文や写真のブログ

思いつくまま書いた文やローカルな写真を載せています。

中国鶏肉期限切れ流通

2014年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

1978年夏、私はフランスのシャモニーに10日程、
滞在しました。
モンブランに登ったり、スキーをしたり、プールで泳いだり、ゴルフをしたりして過ごしました。
シャモニーの生活で最初に驚いた事は、屋台の果物屋でフランス人の若者が桃を1個買うと、桃に付いたゴミや埃を自分の汚いジーンズのズボンにクルクル回して取り除き、いきなり皮付桃を食べたのです。(日本の小学生がフランスの小学校に入学し、桃の皮をむいて食べる事は、女々しいといじめられるそうです)
次に驚いたのが、フランス人がパン屋で長いフランスパンを買うと、むき出しのまま自転車の荷台にくくりつけ、車の排気ガスの中を走り去ったのです。
山に登ると、ザックから大きくはみ出した、むき出しのフランスパンに埃や小雨がかかっても全く気にせず、お昼になると埃だらけのフランスパンをOPINELのナイフでクルクル回しながら切り分け食べるのです。
次に驚いたのは、スーパーマーケットでフランス人の若者が瓶ビールを買う時、レジに並んで待つ間に埃まみれの瓶ビールのふたを勝手に開け、他人が触ったかもしれない飲み口からゴクゴクと飲んでしまい、レジでお金を払う時には空瓶でした。
1978年春、イランのデバマントという山に登った時、麓の町でイラン人が雑貨屋でコーラを注文し、コーラとコップを受け取ると、コップの汚れを取る為、コーラの
一部を注ぎクルクル回して汚れを取って道に捨ててしまい、残ったコーラをコップに注ぎ飲んでいました。
コップが汚れているのが当たり前なのか、抗議も怒りもせず、淡々とした行動でした。
アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、中南米など世界中の国から集まったボーイスカウトのキャンプに日本の学生が参加すると、日本人だけが食中毒やコレラになり早々に帰国するそうです。
子供の頃から、買った食べ物は2重3重に包装し、抗菌グッズに囲まれ、賞味期限切れの食べ物は食べず、食器は良く洗って食べる為、日本人は世界で最も免疫力が無く、ひ弱な人間になったのです。
この状態を知った中国人が、日本人の免疫力を強くするため、賞味期限を7か月も過ぎて、アオカビに覆われて腐った鶏肉や床に落ちて埃まみれの鶏肉を日本に輸出したのです。
日本人の平和ボケを治す為に、中国人留学生はピッキングをしたり、おれおれ詐欺の元締めとして日本人を雇い電話をかけまわっています。
日本人は免疫力を強くしたいので、国産ウナギが店頭にあっても、あえて危険な中国産のウナギを買います。
国産ニンニクが店頭にあっても、中国産のニンニクを買います。
中国人が腐った鶏肉で日本人の免疫力を強めてあげたいという思い、日本人も危険な中国産の食べ物を食べて免疫力を強めたいという思いが通じて、ボーイスカウトで日本の学生だけが食中毒やコレラで帰国することは無くなるでしょう。
昨日の夜、十三の居酒屋で飲んで来ました。
ビール、ハイボール、酎ハイ飲み放題で980円で料理は全て280円でした。(ビール3杯、ハイボール6杯、飲みました)
280円で日本産の肉や野菜を使用していたら採算は合いません。
外食店には、仕入れ国の表示義務はないので、ほとんどの料理に中国産の肉や野菜が使われていると思われます。
私は免疫力を強める為、あえて280円の料理を食べ続けました。
食後には酔っぱらって、心房内に出来る血餅を予防する薬を、埃だらけの床に落としましたが、埃が付いたまま飲み込みました。
私も免疫力を強める為、それなりに努力しているのです。
(中国産食品、原発は危険です。でも使用すると安くなります。日本人は安全より安価を求めます)



 

 


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裁判官、法務大臣、殺人犯は同じ穴のムジナ

2014年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

去年、千葉地裁での裁判員裁判で、現金を奪った後に被害者女性を殺して放火した、樫山被告に対して
「犯行は冷酷で更生の可能性は乏しい」として、検察の求刑通り「死刑」の判決を言い渡しました。
ところが上訴審の東京高裁の村瀬均裁判長は「殺害された被害者は1人だ」という理由だけで「死刑破棄」の判決を言い渡しました。(村瀬均裁判長の子供が殺されても被害者は1人だから死刑はあり得ないと言い、妻と親も殺されて被害者が3人になれば、そろそろ死刑を検討すると言うのか)
村瀬均裁判長は別の事件での裁判員裁判の死刑判決も破棄しています。
なぜ裁判官は殺人犯への死刑判決を嫌うのでしょうか。
人間としての本質的性格が裁判官と殺人犯は同じだからだと思われます。(一般国民は「虫けら」だと考えて、1人ぐらい殺してもいいじゃないかと考えているのです)
死刑囚は133人もいて、我々の税金で3食の食事を取り、ひねもすのたりのたりかなと、のんびり暮らしています。
法務大臣は死刑判決確定後6か月以内に死刑執行の署名する義務がありますが、どの法務大臣もこの法律を無視し死刑囚を80歳を過ぎるまで長生きさせます。
なぜ法務大臣はいつまでも死刑執行の署名をしないのでしょうか。
人間としての本質的性格が法務大臣と死刑囚は同じだからだと思われます。(「虫けら」を殺しても別にいいんじゃないのと考えている)
裁判員になる一般庶民は、私立中学受験で失敗したり、高校受験でも失敗したり、大学受験でも失敗し、
行きたくもない学部に入学し、行きたくもない会社に入社したりする事がよくあります。
若くて多感な時期に多くの挫折を味わい、努力して立ち上がる事が人間として大人になれるのです。
大人とは、他人の苦しみをその人の立場に立って考え、理解出来る事です。
一方、裁判官や法務大臣はどうでしょうか。
小学校では学年1番の成績で神童と呼ばれ、有名進学校の中学校、高校に合格し成績はやはり1番で、
大学も国立大学に現役合格し、在学中に司法試験に合格するという順風満帆の人生を歩んできたのです。
若くて多感な時期に全く挫折を味あう事はなく、不合格になった他人の苦しみを理解出来ず、気にも留めず、ただ見下すだけの人生を送ってきたので、殺された被害者の苦しみや無念さを理解出来ないのです。
裁判員になる一般庶民は多くの挫折を味わい、敗北者の気持ちを良く理解出来ます。
よって被害者の立場に立って判決を決めます。
一方、裁判官や法務大臣は挫折を味わった事がなく、敗北者の気持ちを理解出来ず、死んだ被害者はただの物体であって人権は存在しないとして、殺人犯の立場で判決を決めます。
殺人犯は被害者を尊敬していれば殺せません。
被害者を見下しているから包丁で刺し続ける事が出来るのです。(虫けらだと思っているから殺せるのです)
裁判官や法務大臣にとって、殺された被害者の苦しみや無念は全く理解できないが、殺人犯が被害者を見下し包丁で刺し続ける事はとても良く理解出来るのです。
裁判官は難関の司法試験に受かっています。
司法試験に受かってない人間の命の価値は、司法試験に受かった人間の命の3分の1の価値しかない「虫けら」だと多くの裁判官は考えています。
よって、「虫けら」が「虫けら」を1人殺しても死刑にはなりません。
「虫けら」が「虫けら」を3人殺してやっと死刑を検討しはじめるのです。
よって村瀬均裁判長の様に殺された友花里さんの苦しみや無念は無視し、樫山被告の犯行に共感し死刑を破棄したのです。
よって裁判官、法務大臣、殺人犯は同じ穴のムジナであって、同じ様な精神構造をしているのである。
裁判官、法務大臣の被害者に対する対応は「冷酷で更生の可能性は乏しい」のです。


コメント (1)
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無意識の殺人には無意識の死刑執行

2014年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

7月13日北海道小樽市で12時間酒を飲み続けた男が、酔っぱらったまま車を運転し、3人の若い女性をはねて殺しました。
数日前、脱法ハーブを吸って、もうろうとした意識で車を運転した男が、歩道を暴走して若い女性をはねて殺しました。
数年前、福岡で酔っ払い運転していた男が、前の車に追突し海に転落させて、3人の幼い児童を殺しました。
これらの裁判において、殺人犯に死刑の判決は出ません。
なぜなら殺人犯の意識がもうろうとして「殺意」が認められないからです。
加害者は脱法ハーブを吸ったり、酒を飲んだりして、
実にいい気分で被害者を殺しています。
一方被害者は「しらふ」で意識はしっかりしており、死ぬ程の痛みと苦しみを味わいながら死んでいきます。
殺人の犯行時、
加害者に意識があろうとなかろうと、
被害者に意識があれば死刑にすべきなのです。
児童や若い女性の被害者が死ぬ程の痛みと苦しみを受け、将来の人生への夢が絶たれた無念さを考えると被害者家族は加害者を死刑にする事を強く望んでいます。
殺人犯が「しらふ」で人を殺せば「しらふ」で死刑執行する。
殺人犯が脱法ハーブを吸ったり、酒を飲んだりして、
意識がもうろうとして人を殺せば、意識がもうろうとして死刑執行すればいいのです。
意識が無くて人を殺せば、意識を無くして死刑執行すればいいのです。(泥酔状態にさせてあげる)
テレビや新聞で毎日のように脱法ハーブを吸っての
運転、酒を飲んでの運転による死亡事故が報道されています。
脱法ハーブを吸って運転すれば人を殺すかもしれない。
酒を飲んで運転すれば人を殺すかもしれない事を、
殺人犯は充分に分かっており「未必の故意」による
殺人であり死刑が当然なのです。
カレーにヒ素を入れおいて、食べた人が死ぬとは思わなかったと言っても「未必の故意」による殺人で死刑になるのです。
被害者家族にとって、意識がもうろうとした状態での
死刑執行は不満でしょうが、20年の懲役で出所させるよりはましだと思います。
加害者も大好きな脱法ハーブを吸ったり、大好きな酒を飲んでいい気分の時に死ねれば、これ程うれしい事はないのです。
この様に、裁判官は被害者家族も加害者も双方が喜ぶ判決を下すべきなのです。
なお刑法に従う必要はありません。
法務大臣は死刑判決確定から6か月以内に死刑執行するように法律で決まっていますが、麻原彰晃も林真須美もいつまでも生き続けています。
冤罪の可能性が無ければ、再審請求を認めず6か月以内にどんどん死刑執行するべきなのです。
司法のトップが法律を守らないのだから、裁判官が
刑法などの法律を守る必要は全くないのです。




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