそのつど悩みを解決してくれる本が不思議と現れるのです。
小学校3年生の時、私の母は私が愛読していた漫画の「漫画王」や「冒険王」を全て捨て去り、小説の「宝島」や「岩窟王」や「海底2万マイル」や「12少年漂流記」などの本を読むよう強要したのです。
それ以後現在まで57年間読書を趣味にしています。
長い年月、本を読んでいると必要な時には、必要な本が現れる様です。
生死をかけた趣味、登山は20年、山スキーは14年、パラグライダー14年、狩猟は14年しました。
私の65年間の人生において、それらの命がけの趣味から学んだ事より、読書から学んだ事の方が多い様です。
読書で学んだ事を趣味で確認しているのです。
自分を末期癌に近い、死を身近に感じる状態にしないと花や鳥に感動しないのです。
開高健も「私は頭が悪く想像力が乏しい男だから、
体験でもしない限り自分の感性の領域を、広げる事が出来ない」とありますが、開高健よりずっと頭の悪い私は危険な体験をしない限り、花鳥風月に対する感性を広げる事が出来ないのです。
大学1年生の心理学の東郷豊治先生は「人間死んではダメだ。しかし死にかけるべきだ」と言われました。
ゲーテも「火にたわむれて体を焼かれる夜の蝶の様に、死を介して初めて生は全きものとなるのだ。これを体得しない限りあなたはいつまでも地上の夜の悲しい客人にすぎぬ」と書いています。
20代は死ぬ確率が50%の登山計画をたて、実行していました。
30歳になった時、まだ生きているのが不思議でしたし、山男が30歳になっても生きているのは恥だと思いました。
その後も富士山頂から完璧に凍りついた吉田大沢を
スキーで滑り降りたり、槍ヶ岳山頂小屋から槍沢を滑り降りたり、穂高の稜線から滑り降りたりと、生死をかけた趣味を繰り返していましたが運よく死にませんでした。
50歳の時、死ぬ確率が非常に高い、富士山頂上からパラグライダーで富士宮まで飛ぶことが出来ました。
前年は飛ぶ直前に突風で後ろに飛ばされ、凍りついた雪原を引きずられましたが、富士山火口の絶壁近くで止まり死なずにすみました。
じっくり何日もかけて死線をさまようと、1か月程花や空の美しさに感動しますが、1日だけ死にかけると3日程しか感動しません。

しかしたとえ死ぬ確率の少ない趣味であっても、死なずに生きて帰れるとその夜のビールは格別にうまいし、日々のありふれた日常がすばらしく価値のある様に思えます。
最近は腰痛のため狩猟しか出来ませんが、秋ヒグマの巣だと言われている猟場でエゾ鹿を獲り、ヒグマに襲われて殺される事もなく解体を終えるとその夜のビールと夕飯は最高にうまいです。
エゾ鹿猟の日に朝飯も昼飯も食べた事はありません。
若い頃マッターホルンに登った時も朝飯も昼飯も食べれませんでした。
人間、今日死ぬかもしれないと思うと、なぜか急に食欲がなくなる様です。
開高健の「オールウェイズ」下巻28ページに「立派な
哲学者だったニーチェに言わせれば男が熱中できるものは2つしかない、それは遊びと危機である。遊びの中にも危機があるだろうし、危機の中にも遊びがあるだろう、というのが私の補正意見だけれども、ともかく男が熱中できるのはこの2つや」と書いてあります。
遊びと趣味は同じなので、頭の悪い馬鹿な私と、頭の良いニーチェや、開高健との考えが同じ様です。
男が遊びや危機に熱中出来なくなれば、生きている
価値はないと思います。
そして食事が唯一の関心事となれば、動物と同じであり人間として生きている価値はなく、人生の最後は近いのです。



53、「教育とは親が、子供を自己の思いどおりの人間に育てる企み」について述べたいと思います。
先の文で65年の人生の中で「命がけの趣味から学んだ事より、読書から学んだ事の方が多い」などと書きましたが、幼少年期に親から学んだ事の方が読書から学んだ事より、大きいと思っています。
その理由について、2008年4月5日「ブログ人:長男と次男の性格」にくわしく書いています。(「長男と次男の性格」で検索すれば、初めに掲載されています)
私の母方の祖母は定年までずっと小学校の教員をしていたからか、年老いてもボケず90歳で亡くなるまで、昔の出来事を良く覚えていました。
私が30歳のころ祖母が私に言うには、私が赤ん坊の頃、私の母が乳母車に私を入れたまま橋の上に残して、いなくなったので私は乳母車から這い出し、橋から落ちたそうです。
川のぬかるみに上半身が埋まり、足をバタバタしているのを、通行人が助けたそうです。
どうも私は1歳まで親から、あまり大事にはされていなかった様な気がしています。(兄は赤ん坊の頃、かわいくて女の子と間違われたそうです。一方私はそうではなかった様です)
私と兄と父と母との4人家族は姫路の2階建ての古家の2階で借家住まいをしていました。
1階に大家さん家族が住んでおられ、私と兄が少しでも暴れると1階に響くので、いつも大家さんに親は怒られてばかりいたそうです。
私が2歳、兄が5歳の時、私は母方の祖父母の徳島県吉野町に預けられ、兄は父方の祖父母の徳島県板野町に預けられ地元の幼稚園に通いました。
同じ徳島県でも離れていたので兄と会う事はありませんでした。
両親は特別お金に困っていた訳でもなく、大きな病気をしていた訳でもありません。
子供を祖父母に預けて、両親それぞれが実益を兼ねた趣味をしたかったそうです。
兄は母が20歳の時、B-29の空襲中に生まれたそうです。
灯火管制のため光が漏れると空爆の目標となるので、産婆さんは産湯を沸かすのに苦労したそうです。
その後終戦時の混乱に疲れ、兄弟喧嘩しては大家さんに怒られる生活に疲れていた事もあって、若い25歳の母は子供を祖父母に預けたと思われます。
祖父母に預けられて寂しいとか、姫路に返りたいと思った事は1度もありませんでした。
1歳まで親から大事にされなかったのに、祖父は私を溺愛したからです。
父にも母にもよく叱られましたが、祖父は私がどんなに悪い事をしても叱らず、ニコニコと笑って見ていました。
私がのこぎりを見つけて大きな祖父母の屋敷の大黒柱をゴシゴシと切り始めても、ニコニコと笑って見ていました。
祖母が見つけて止めさせようとしましたが、祖父は2歳の子供が切り倒せる訳がない、好きなだけやらせろと喧嘩になりました。
2歳ながらこれはまずいと空気を読んで、庭に出て大きな庭木を切り始めました。
またまた祖父母が切らせろ切らせないで喧嘩をはじめました。
冬に囲炉裏に炭に火がついていましたが、表面には薄く白い灰が付いていて、あまり赤くないのですが日めくりカレンダーの紙を炭の上に置くとパっと真っ赤に燃え上がるのです。
私はいたく感動し、次から次に日めくりカレンダーを破っては燃やしていました。
祖父はニコニコと笑って見ていました。
祖母が見つけて止めようとしましたが、祖父は好きなだけやらせろと、またまた喧嘩になりました。
夏には私1人の為に畑のあぜ道に2本の竹竿を立て、その2本の間にひもを結んで、ロケット花火をひもに通して準備し、夜になると点火しました。
真っ赤な花火が右の竹竿から左の竹竿まで、とても早く飛んで行った光景を昨日の様に覚えています。
ホタル狩りに連れて行ってもらったり、週に何度か自転車に乗って売りに来るアイスキャンデーを買ってもらったり楽しい事ばかりでした。
祖父は小学校の校長先生だったので、私を小学校の工作室に連れて行き、私の為に小さな木の椅子を作ってくれました。
もし2歳から3歳にかけて、祖父の私に対する深い愛情がなければ、その後私は親の厳しい教育に反発し、
ぐれていたかもしれません。
私が幼稚園の時、神戸の下町の長屋に借家住まいをしていました。
幼稚園の遠足で武庫川の河川敷に行きました。
川に向かって石を投げたりして遊びました。
昼食時になり私以外は母親や両親や祖父母などと一緒に食べていました。
私は一人ぼっちだったので、担任の先生と2人で食べました。
小学1年生の時大雨になり、クラスで私以外は親が傘を持って迎えに来ましたが、私には親が来ないので
ただ1人びしょ濡れになって家に帰りました。
母親に「クラスで私以外は親が傘を持って来た」と言うと母親は「男は雨が降れば濡れて帰れ」と言われました。
中学1年生の時、遠足日の気象庁の天気予報は大雨でした。ところが夜の内に大雨は通り過ぎ、遠足の日の朝は雲の切れ目から時々青空が見えていました。
その日は、どういう訳だか父も母もおり、空を見上げて父も母も今日は快晴になるので遠足はあると断言しました。
私が学校に行くと全校生3千人程の生徒の内、私だけが遠足のリックを背負っており、他の生徒全員が通常の授業の用意をしていたので、生徒からも先生からも笑われました。(団塊世代の1年生は1クラス57人で19クラスあり1年生だけで千人を超えていました)
しかしその日は私の両親が言った通り1滴の雨も降らず、昼前には遠足日和の快晴になりました。
気象庁の予報をを信じきった、3千人程の生徒の親の判断は間違っており、私の親だけが正しい判断をしたのです。
これらの親の教育から学んだ事は「他人の常識は気にせずに、自分の判断で行動すべきだ」という事です。
25年前、天気が良くて、風が弱く、しかも正面の風が吹かないと飛べないパラグライダーを始めましたが
週休2日ではその様な気象状態になって空を飛べる
確率が低く、パラグライダーが一向に上手くなりませんでした。
上手くならないとパラグライダーは非常に危険なスポーツなのです。(木島平でパラグライダーを始めたその日に、目の前で飛んでいた人が死亡しました)
当時、大企業も中小企業も個人商店も週休3日の
会社、商店はありませんでした。
週休3日では採算が合わないので、週休3日は出来ないというのが世間の常識でした。
週休2日の時も1年の半分しか働きませんでしたので、長期の休暇を減らせば週休3日でも1年を通じれば同じ日数働く事になるので採算は合うと考えて、世間の常識は気にせず自分の判断で、週休3日にしました。
週休3日にすると、十分に練習出来たのでパラグライダーが上手くなり、北海道から沖縄まで全国各地の山や海岸を私1人で飛べるようになりましたし、スイス、
フランス、ニュージーランドなどの山も私1人で飛ぶ事が出来ました。
もし週休3日にしなければ、パラグライダーがいつまでも下手な為に事故にあい大怪我をしていたか、死んでいた可能性があるのです。
バブル期、金融機関の金利は年8、6%程でしたが、物価上昇率は年13%のインフレでした。
私はバクチが嫌いで株取引をやりたくなかったのですが、やらざるを得ませんでした。
東京電力など6銘柄程を買いました。
いつの間にか気が付くと、75万円で買った東京電力の株価は800万円を超えて、日に10万円づつ値上がりしていました。
私が当時いくら働いても日に10万円の稼ぎはなかったのです。
この株価上昇は異常であり、日々の地道な勤労意欲をなくすと判断し全ての株を売ることにしました。
そのことを株取引をずっと以前からやっていた父や
叔父に言うとまだまだ上がるのに今売るのは馬鹿だと言われました。
証券屋にも同じ事を言われましたが、他の銘柄も高値だったので全ての株を売りました。
1か月後バブルがはじけて、株価は大暴落しました。
他人の常識は気にせず、自分の判断で行動するという親の教育のおかげで、暴落前に高値で売り抜ける事が出来ました。
阪神淡路大震災で私の家は全壊しましたが、株を売った金で建て替える事が出来ました。
その後父がなくなり、父の遺産として少しの株だけを
相続しました。
相続した株の株価を調べるとJALはとんでもない安値でしたが他の株はバブルの頃の株価に近いものでした。
あの異常なバブルの頃と同じ位の株価であれば十分で、それ以上の高い株価を望むのはのは、欲が深すぎると考え全てを売ることにしました。
証券屋はまだまだ株価はこれからも値上がりするので、せめて半分の株は売るべきではないと言われましたが、証券屋の意見を無視して全てを売りました。
1か月後リーマンショックで株価は大暴落しました。
JALの損益のおかげで、株売却による利益は相殺されたので税金も全く払いませんでした。
週休3日にする決断が出来たのも、2度の株価の大暴落前に高値で株を売り抜けられたのも、他人の常識は気にせず自分の判断で行動しろという親の教育のおかげだと思っています。
私は葬式や結婚式は個人的な身内の行事であり、
他人を呼ばず身内だけでやるべきだと考えています。
私の父は知人が多く年末になると、600枚ほどの年賀状を達筆の筆書きで宛名を書いていました。(2歳の私と兄を徳島の祖父母に預けた時に習得したそうです。母は洋裁を習得し小学校時代ズボンも上着もセーターも全て母の自作でした)
しかし父の葬式は徳島の親戚にも言わず、阪神間の身内だけの10人程でやりました。
私自身、北海道のニセコで2人だけで挙式しました。
長女が結婚する事になり、友達や先生や職場の同僚を読んで結婚式をしたいと言いました。
私は身内の行事で他人に迷惑をかけるべきではないとの考えなので、結婚式の費用は支払うが自分はその様な式には参加しないと伝えました。
私が2人の娘の入学式にも卒業式にも一切参加せず、運動会や文化祭も見に行かず、自分の好きな趣味をやり続けてきた変わり者である事を子供の時から見てきた長女は一言「分かった」と言いました。
ところが私の母は娘の結婚式に父親が参加しないなどという常識はずれな事を聞いたことがない。長女が
可哀そうだとの電話がありました。
私は「他人の常識は気にせず、自分の判断で行動する事」を母から教育されたのだと言い返しました。
小学1年生の私に「男は雨が降れば濡れて帰れ」と言い、父の葬式では住職に対し「意味不明な戒名はいらない」と言い放ち、住職は怒って帰ろうとしたのです。
どう考えても私以上に常識を気にせず、言いたい放題なのは母なのです。
90歳で亡くなった母方の祖母は長年、教員を続けて来て教え子や父兄から先生、先生と言われてきたので、上から目線でものを言うのです。
老人ホームで他の老人に面と向かって「あんたは性格が悪い」と言い放ったそうです。
孫の私が判断しても老人ホームで1番性格の悪いのは祖母だと思うのです。
長女が生まれた時、祖母にとってはひ孫になる長女を見せに行きました。
祖母は長女をじっくり見て冷静に一言「男顔やな」と言いました。
確かに長女は赤ん坊の時、男顔でしたがわざわざ
西宮から舞子の老人ホームまで孫がひ孫を見せに来ているのだから、嘘でも「かわいい」と言ってほしかった。
嘘でも「かわいい」と言うのが世間の常識だと思うのです。
祖母、母、私と3代続いた常識はずれの行動は、もしかすると教育によるものではなく遺伝的要因によるものかもしれません。
(私の娘はそれまで長く勤めていた仕事をあっさりと
辞めて4月から11月まで世界一周旅行をして来ました。治安の悪い中南米や北アフリカが気に入って長期間滞在したところをみると、常識はずれの行動は祖母、母、私、娘と4代続くかもしれません)

 

 

 

 

 

 

 
 


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